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第9章:所縁ー002ー

 いくら円眞(えんま)でも神経を研ぎ澄ませていなければ、彩香(あやか)の太刀筋は見切れない。


 円眞が気がついた時には、すでに刀の鋒は捉えていた。

 頭上に覆い被さっていた黒き装備に身を包んだ者を。

 彩香の日本刀に押し返されるよう吹っ飛んでいく。

 それを抱き止める同装備の集団だ。


 円眞の所在は突き止められていた。


「あら、本当にスキルに対して、手を打ってきたみたいね」


 元に戻った彩香が感心したように言えば、黒づくめの集団からスピーカー越しの声が上がってくる。


「見ての通り、我々には貴君らのスキルは通用しない。おとなしく投降すれば、危害を加えるつもりはない」

「ありがたい申し出じゃない。けれど、この街でこの時間に他人の言うこと素直に聞いていたら、いくつ命あっても足りないのよね」


 彩香は刀身を掲げて言い放てば、スピーカー越しの声が返ってくる。


「我々のスキルは、義によってのみ行使するものである。貴君の周囲とは違って、我々は信用に値する行動を約束しよう」

「よく言うわ。それだけ私らに対抗した装備で固めて、えんちゃんを不意打ちして、何が信用よ。聞けばクロガネ堂へも差し向けたらしいじゃない」


 えんちゃん、と彩香が前方を見据えながら呼んだ。


「心は一緒だから離れ離れでいいなんていうのは、真っ平なのよね。現金だから、私。そばにいてこそなの。えんちゃんなら、よくわかるでしょ」

「うん、そして優しいところも」


 てらいもなく述べる円眞に、微笑を湛えながら彩香が力を込めて訊く。


「本当にいいのね、えんちゃん、それで」

「決めたんだ、雪南(せつな)のこれからを作ってあげるって」


 円眞の決断を噛み締めた彩香が、少し笑いを含んだ声で伝える。


「じゃ、捨てられると我を失い襲撃したお詫びで、この煕海彩香(ひろみ あやか)は全力をもって黎銕円眞(くろがね えんま)を支援するわ」

「な、懐かしいフレーズだね。ボクがこの街で生きていくと決めた時に、言ってくれた時のことを思い出した」

「だって、えんちゃん。殺されるなら私だって返してくれたじゃない。本当に嬉しかったんだ。だから……」


 だ、だから? と円眞が鸚鵡返ししたらである。


「ちゃんと生きて帰ってきなさい。あの女が作った損害分は、結局私らでどうにかしなきゃならないんだから」

「で、でも帰ってきたボクは、とんでもない危険をしょいこんでいるかもしれないんだ」

「いいんじゃない。どうせこの街以外には住めない私らだもの。地獄の道連れなんて、別段に驚くことでもないわ」


 平然と言ってのける彩香だ。

 それに円眞が返事するより早く、スピーカー越しの声がした。


「どうやら大人しく投降する気はないようだな。これから我々は実力行使へ向かう」

「あらあら、人の話しを盗み聞きできるスキルを持ったヤツがいるみたいじゃない。はっきり言わせてもらうけど、あんたら」


 彩香が黒づくめ集団へ、冷えた怒りを投げた。


「すっごくムカつく。えんちゃんと二人だけの大事な思い出を聞かれては、生かして帰せないわ」


 黒づくめ装備の一人が飛び出してきた。先ほど円眞を襲い、彩香の刀に押し返された者だ。右手に持つ護身棒によく似た武器へ能力を注ぎ込む強化系だろう。

 ただの棒も叩けば、頭を粉砕するくらいの威力まで増幅していそうだ。


 彩香は襲撃者の振り上げた棍棒をかい潜った。対能力として身を包むレザースーツらしき服装の腹部へ日本刀を突き立てていく。

 つい今さっき、彩香の刀から切れ味を奪ってみせた対能力用装備である。

 だからである。

 黒づくめの身体を貫かれ背中から刀身を見せれば、黒づくめ集団は驚きの声を抑えられない。信じられないといった趣きの表情が、シールド越しでも伝わってくるようだ。


 彩香は日本刀を振った。

 突き刺さっていた死体を投げ捨てると共に、刃の血も吹き飛ばす。一滴の赤もまといついていない、見事な振り払い方だ。


「なぜだっ」スピーカーから溢れてきた声は、思わずであっただろう。


 口許に冷笑を浮かべる彩香がいた。


「見込みが甘かった、ということよ。この街の、この時間の情報で持ち出せるのは、せいぜい見聞きしたものだけだもの。形としてのデータは、なぜか消滅するってことはあんたらだって知ってるでしょ」

「我々の装備は地道な収集を行なった結果を反映したものだ。一日一昼夜で完成させたものではない」

「て、騙されたわけね」


 彩香は笑いが堪えきれないといった態だ。

 スピーカー越しの声が、初めて感情を混えてきた。


「現に華坂や多田のスキルには対応できていると報告がきている。我々の装備は、決していい加減な代物ではない」

「ご老体のスキルに関しては、どうせこの街で手に入れたものではないでしょ。第一、私の威力を見誤っているじゃない。ちょっと力を入れただけで、あんたらの装備なんて役立たずよ」


