第8章:決意ー002ー
昨日にもたらされた情報は決断を迫るものであった。
寛江が教える巨大な力の始動。標的とされた雪南を取れば、周りへ迷惑どころではすまない事態が及ぶかもしれない。けれど簡単に見捨てられるはずもない。
傍目からも知れるほど苦悩する円眞に、黛莉が見かねたように声をかける。
「あたしらのことなんか、気にしなくていいのにー。第一、あのバカ、どこ行ったのよー」
「エンさん。結論はラーダ、いや雪南さんと会ってからにしてはいかがですか」
年の功といった寛江のアドバイスだ。
確かにそうかもしれない、と円眞は気を持ち直す。
黛莉はツッコむように寛江へ向かっていった。
「だからあたしたちは最初から、あんたがあいつの居場所を知らないか訊いてるんじゃない、もう」
これには寛江が申し訳ないとばかりの顔となった。今日はいつになく表情が動く。本来の性質はこちらかもしれない。
「私からすれば、雪南さんの行方は傍にいたエンさんこそ見当がつくのではないか、と考えています」
「そ、そう言われても、ボクなんかじゃ……」
「最後を覚悟した雪南さんが、残った時間を何に使うか、思いつきませんか。心残りなどです」
寛江の的確な指摘に、円眞ばかりでなく黛莉までも考え込む。
あっ! と叫んだ黛莉と同時に円眞も、はっと顔を上げた。
「そ、そうよ。あいつに心残りがあるとしたら、ここじゃない」
黛莉が見渡す店内に、円眞も大きくうなずいて見せた。
真新しい箇所が散見できる内装に、品薄な商品陳列棚である。こうなってしまった原因は雪南に全て帰する。
クロガネ堂を滅茶滅茶にした責任を果たしていない。
雪南は弁済で償うつもりでいた。店に勤務することで返す手筈だった。
それが叶わない。けれども返したい。時間がない中で、少しでも多く弁済金を作ろうとしたら、彩香が最初に言っていた方法である。
ともかく片っ端から当たるしかない。
まず円眞は備品を納入することもある店へかけてみた。以前にある事件で手助けした経緯もあり、連絡しやすい唯一の風俗店だ。
円眞としては、情報をもたらしてくれるよう頼むつもりだった。入店してくる女性についてあれこれ訊いてこられれば、警戒しない店はない。自分でこれから電話しまくるつもりだが、伝手も必要だ。なり振り構わず訊ねていくつもりだった。
まったくの幸運だった。
円眞と商売上で繋がった唯一の風俗店へ入店を申し込んでいた。雪南の特徴を述べていたら、向こうから教えてくれた。黒髪の碧い瞳など、そうそういる者ではない。他の点も確認していけば、間違いなかった。
その場で、明日一番の予約を入れた。
「せ、雪南が来るそうです! 良かったぁ〜、こんな早く見つけられるなんて思わなかった」
電話を切った円眞は、嬉しさを隠せないまま前にいる二人へ目を向けた。
一緒になって喜んでくれる、と円眞は思っていた。だから、ちょっと当惑した。
良かったじゃない、と黛莉が素っ気ない返事と共に背を向けた。
「じゃ、クロガネ。しっかり、やんなさい。なんかあったら、連絡ちょうだい」
そう言い残して黛莉は、すたすたと行ってしまう。
今日はありがとう、と円眞は意識して張り上げた声をかけるが精一杯だった。
不可解な様子を隠せないまま見送る円眞に、寛江は苦笑いしっ放しだ。
「いくら最凶と言われても、複雑な乙女心は隠しきれないようですね」
「な、なにがです?」
訳がわからないといった円眞に、寛江は肩をすくめるみたいな口調で答えた。
「和須如黛莉さんは、エンさんに想いを寄せているようにお見受けしますが、違いますか?」
そ、それは……、と円眞の返答は濁る。アパート襲撃の際に黛莉から告白されていた。
「さすが好意を抱いている男性が風俗へ行くとなれば、心穏やかではいられないでしょう。況してや、相手は雪南さんです」
「ボ、ボクはちゃんと雪南を迎えに行くだけです。遊びに行くんじゃありません」
言った円眞自身が思いがけないほどの強い語調だった。
「ええ、分かっています。エンさんの生真面目さは充分に理解しています。でもだからこそなんですよ」
謎かけめいた寛江の返しだ。
だがこの時の円眞にとって大事なことといえばである。雪南を連れて帰ること。それを第一とすべき状況だと充分に承知している。余計な杞憂は無用といったところだった。