第1章:最強の刺客ー003ー
エンゾのトレンチナイフが受け止めたのは、日本刀だった。握るは髪の長いビジネススーツで身を固めた美人だ。その細身のどこから、というほどの怪力で押し込んでいく。
たまらずエンゾは背後へ退いた。
攻撃の手が緩むことはなかった。目にも止まらない剣戟に、エンゾはあちこちから血が吹き出す。薄褐色のあどけない少年相手でも、日本刀を持つ美人に手心の文字はないようだ。
能力によって破壊力が増す煕海彩香が手にする刀そのものが殺傷力ある武器だ。しかも剣の腕が一級品ときている。能力などなくても普通に強い。
たった一人の登場により、形成は逆転した。
剣技においては、彩香が二歩も三歩も上へいっている。相手の様子を忖度する性格でもない。ブラジルから来た兄弟は殺害が許される時間帯に訪れたことを後悔すると周囲にある者が、そう確信した時だった。
えんちゃ〜ん、と彩香は叫んで敵へ背を向けた。名を呼んだ相手へ抱きついていく。
「ずっと、ずっと探していたんだから。もうどっかへ行っちゃイヤよ、えんちゃん」
初めは驚いた円眞だが、涙がにじむ声に表情を和ませた。
「ご、ごめん、彩香さん。でもボクといたら、やっぱり危険だから。逢魔ヶ刻じゃなくても狙ってこられたら、一緒にはいられないよ。クロガネ堂だって……」
「うん、わかってる、わかってるつもりよ、えんちゃんの気持ちは。だからもう何も言わなくいい。それにクロガネ堂のことなら気に病まなくていいのよ」
円眞と顔を向き合わせている彩香が力強く答えている。円眞と彩香が形見としている店舗に対する心境は当事者以外が窺い知れるものではない。
でも助太刀にきた兄弟からすれば状況が状況であるから、黙っていられない。
「おいっ、彩香。今はそんな場合じゃないだろ。あいつら、どうにかしてくれよ」
「ちょっとぉー、クロガネにどさくさしてるんじゃないわよ、このエロばばぁ」
苦虫を噛み潰したような夬斗と、毒舌の黛莉だ。
「うっさいわねー、えんちゃんと久々なのよ。兄妹でなんとかしなさいよ、役に立たないわね〜、あんたらはいつも」
彩香の返答も負けていない。円眞が感じ取れるほど、空気がまずくなった。
思わぬ仲間割れから生まれた隙を敵は見逃さなかった。
ミゲルの拳が、円眞に抱きついて離れない彩香へ襲いかかる。
倒すべきは、ただ一人だ。日本刀を振り回す女さえ始末できれば、この場の主導権が還ってくる。標的が男に呆けている今がチャンスだった。
ガキッ、と重くて鈍い響きが立つ。
肉を捉えていたなら立たない音だ。金属同士のぶつかり合いだ。
ミゲルのカイザーナックルは、同じカイザーナックルに阻まれていた。
同じメリケンサックを嵌めた拳の激突。相手の能力を消すミゲルの能力が、優劣を純粋な肉体的強さへ持っていく。
ならば負けるはずがない、と信じていたミゲルに声を上げずにはいられない激痛が走る。吹っ飛ばされての後退を余儀なくされた。
ほっほっほぅー、と激突した相手は奇妙な笑い声を立ててくる。禿頭の初老に見える顔立ちにはまだ余裕があった。
「このうっちーと同じ技にして、その威力。なかなか見どころがある若者ですな。もし女性だったら弟子にしたいくらいですわ」
自ら愛称で名乗る内山爺がしゃべり終われば、再び例の奇妙な笑い声を立てた。
間一髪のところを救われた彩香は、さすがに少し反省したようだ。ようやく円眞から離れれば、ぺこりと頭を下げる。
「すみません、うっちーさん。ちょっとはしゃぎすぎてしまったみたい」
「いえいえ、このうっちー。世界にいる女性の半分とやる夢を持っておりますから、助けて当然ですな」
内山爺らしい物言いに、笑みが浮かぶ円眞だ。もっともかつて一緒にいた女性が聞いていたら、きっと引いていただろう。変態的なスケベさに顔をしかめていた碧き瞳の彼女が思い出される。
忘れられない初恋の人。円眞はそれを守るために生きている。
円眞は気を入れ直した。砕けた右拳を抑えるミゲルと寄り添うエンゾへ対峙する。訊きたいことは多い。
きゃー! と悲鳴が降ってきた。