第7章:忘れられるはずもないー003ー
衝撃は重かった。事態は円眞が考える以上に進行している。
声を失った円眞に代わって、黛莉が訊いた。
「なんで、あんたが知ってる……て、聞いても無駄か。じゃあ、あいつ、雪南が誰に、どこへ呼び出されたか、言える?」
「場所はまだ分かりませんが、明日にはお伝えできるかもしれません。けれど相手に関しては、今この場でお伝えできます」
誰よ、と黛莉が即座に問い質す。
円眞も固まったまま答えを待つ。
「異能力世界協会はご存知ですか?」
「知ってるわよー、あたしとアニキをスカウトしに来たもん。クロガネのとこには来なかった?」
訊いた相手は、黛莉の予想外な返事をしてきた。
「黛莉さんって、夬斗くんを『アニキ』と呼ぶこともあるんだね」
しまったという顔を思い切りしてしまった黛莉が慌てて言う。
「たまによ、たまに。いつもは『お兄ちゃん』じゃなかった『お兄さん』よ、お・に・い・さん。なに、疑ってんの、クロガネのくせに」
「べ、べつに、そういうわけじゃないけど……」
円眞にすれば、『お』は付けずの『兄さん』ではなかったか。それ以前に、何へこだわっているのか解らない。ただ黛莉が強調すればするほど怪しげになっていくから、不明な態度を取ってしまう。
さらに円眞へ詰め寄ろうとする黛莉を止めるため寛江が話しの続きを紡いだ。
「和須如さんのところへスカウティングが来ていましたか」
「きたきた、あたしらの能力を世界の正義を守るために役立てないかって、いかがわしいにも程があるわ」
すっかりいつもの砕けた口調に戻っている黛莉だ。
寛江の目には興味深げな色が走った。もっとも外からは感じ取らせない微かさだ。
好奇心を露わにしたのは、円眞だった。
「そ、それじゃ、黛莉さんも夬斗くんも断ったんだ」
「あったりまえよ。あたしら世界征服が目標なんだから。普通に考えれば、敵にしかならないじゃない」
そ、そうだよね、と素直に感心する円眞だ。
「それで和須如さん、断った際に問題はありませんでしたか」
寛江が話題を引っ張った。円眞に任せていたら、ここで話しが終わってしまう。
「べつにー、話してしていたのはアニキ……兄さんだから、そこは上手くやったんじゃない。まさか世界征服について言うはずもないし、言ったとしてもまともに受け取られるわけないじゃない」
「その様子だと、世界協会は逢魔街に、かなり入り込んでいそうですね」
どういうこと、と返す黛莉の声はどすが効いている。
「協会なら通常、拒否した能力者を放って置きません。処分に向かわないならば監視の方向へ舵を切ったか。いや、あるいは……」
話しの途中で考え込んでしまった寛江である。
もちろん黛莉が大人しく待つわけがない。
「ちょっとー、黙らないでしょ。あんた、雪南について、なんか教えてくれるんじゃないの」
珍しく寛江が表情を見せた。すみません、と謝る口許は苦笑いを浮かべていた。
「そう、ラーダのことでした。協会の活動の主とするところは、能力を使用して人類へ仇なす者の処分です。もうお判りでしょう」
「雪南を捕らえにやってきたのは、協会だということですか」
円眞の目が据わってくる。だからといって寛江のペースは淡々だ。
「捕縛はないでしょう。逢魔街において無法が許される時間帯を指定してきたからには、抹殺であることは間違いないと思われます」
椅子を蹴って立ち上がった円眞は、今にも駆け出しそうだ。
それを抑えるかのように、寛江が続けた。
「ラーダを始末すべく世界中から暗殺に携わる者が集まってきていました。そんな彼らを協会が掌握し組織立てては装備を施しています。来たる妨害へ備えて」
「ずいぶん準備しているみたいね」
黛莉の声に、寛江は立ち上がったクロガネ堂の主人の目を見て言った。
「彼らは確信しています。黎銕円眞が乗り出してくることを」
円眞もまた寛江の目を見返した。しばらくそのままでいたが、やがて落ち着きを取り戻したかのように腰を降ろした。
「闇雲に動いても、どうにもならないところまで来ているんですね」
どうやら冷静に還れたようだ。組んだ両手を顎に当てる円眞は必死に考えを整えていた。
脇に立つ黛莉は励ますように申し出てくる。
「あたしなら、手を貸すわよ。クロガネとあたしが組めば、そうそう敵なんていないわよ」
「それは、どうでしょうか」
寛江が否定を匂わしてくる。ケチを付けられた黛莉が睨めば、答えを返してきた。
「今回は、単なるスキルの優劣で済まない気がします。協会が和須如兄妹の状況やスキルを把握していないわけがありません。しかも殺害されたセデス・メイスン氏が運営していた『SPERI』も乗り出してきています」
「なによ、そのエスピーなんとかって」
「スキルや能力などと呼ばれるようになった異能力を解明する為の私設研究所、というのが表向きの名目です」
「じゃあ、本当は?」
「スキル獲得者もしくは能力者などと呼ばれる異能者の撲滅です」
すかさずの反応はしなかった。出来なかった、と言ってもいいかもしれない。それでも『最凶』と評判の黛莉である。
「うっかり信じこむわけにはいかないわね。そんな重要なことを、あたしらに打ち明けていいこととは思えないもん。もしかして焚きつけかもしれないしね」
「さすがですね。ここに住む者ならば、こんな話し、簡単に受け入れていては生き残れません」
疑われたにも関わらず寛江が黛莉を見る目には満足感すら漂っている。
「で、でも、まるきりウソでもないんですよね」
円眞もまた無関心でいられるはずがない。
謎めいた微笑の寛江が答える。
「組織の実態はさておき、問題は協会とSPERIが手を組んだことです。本来なら相反する者同士が、なぜ力を合わせることとなったか」
「その理由がクロガネってこと」
「と、手を貸すであろう周囲の能力者に備えてであろうことは疑い得ません」
黛莉に返す寛江からは、いつの間にか微笑は消えていた。
円眞には言葉が見つからない。頭を抱えている状態に等しかった。
円眞の動き次第では、どんな事態を招くか解らない。今まで例がない規模で送り込まれてくる刺客だ。しかも大義名分はあちらにある。
こちらは円眞の、個人的感情のみである。黛莉や夬斗に彩香、華坂爺たちは巻き込めない。
「上等じゃない」と吠えた黛莉でさえである。
「本当ですか」と鋭く問い返してきた寛江には声を詰まらせた。
「どうすれば」と円眞は自問せずにはいられない。
なにもかも失って居ついた街で、必死に追い求めた一年だった。なぜ父殺しまで至ったか。本来なら殺されて然るべき自分が、逢魔街の謎に助けられる形で生き残った。何百何千という命と引き換えにである。犯した殺戮の重さに耐えられたのは、ただただこの街を知りたかった。ようやくヒントをくれそうな人物とも昵懇になれそうな機会を得た。
けれど……。
魔女のお付きである楓と真琴の襲撃を退けてから見つけたあるビルの屋上で、佇んでいた彼女は振り返る。背では緋く染まる空が、華奢な身体を影へ落とし込んでいた。
けれどいくら姿形が暗き中へ没しようとも、円眞は確かに見た。
「さようならだ、円眞」
そう告げてくる雪南の表情を忘れるなんて出来やしなかった。