第10章:真実の紅ー002ー
「なんですって!」
頓狂の叫びは、対象である円眞ではなく、控えていた壬生からだった。寝耳に水であるのは、部外者である円眞でさえ判る。狼狽を隠せぬまま突っかかっていく。
「どういうことですか。彼は世界の大罪人を庇いだてする邪魔者ではないんですか? 貴方がたは、いったい何を考えて……」
「まぁまぁ、壬生さん。そういきり立つなって。俺たちもアンタと同じ、いろいろ上からのお達しがあるんだよ」
ラウドがわめく相手の肩へ野太い腕を絡めてはなだめる。
壬生からすれば大柄な体躯に絡め取られた感だ。資料通りの怪力であれば、その気になられたら自身など簡単に捻り潰されるくらい察しがつく。それに先ほど円眞の刃から間一髪で救ってくれたこともあり、あまり無下な態度も取れなかった。
ノウルは円眞から、ラウドの手の内にある壬生へ方向を変えた。
「壬生さん。ラーダの件において我々を巻き込むような、貴方がたのやり口には不愉快を禁じ得ません」
静かゆえに断固たる強さが滲んでいれば、壬生は押し黙るしかない。
ノウルは、再び円眞へ向き直った。
「世界は、スキル獲得者に対する偏見で満ちています。けれどスキルを悪用する者が絶えない状況では致しかありません。ならば同等の能力を有した者が取り締まって、世間の信用を得ていくしかないのです」
「世界を保つ均衡というわけですか」
円眞の反応に、ノウルは満足そうな面持ちだ。
「ええ、けれどその道は険しい。取り締まれるだけの高いスキルと、何より義に準じれる正しい心持ちを必要とします。該当する者はそう滅多に巡り会えるものではありませんが、黎銕円眞は両方の条件を満たしています。我々の組織『WSA』が欲する人材なのです」
スカウトしてくるノウルと他の三人が着用するカソックに等しい服装。ただ神父ではないことを決定づける点は、胸に装飾された『WSA』の文字である。異能力世界協会のアルファベット略が立ち位置を示していた。
「……もし」
円眞はどもらない。
ノウルを初めとするこの場にいる全員が注目する。
「もし、ボクが貴方たちの誘いに乗ったら、雪南はどうなりますか?」
「黎銕円眞とラーダ・シャミルの件は別です」
慎重さを窺わせるノウルの声調だが、内容はにべもない。
円眞は答えるより、腕の中へ視線を落とした。
シミーズ一枚まで衣服を剥がれた少女は、顔だけでなく全身にまで痣が及んでいた。どれほどの殴打が繰り返されてきたか。想像するだけで震えが走る。
うっ、と見つめた顔から声が洩れてきた。腫れ上がった瞼がゆっくり開く。碧い瞳を覗かせてくる。
円眞は雪南の名を連呼した。
「円眞……」
意識を取り戻しつつある雪南が、碧の瞳にこれ以上にないほど喜色を湛えてくる。
けれども頭がはっきりしてくれば、たちまちにして眉根へ険しさを刻んだ。痛む右腕で円眞の胸元を掴んでは叫んだ。
「バカ、なんで来たんだ。ワタシを庇うことが、何を意味するか、分かっているのか」
「わかっているよ、そんなこと」
「わかってない。なんにもわかってないぞ、円眞は」
雪南の激しい訴えに、ノウルが割り込んでくる。
「ラーダ・シャミルは現状をよく理解しています。世界の権勢を握っていた人物を、スキルをもって殺害してしまうなど、もはや逃れようのない罪です。その身で贖うまで、世界中の標的であり続けます」
「わかっただろう、円眞。ワタシはいいんだ、殺されて当然なんだ。円眞まで危険な立場にはさせたくないんだ、わかってくれ」
雪南のシャツを握る手に力がこもっている。
円眞は短剣を消した左手を胸元へ持っていく。胸ぐらと掴む細くて小さい手に重ねた。
「そんなのわからないよ、ボクには」
「円眞を巻き込みたくない。その気持ち、わかってくれないのか」
「わかるわけないじゃないか、だってボクは雪南を……」
少し間を置いてから円眞がささやく。周囲には聞こえない小さな声で。雪南には届く確かな大きさで。そっと二人だけを包み込む空気が、そこにはあった。
みるみる碧い瞳に涙が溢れていく。
