最終もしくは始まりの章:世界の敵ー下ー
双眼鏡から覗く光景は、火の剣に貫かれた黒焦げ屍体に群がる黒き怪物たちだ。屍肉を漁るバケモノは与えられた餌の数だけ出没してくる。吐き気を催すおぞましさであった。
「さすがにこれだけ出てくると、気味悪いわね」
目当てから離したセーラー服の青白い少女が振り向いた。
「あれー、楓にもそんなふうに感じることがあるなんて、かわいいねー」
揶揄するように隣りに立つ女子学生のブレザーを着用する真琴だ。
ふん、といった調子で楓は答える。
「あたしは中身までゾンビにならなかったから苦労しているんじゃない」
「だから、あたしら友達になれた。良しだね」
真琴のさりげなくも大事で大切な指摘だ。だから楓はツッコめない。リアクションに困って再び前を向いて双眼鏡へ目を当てた。
「でもあのバケモノたち、楓ちゃんを襲うこともあるからな。流花としては、放っておけないよ」
自らの名を呼称する、黒いドレスを着たこの世における最高の美少女は憂いを示した。
この奇妙な美少女三人組は、ビルの屋上にいる。
真紅の瞳の円眞によって殺戮場と化した開発予定地を、双眼鏡を使用すれば一望できる場所で事の推移を見守ってきた。正確にはヒューマノイドの真琴と、常人以上に視界が利く流花は何の助けにも依らず眺めていた。
逢魔街で発生する黒き怪物が屍体をむさぼる姿は、気の弱い者が見たら卒倒しそうだ。常人なら目を背けたくなる状況にも、流花は冷静さを崩さず懸念を口にした。
「群がるのは屍体だけだったのに。動く者まで襲うなんて、なかったんだけどな」
「いつまでも便利な屍体の後始末屋としては置けないという感じね」
そんな楓の横に立った真琴は、表情も口調も変わらず先を思い遣る。
「この頃は見境なく襲うことが増えてきたね。なんだか段々ヤバくなってくるね」
楓も真面目に相槌を打った。
そんな二人に背後から抱きく流花だった。
「楓ちゃんを襲うのが、問題だよー。人間なんか、どうなっちゃってもいいけどさ」
「あんた、そんなこと言っていると、お姉ちゃんに叱られるわよ」
背中越しで、楓がたしなめる。
えへっといった感じで流花は楓と真琴の間を割って前へ出る。ビル屋上の欄干へ背を預ければ、楓と真琴に向き直った。
「でも、これで呼ぶ理由が出来たよ」
「逢魔街の神々の帰還といったところだね。久々に会えるのが楽しみね」
真琴が嬉しそうである。
楓は慎重な態度を崩さない。
「ねぇ、流花。判断を間違えると盟約違反だけじゃ済まされない問題になるのは解ってる?」
「大丈夫だよ、楓ちゃん。黎銕くんは、間違いなく予見された存在だよ。もしかして義兄さん匹敵する唯一の存在かもしれない」
答えた流花が、にこりとする。世にある者の目を一心に集めそうな笑顔だった。だが、忽ちにしてかき消えた。
誰! と叫ぶ流花は美しくも悪魔の形相だ。
「やっぱり魔女を名乗るなら、そっちの顔がお似合いだぞ」
いつの間にかビルの屋上に備えられた手すりの上に立っていた。
白銀の髪を揺らす少年だ。幼さを残す顔立ちに不似合いな不敵な笑みを浮かべている。着用するカソックにも似た服の胸元に『WSA』の文字が踊っていた。
「なにし来たの、マテオ」
敵慨心丸出しの流花に『マテオ』と呼ばれた少年に見える人物はわざとらしく肩をすくめた。
「ご挨拶だなー。我が兄が組織する者たちによって黎銕円眞の正体を炙り出せただろう」
「自分たちのためであって、流花たちことなんか関係ないくせに」
流花の断定に、白銀の髪をした少年は笑みを収めた。
「いや、まさかだったよ。日本の例えならヒョウタンからコマっていう感じさ。けれどこれでようやく目的が果たせる」
「異能力世界協会が全面的に乗り込んでくるんだ」
据わった目つきを送ってくる流花に怯むことなくマテオと呼ばれた者は静かな口調で答えた。
「どうだろう。たぶん我が兄サミュエルは自らの手による決着を望むだろう。そっちだって『神々の黄昏』のメンツなら、自らの手で八つ裂きにしてやりたいと思っているだろ」
じゃ、早いもん勝ちということで! と言い捨ててマテオは去っていく。一瞬にして白銀の髪をなびかせた姿は消え失せた。
「厄介なのに知られちゃったな、急がなきゃ」
そう言って向ける流花の視線の先には、雪南を背負い歩く円眞がいた。
「ずっと待っていたよ、黎銕くん。流花たちが必ず殺してあげるからね」
円眞は逢魔街の魔女と呼ばれる最上の美女にも、あずかり知らないところで殺害を予告されていた。
こうして黎銕円眞は、世界の敵となった。