第2章:真紅と最凶と微妙な兄ー001ー
湯呑み茶碗を置いた真紅の円眞は満足げに口を開いた。
「うむ、予想以上に夏波の煎れるお茶は、うまいな。さすがだ」
ありがとうございます、と褒められた風間夏波は笑顔で返す。
眼鏡をかけた、いかにも事務員といった地味な出立ちの優しげな女性である。もう一杯だ、と図々しい客人の申し出にもいっそう笑みを広げていた。
ツッコミは付いてきた同年代の女性から為された。
「あんた、遠慮の文字はないの。なんか偉そうだし、えんちゃんと全然違うじゃない」
腰に日本刀を提げ立つ彩香が、ソファにふんぞり返る真紅の円眞を見降ろしながら呆れている。
横に立つ夬斗も、特に後半部分には深くうなずいていた。
逢魔街の強者として鳴らす二人は、真紅の円眞と共に腰掛けるつもりはないようだ。
別段それに真紅の円眞が気にするふうはない。むしろ逆に質問を投げてきた。
「ところで保護者よ、我れと彼奴が一つの身体に同居していることを不思議に思わんのか?」
「二重人格のこと? それくらいここではよくあることよ。ここにいる誰も驚いていないでしょ」
彩香の言にアスモ・クリーン株式会社の応接間に集う者たちが申し合わせたかのように首を落としてくる。
逢魔街における逢魔ヶ刻は変貌を誘う時間の側面を持つ。日常では現れない性格や才能、容姿さえ表出する事例は枚挙に暇がない。真紅の円眞の出現など、逢魔街に住まう人々からすれば、よくある事象の一つにすぎなかった。
夬斗もまた彩香の意見に首肯しつつも、微かな違和感を覚えていた。
逢魔ヶ刻に、人が変わったような相手は何度も目にしている。けれどもあくまで変わったようであり、元々あった人格を踏まえている。まるきり正反対ならば、むしろ抑圧されていたものとして納得できた。
円眞の場合は……うまく説明がつかない。つかない原因が解らない。だから距離を開けずにはいられない。
向かいのソファに華坂爺と多田爺が腰掛けた。背後には内山爺が立っている。隙のない陣容とも捉えられる。
そして真紅の円眞の正面に座るが、頭をモヒカンにした青年だった。
ブラジルから来た兄弟に雇われてあの場に加わった男の名は『藤平真澄』いかつい風貌に似合わない中性的な響きもそうだが、どよめかせたのは年齢だ。
十七歳だと言う。
どう見ても二十代後半にしか見えないわ〜、とする彩香の意見は、誰もが同意しかない様子だった。
慣れているのか、藤平は老けて見られても気にかけない。それよりも、といった感じで両膝に両手を置いて、思い切り頭を下げる。
「すみませんでした、戦いに割り込む真似をして。しかも邪魔した俺を助けてくれるなんて、ホントにありがとうっす」
藤平の姿勢に、夬斗は少し羨ましくなった。
どれくらい経つだろう、頭を下げなくなって。僅かな隙も命取りになるからと、相手から目を離す姿勢は逢魔街に来てから取ったことがない。逢魔街に来てから? 来るずっと前から感謝するなんてあっただろうか? 能力の所有を自覚してから師匠以外に心から頭など下げた記憶はない。
現在は逢魔ヶ刻であり、まだ得体の知れない真紅の円眞に対して脇が甘すぎる態度に違いない。そう思いながらも夬斗は、藤平の真っ直ぐな態度に感銘を受けてしまう。
今日はどうかしている。
しかも礼を言われている当人は、相変わらず偉そうだ。
「なに、あのままサミュエルがくれば、我れはオマエらなど気にせずぶつかっていったからな。さすれば、真澄と言ったか。その命など気にせずやり合っていただろう。なれば礼など述べるは無駄以外のなにものでもないぞ」
「それでも俺を助けてくれたことには変わりないじゃないですか。やっぱりありがたいっす」
「つい勢いのようなものだ。サミュエル付きの姉弟が、どう動くか予測がついたから身体が勝手にだ。それより仲間を殺った者たちを見逃した我れを真澄は許せるのか」
藤平はモヒカンにした頭と肩をがっくり落とす。伏せた顔で答える声は震えていた。
「あいつら、異能力世界協会の奴らに家族を殺されてから、ずっと一緒だったっす。それが返り討ちにあっちまって。だから生き残った俺は仇を討てないまでも、もっと怒らなければならないのに……」
言葉が途切れた。何事かと思う夬斗たちがやがて耳にしたのは、嗚咽だった。藤平は床に落とすほど涙を溢している。思い切り声にして泣きだす。
殺人でさえ法の外に置かれる時間帯を有する逢魔街。哀しみを色濃く落とす場所ゆえに、感情を露わにする機会を奪われた者たちでひしめいている。
だから夬斗を初めとするこの場にいる全員が、大なり小なりの程度はあるものの、あたふたとした表情を隠せない。
唯一、真紅の円眞だけが顔色一つ変えず泣いている藤平を見ている。じっと言葉を待っている。
しばらくして慟哭が収まった藤平は洟をすすりながら言う。
「あいつらを殺した奴らなのに、俺は許すというわけじゃないですけど、憎めないっす。あんな顔を見せられたら、もう……」
「まぁ、あそこの家族は複雑だからな。サミュエルと双子の姉弟が兄弟としながらも赤の他人であるところから推し量れようものだ。しかも北米の能力者を束ね続けた名門らしいから、常に面倒ごとには直面し続けてきただろう」
「でもずっと今まで一緒にいた仲間が殺されながら、もういいなんてする俺はどうなんすかね? 俺ってすげー酷くないっすか」
藤平は自分が許せないらしい。モヒカンにしたいかつい格好していても、年齢それ相応の顔を見せてくる。
ふっと真紅の円眞は口許を緩めた。
「オマエが……真澄が悩んでいる感情は答えを出してならぬものだ。許されないと承知しても心が動くなど、人間であろうとするならば当然あることだ。もっともらしい論調で割り切ってならぬ事柄は、この世にはいくらでもある」
「で、でも、だからといって俺は……」
「そんな悩む真澄を助けられて良かったと、我れは思っている。嘘偽りなくそう思えている、現在の我れだ」
真紅の円眞の言葉に、藤平が再び目を潤ませた。だがこれまでの悲しみとは違う、顔に似合わない少女のごとき感激からもたらされたものだ。
「アニキって呼ばせてください。俺、円眞のアニキに付いていくっす」
不良の集まりの中で見られる性質を全開にしてきた藤平だ。
対して、真紅の円眞はやけに現実的な分析でくる。
「う〜む、付いてくると言われてもな。クロガネ堂の利益では、人を雇うほど余裕もないしな。オーナーでもあり我れの保護者の意見はどうなのだ?」
「そうね、ただでさえぎりぎりだったのに、今回、店舗自体建て直したばかりでしょ。一から教えなければならない従業員を入れるのは、ちょっと厳しいかな」
はっ! とする彩香だ。当然のように答えていた自身の姿に気づいたらしい。怒り心頭で、真紅の円眞へ喰ってかかっていく。
「あんた、どさくさでナニ振ってきてんのよ。店やってんの、えんちゃんじゃない。一度も仕事したことないくせに、よく言うわねー」
「そういえば、七時を回ったな。これでスマホが使える」
抗議を無視して真紅の円眞は事務室の壁時計から、ズボンのポケットから取り出したスマホへ目を移す。
何を書いているのやら、ささっと文字を打って送信していた。