「バカ、なんでこんな時に、そんなことを言うんだ」
涙が頬を伝うまま雪南は、円眞の胸へ顔を押し当てる。
円眞もまた抱き寄せずにはいられなかった。
「おいおい、学芸会はそこらへんで終わりしてもらえねーか」
無粋に打ち破ってきたのはラウドだった。エレファントナイフを肩に置く大柄な能力者には、嘲笑を満面に湛えている。これだからガキは嫌だぜ、と吐き捨ててもいた。
窓口となっていたノウルも尊重する態度を崩さぬものの、厳しい声で訊く。
「黎銕円眞さま、最後に今一度尋ねます。世界を守護する我々の仲間になりませんか」
円眞は顔を上げた。質問者へ向ける顔つきから答えなど聞かずともだ。それでも言葉にして伝えた。
「ボクは雪南のために生きます」
残念です、とノウルが呟いていた。
ラウドと唯一の女性であるエルズの口許には、笑みが閃く。嬉しくてしょうがないとする表情は、当初から円眞を仲間とする意思がなかったことを如実に示していた。
残る一人の小柄な男であるパウルは無表情だ。声もなく手したボウガンの引き金に指をかけていた。
円眞は雪南を抱きかかえ、ゆっくり立ち上がった。
そして、気づく。
いつの間にか大勢に囲まれていた。
ここへ来るまで相手にしてきた黒づくめ者たちと立場を同じくするに違いないが、装備が違った。色彩は変わらずとも、スーツから重々しい防護ジャケットへとなった出立ちだ。見た目通りなら、ここまで相手してきた者たちより強化されていることだろう。
「オマエは誘い込まれたのさ」
ラウドが手にする大柄なエレファントナイフを振り回しながら言ってくる。
「自分で来たつもりなんだろうが、こっちからすれば準備万端な場所までわざわざ来てくれて、ありがとうってとこだな」
「じゃあ、ここへ来るまでに襲ってきた人たちは」
「難しかったぜ。弱すぎたら信憑性がなくなるが、かといって倒せるほど強くても困るからな。渡す装備には悩まされたらしいぞ」
「初めから捨て駒にするつもりだったわけですか、酷いですね」
左手に短剣を発現させる円眞は、ラウドを睨みつけた。
おいおい、と睨みつけられている相手は呆れていた。
「これもオマエを仲間にするためだぜ。誰にもジャマされず話し合いの場を設けようとした、ノウルの気苦労も考えてやって欲しいところなんだがな」
「まぁ、いいじゃない。ノウルには悪いけれど、この四人のフォーメーションに割り込まれたら面倒が、私らの本音じゃない」
会話に入ってきたエルズは、美女には違いないが口元に酷薄さを常に貼り付けていた。悪女といった印象を滲み出している。続けて吐く言葉も毒そのものだ。
「けれど残念ではあるわ。聞いていた話しと違って、単なる坊やじゃない。潰しがいある抵抗はできるわよね?」
「どうだかな、女を片手にやり合おうって言うんだから、よっぽどナメてるんだろ」
ラウドの応じる言葉が終わるや否やだ。
円眞は左手にした短剣で目前に迫った両刃の戦斧を受け止めた。
「おっ、反応はいいみたいだな」
エレファントナイフを振り下ろしたラウドは、かち合う視線のなかで感心している。だが顔つきには余裕を閃かせていた。
「けれど、これはどうだ」
押し込んでくるエレファントナイフに、円眞は弾かれる。地面へ足跡を作る後退りを余儀なくされた。
刃が飛ばされることはなかったものの腕力負けした円眞だ。くっ、ともらす声が手強さを表明していた。
「なんか、微妙だな。本当に、こいつ強いのか」
ラウドの嘲るではなく真面目なだけに、円眞の劣勢ぶりが際立つ。
エルズは嘲笑を滲ませた。
「組織最強の剛腕と比べちゃ、かわいそうじゃない。この坊やが強いって言ったって、所詮は街の中よ。世界中から集められたメンバーのうちでも精鋭の私らとは、実力が違って当然じゃない」
「それはそうなんだがな。でもここまで待って、ようやく力をぶつけられた相手だ。手応えくらいあって欲しかったぜ」
ラウドは、すっかり興味が失せた態だった。自ら挑む意義が見いだせなければ、円眞を取り囲む重装の黒づくめ集団へ合図を送る。
やれ、と。