第5章:罪の夜と約束ー003ー
砕けるガラスに、 なんだと振り返った年配の男を刃が貫いた。窓という窓を破壊して飛び込んできた刃が残りの男たちを次々と刺していく。黛莉以外の全員が木材の壁へ刃によって貼り付けられた。
「おぅ、黛莉。大丈夫か」
一度しか会っていなくても、忘れられない強い印象を与えてきた相手だ。刃で黛莉の拘束を斬り解き、腕を差し出してきた。
手を取った黛莉は立ち上がりつつ、まだ実感がないまま感謝を口にした。
「あ、ありがとう、エンマくん」
「やっと我れの名を呼んだな。だがな『くん』はいらぬぞ。エンマでいい、円眞でな」
紅い目の男の子は相変わらず変だ。でも涙が溢れてきて止まらない黛莉だった。
円眞と名乗る男の子はハンカチを差し出しつつ、事情を訊いてきた。
子供が能力者であることを秘匿したい親を脅迫している点を、黛莉はかいつまんで説明する。
「そうか、異能を所有する者がそこまで差別される時代になってしまっていたのか」
顎に手を当てて考え込む円眞の姿に、黛莉は子供らしくない男の子だなぁと改めて思う。
「ともかく此奴らは紛れもない悪人であることは間違いないのだな」
「うん。それにあたしを裸にして写真を撮るつもりだったんだって」
「なにぃ、なんて羨ましいことをしようとしたのだ。我れでさえ女性の裸は見たことがないのに」
エンマく〜ん、と黛莉が冷たい眼差しで呼んでくる。
軽蔑にも似た表情を向けられる理由に心当たりが付いた円眞は、慌てて言い訳をぶち上げた。
「黛莉、誤解をするな。此奴らと我れとでは志しが違うぞ、そう志しだ。我れわだな、純粋に女性の……そうそう黛莉は我れを『くん』付けで呼ばなくていいということもある」
支離滅裂さに、思わず吹いてしまった黛莉だ。緊張から抜け出せたせいもあっただろう。笑いが止まらなかった。
笑う黛莉から目が離せない円眞へ、無粋な声が飛んできた。
「おい、ガキども。ここで俺たちになんかしたら、仲間がてめぇらの正体をバラすぞ。だからさっさと解放しろ」
年配の男が壁に突き刺されながらも、威勢を失っていない。相手は小学生になったばかりのような子供だ。実際、大人の恫喝に少女の顔から笑みが消えていく。
ちょろいもんだとばかりに、年配の男は口許を歪ませかけた。が、瞬く間に得体の知れない戦慄に表情が凍りつく。
原因は男の子だ。紅い目に宿る尋常でない光りに心臓を掴まれた気分になる。
「我れは、黛莉の笑顔に感動していたのだぞ。それを邪魔するとは許せんな」
「な、なにを言ってやがる、このガキ。早くしねーと、そこのガキの正体が世間にバレるぞ」
侮られる真似だけは避けるが裏の業界に身を置く者の鉄則だ。年配の男は長年に渡り面子を守ってきたからこそ、ここまでのし上がってこられた。にも関わらず、声が自分でもはっきり解るほど震えている。下手な反駁をしたことを悔やんでいる。
紅い目が冴え冴えとした冷たさを放っていた。
「ほざくな。こんな田舎で大事そうに保管したデータは、キサマにとって生命線と言えるシノギなのだろう? ならば横取りを平気でするような連中ばかりだから、おおっぴらにしては万が一がある。同じ組の相手でも秘密にして、リストは誰にも知られない場所へ置いているなど予想が付くわ」
「て、てめぇ、どこまで知ってやがる」
「知ってるもなにも、お前たち一見して暴力団員ふうではないか。ならば組織でのし上がるには、他より多い上納金を必要とするし、商売として犯罪を行うくらいは容易に考えつくぞ」
円眞は室内をぐるりと見渡した。ストーブから少し距離を置いたポリタンクを発見すれば、軽くうなずいている。
円眞くん、と黛莉が少し怖気づいたように呼ぶ。
「心配するな黛莉。始末は我れがつける」
円眞は壁に刺し貼り付けた連中へ顔を向けた。
「我れとしては、お前たちの異能をネタに脅迫する所業が我慢ならん。それに何より黛莉に手を挙げ、あまつさえ辱めようとさえした。生かす気など元からなかったが、より苦しんでもらうとしよう」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
紅蓮の炎が夜空を焦がすようだ。
今までいた山小屋らしき家屋は、黛莉の想像以上に燃え盛っていた。
先ほど床一面へ灯油を撒いた円眞だ。何が行われようとしているか、予想がつかない者はいなかった。
やめてくれ、助けてくれ、と大の男たちが泣き叫んだ。
