第4章:紅と地の激突ー001ー
決して侮っていたわけではない。
現に黛莉は藤平を帯同させた。依頼は逢魔ヶ刻から外れており、内容も護衛である。しかも目指す場所も猥雑な界隈でもない。
ただ五歳の女の子を含む家族だった。人の手が足りなければ、黛莉一人だけで行っただろう。念には念を入れて、藤平を帯同させた。
もっとも依頼人である夫婦からすればである。
引き請け人の主たる少女はゴスロリの格好で、お伴はモヒカンにした厳つい青年である。信用が謳われる法人組織による体裁がなければ、いくら荒くれ者ばかりが多い土地柄とはいえ敬遠したいコンビだ。実は付き合いやすい担当者たちと知るまで、しばしの同行を必要とする見た目であった。
目的地は中通りに面した雑居ビルの屋上だった。
屋上のドアを開ければ、青空が眩しい。
簡単な手すりで囲われた、がらんとした白灰色のテラス。その中央付近にロッキングチェアに腰掛ける老人がいた。
お祖父ちゃん、と五歳の娘が真っ先に声を上げた。すると堪えきれないとばかり両親も、お父さんと呼びながら駆け寄っていく。護衛役の黛莉と藤平も横で付いていく。
老人は縋りつく孫娘に、母親が肘掛けに置かれた手を取っても何の反応も示さない。椅子に座るというより身を投げ出したままだ。
最期には間に合わなかった……と思った、その時だ。
幸せだ、との声が掠れ掠れではあるがはっきり聞こえた。
依頼人の家族は一斉に泣きだした。
加えて護衛として雇われた二人もだ。
「アンタまで、なに泣いてんのよ」黛莉が隣りにいるモヒカンを小突く。
「姉御だって、ヤバそうじゃないっすか」が、藤平の言い分である。
けれども感動に浸ってはいられない。ここは逢魔街である。逢魔ヶ刻がやってくれば、屍体を漁りにくるバケモノが出没する場所だ。
せめて父を母と同じ墓に入れてあげたいが、依頼にきた主な理由である。
スキル獲得者などと言葉で取り繕われるようになったものの、世間的な認知としては異能者にすぎない。社会的な扱いは公平が建前で、実際は得体の知れない能力は忌避されている。就労においては確実に影響を及ぼし、公共機関や大手企業の中枢につくことはまずあり得ない。
たった今、息を引き取った老人が己れの能力をいつ自覚していたか、はっきりはしていない。それほど昔ではないだろう、とは推察されている。
能力と呼ばれる異能は『得体知れない』だけに、近親者へ受け継がれるかどうか証明されていなくても事実だとされている。実際、風評と断じきれない実例も多い。年老いてから能力所有の自覚に孫娘の将来を案じて、まず人付き合いを消していき、最後は家族の前から出奔した。
黛莉と藤平は、家族の想いに殊さら気合いが入った。
逢魔ヶ刻になったら黒き怪物が屍体を求めてくるだろう。老人が最期を屋上でぽつんと迎えようとしたのは、黒き怪物の手が周囲に及ばぬよう配慮した結果であることは、アスモクリーンから派遣された護衛の二人にすれば頭を働かせるまでもなく解る。
急ぎましょう、と黛莉は泣き崩れる家族へ促した。
息を引き取った老人は、藤平が背負った。
急いで逢魔ヶ刻へ至る前に、逢魔街を出なければならない。
異変の予兆は階段を降りていく途中からだ。
今ならまだタクシーで間に合うと、黛莉がスマホで呼ぼうとしたらである。酷い雑音ががなり立てられるばかりで、繋がらない。逢魔ヶ刻にも通信網に謎の遮断が起きるが、こちらは電波妨害だ。スマホがうんともすんとも言わない逢魔ヶ刻とは違う。
気にはなったものの黛莉は、どうしようもなかった。スマホの調子が悪いのかもしれないし、ビルを出てしまえば中通りだ。タクシーが捕まるかもしれない。原因に思い悩むより一刻も早く離れることが先決だった。
ビルを出た瞬間だ。街に慣れない依頼人家族ばかりではない。逢魔街の住人である黛莉に藤平も目を見張った。
周辺一帯の光景を、黒き怪物が塗り潰していた。