 スピーカー通しの返事はない。

 彩香は刀を突き出した。


「どきなさい、あんたたち。その程度じゃ、私はもちろん、えんちゃんの斬撃にも耐えられないわ。命が惜しかったら、さっさと放り出してこの街から去ることね」

「そうはいかない。我々には大罪人に相応の報いを受けさせなければならない使命がある。そのためならば、時間稼ぎにしかならない盾であっても喜んで引き受けるのが我らだ」


 面倒だわね、と彩香が聞かせたい呟きは前方ではない。すぐ後ろに立つ円眞に対してだ。

 意図するところを読んだ円眞は、両手に短剣を発現させた。

 彩香は腰を落としながら右足を引く。戦闘の態勢へ入った。


「盾だなんて言うくらい酔っ払っているから、実力行使しかないわ。それにあの言い方だと時間もなさそうね」

「で、でも彩香さんを置いていけないよ」


 今さら甘いとされることを口にする円眞だ。


 続々と黒づくめ装備を施した者が合流を果たしてきている。

 能力の差は歴然だ。彩香(あやか)へ攻撃が届く者がそうそう現れるとは考えにくい。

 ただ彩香の能力は斬撃の威力や、刀の鋒に触れたものを粉砕するところにある。一対一の戦いには絶対的な強靭さを誇るものの、多数相手には有利に働かない。    

 敵がそう簡単に彩香へ傷など負わせられないことは解っている。けれども、たった一撃でもヒットすれば、状況を一変させる可能性は高い。


 黒づくめ集団も理解していた、というよりそれしか策がなかった。

 一斉に襲いかかってくる。

 手にする物は刃物系であったり、棍棒系であったり、鞭系も混じっていたりとさまざまだ。

 彩香の目にも止まらぬ太刀捌きと、円眞の二刀流がことごとく攻撃を退けていく。

 ただ斬っても斬っても、次々と後ろから代わりがやってくる。


「まったく、こいつら。きりがないわね」


 繰り出す刀の手を止めない彩香が、舌打ちするかのように洩らす。

 円眞の両手にあるのは、短剣なままだ。

 逢魔ヶ刻(おうまがとき)にある現在なら、刃を伸ばせる。

 伸ばせば、多くの敵対者へその実力を如何なく発揮することとなるだろう。手加減効かない長い刃が切り裂いていく。分断された屍体を量産する。


 父を含めた多くの人たちを殺害した、あの場の再現だ。

 大量の殺戮はやりたくなりというより出来ない。

 でも雪南のもとへ一刻も早く行かなければならない。ぐずぐずしている場合じゃない、と考えている時点で遅れを取っている円眞だった。


 彩香は、心得ていた。刀を振るいつつ、すぐ背後にある円眞へ囁く。


「えんちゃん、これから旋風百斬(せんぷうひゃくざん)っていう名前だっけ? あれ、やるから、そこから向かって」


 旋風百斬は、円眞の命名だ。凄まじきその技を初めて目にして、思わず冗談半分ながら感嘆するまま名前を付けた。

 彩香が面白がってそれを受け入れていた。今度、繰り出す際には声に出しながらやろうかしら、と笑いながら言っていた。笑いながら旋風百斬を放った直後に倒れ込んだ彩香だ。いかに体力の消耗を強いる能力であるか、円眞は知っている。


「だ、ダメだよ、そんなの」


 確かにこの場は切り抜けられるかもしれない。けれども技を使用した後の彩香が無事にすむとは思えない。


 だいじょうぶだって、と答える彩香は円眞と違い手加減はない。向かってくる相手を斬り伏せている。ここまで敵を始末していれば、温情の手が差し伸べられるなんて考えられない。

 雪南を救うために、危険な場所に彩香をたった一人で残して行く。円眞を行かせるため、力を振り絞らせてである。


 円眞は覚悟なんて付いていないことを痛感した。


「じゃ、えんちゃん、いい。私の後に続いて、一気に駆け抜けるのよ」


 彩香が能力を発現する体勢へ入ろうとしている。

 円眞は止めかける。そこですでに自分のため身を呈してくれたジィちゃんズの存在が頭を過ぎった。彩香を止めるは、ここまで切り開いてくれた道程を無駄にするということだ。

 もう引き返せないところまで来ていた。

 歯を食いしばるしかない円眞だ。


「えんちゃん、必ず帰ってきてね」


 彩香が背後へ投げてくる声は優しかった。まるで後ろに目が付いているみたいだ。


「彩香さんこそ、待っててくれるよね」


 いくわよ、と彩香が言ってくる。合図だ。返事はない。

 お互いが訊かれたことに答えないままだった。


 大振りで敵を引かせた彩香は、刀身を鞘へ収めた。けれど柄を握る手は離さない。呼吸を整えていれば、抜刀は時間の問題だ。


 彩香と正面から対峙する黒づくめ集団は、得体の知れない気配を感じ取ったようだ。だが退く選択肢がなければ、遮二無二に向かってくる。何かが起こる前に、と猛然たる勢いだ。


 円眞は大量の屍体が見たくないなどという自分を振り払おうとした。彩香を残して行くにしても、せめて自分の手を汚そう。そう決心した時だ。


 まるで蜘蛛の巣に絡め取られた虫のような状況が起こっていた。



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