お前たちが脅迫してきた中にも同じようなことを言ってきた者がいたはずだ、と円眞は切り捨てる。
「黛莉、先に表へ出ていろ」
ううん、と黛莉が首を横に振った。
「円眞くんだけにさせるなんて、あたし、できない。それにこれをするために来たの」
円眞はじっと見つめた。改めて黛莉という少女を確かめるかのように。
「そうか、わかった」
円眞が発せば、黛莉が寄り添ってくる。二人で入り口へ向かう。助けを請う大人たちの声が聞こえるなか、円眞がライターを灯す。燃やされた紙片を手にする黛莉が部屋の中央へ向けて投げた。
円眞と黛莉。外に出た二人は少し離れた場所で火柱を前に立ちすくむ。
能力の所有を秘匿する児童の目録と、悪人とはいえ四つの命を灼き消す炎。罪を背負った緋き火が静まるまで、二人は肩を並べ眺めていた。
「さぁ、行くか」
火が弱まった頃に、円眞が声をかけてきた。
うん、と黛莉は乾いた声でうなずいた。目的は叶えられた。同時に失われたことも意味していた。胸を巣食う空虚さに踏む地面の感覚がない。
どさりと横で崩れ落ちて、はっと黛莉は意識を還す。
がくり、円眞が膝を落としていた。いかんな、と呟いては身体を返して足を投げ出した。両手を後ろで付いては、ぺたりと座っている。
「円眞くん、どうしたの?」
慌ててしゃがみ込んだ黛莉に、円眞が自嘲の笑みを向けた。
「いや、なに、ちょっときつくなっただけだ」
黛莉に思い当たることが頭によぎれば、投げ出された円眞の両足へ手を伸ばした。靴を脱がし、靴下を降ろせば予想した通りだった。暗がりの中でも解るほど、足首が腫れ上がっている。
円眞は痛む足を引きずって、ここまで来ていた。
「気にすることないぞ、黛莉。こんな怪我さえしていなかったら、とっとと救い出せていたのだからな。むしろ遅い、と責めてきてもいいくらいだぞ」
黛莉がするわけがない。ごめんね……、と泣きそうなのを必死に抑えて顔を伏せた。
円眞は片手で頭をぽりぽり掻く。しまったな、といった表情で、何か言いたいようだが出てこないようだった。
ホントにごめんね、と繰り返す黛莉は無意識のうちだった。つい手を腫れ上がった足首に置いてしまう。
素直に痛い、と言わない円眞である。うおおおっ、と懸命に堪えているようだった。我慢して悶えているほうが重症感はよっぽどだ。
ごめん、と再三の謝罪を口にした黛莉は急いで木の根元に置いたリュックを取りに行った。戻ってくれば、湿布やスプレーといったありったけの治癒薬を円眞の両足首に施した。
「さて、いくか」
新たな湿布が貼られれば挙げた円眞の号令に、黛莉は驚くしかない。
「円眞くん、もう大丈夫なの」
「我れはそこらの人間とは違うからな。黛莉が肩を貸してくれれば、動けないこともない」
ホント? と訊く黛莉に、円眞は少々たしなめる調子を滲ませた。
「黛莉はちょっと心配性というか、すぐ悪い方向へ持っていくな。もっと自分を打ち出してきて構わんのだぞ」
「自分って、なに?」
黛莉の無邪気な訊き返しに、そうだな、と円眞は考え込んだ。
「黛莉はもっと無法でいいってことだ。周りのヤツらなんか気にするな、特に我れへ遠慮は無用だぞ、ということだ」
う〜ん、と黛莉が唸っている。解るようで解らないといったところだ。
説明下手を円眞も自覚したようだ。
「まぁ、なんだ。取り敢えず、この場を離れるとしよう。誰も来ないとは思いたいが、万が一もあるからな。口を塞ぐ人間を無用に増やしたくもない」
うん、と、これにははっきり返事をした黛莉である。そそくさとリュックを背負っては、円眞の立ち上がりに手を貸す。肩も貸せば、歩きだす。
森へ入っていく間際で、黛莉は足を止めた。今一度、振り返る。消える寸前の燃え盛りぶりをつぶらな瞳に写しては、呟く。
「あたし、殺しちゃったんだな、人を」
すると肩を借りている円眞が言う。
「違うな、黛莉は己れの運命に立ち向かっただけだ。殺したのは我れだ。殺戮者たる、この我れがやったのだ」
黛莉には相変わらず円眞が何を言っているのか解らない部分がある。ただ罪に苦しむ重さは自分と比較できないほどであろう。
そして自分の運命を左右したであろうことは、幼いながらも感じ取れていた。
「円眞くんがいてくれて良かった」
黛莉が素直に吐露した言葉が、どれほど紅い目の円眞に深く刺さったか。明確になるまで、これから幾許かの時間は必要だった。
円眞と黛莉。双方にとって忘れられない夜となった。