第9章:対抗する者ー002ー
恐れはなかった。
無限に分かれる刃を駆使する能力が自身へ返ってくる敵の攻撃だ。黒きヘルメットとスーツに身を固めた者たちが刀を突き立てていく。
閻魔は見開いた黒き瞳に、向かってくる切っ先を写していた。
目を閉じるなど、最後の自負が許さない。無力となった能力者となっても、矜持は胸にある。
たった一つだけ残念と言えば、見届けられなかったことだ。
平穏な生活を送れる状況まで持っていきたかった。
翳りなく笑う顔が見たかった。
最後と、閻魔は幸せを願い請う人の名を口にしかけた。
さっと目前を覆う白い影だ。
髪の長い女性の形をしている。
閻魔に届くはずの多数の刃を一身に引き受けていた。
苦鳴が響く方向へ閻魔は目を向ける。
開いた天井から文字通り降ってくる。
誰などと確かめるまでもない。
閻魔もまた万全から程遠ければ、腕を伸ばして捕えると同時に膝は落ちた。
「雪南!」
叫ぶ閻魔が抱きとめた女性の吐く息は切れ切れだ。
雪南の能力は放つ代理人体のダメージが衝撃として戻ってくる。
差し向けた真っ白な女性が身体中隈なく刺し貫かれた痛みは雪南へ還元される。怪我が癒えていなければ、苦痛は相当なはずだ。
それでも雪南は閻魔の腕のなかから笑いかける。
「……良かった……間に合ったみたいだ……」
声を振り絞った後に、げほげほと咳き込んではぐったりと顔を落とした。
雪南、雪南! と懸命に呼ぶ閻魔の横で、大太刀の餌食となった白い女性の人影が消えていく。
「とんだ邪魔が入ったね。けれども結果は変わらないよ」
憬汰とする人物が無情を隠さず、じりっと近づいてくる。
閻魔は上げた顔を向けた。頼む、という意外な言葉を出す。
相手の足が止まったところで、頼みの続きをした。
「雪南は見逃してくれ。そのためなら余は黎銕へ下ろう。雪南の無事を約束してくれなら、余は喜んでオマエたちの材料となろう」
くっくっくっ、と憬汰とする人物が、今度はシールド越しに笑いを立てた。何度聞いても神経を逆撫でする嫌な響きだ。
「そんな小娘のためならば、簡単に懇願できるんだね。息子があまりに安っぽい男となって、父さん、がっかりだよ」
「キサマから何を言われようが、余は構わん。それより雪南の安全は約束してくれるな。そのためならば言うことに従うぞ」
一瞬の間の後だ。
シールド越しから急に苛立ったような声が挙がった。
「まったく、そんな女にナニ入れ揚げてるんだ。母さんのような素晴らしい女性にならまだしも、身体を売ったこともある汚い小娘なんかにうつつを抜かすなど、なんて恥ずかしい。それでも黎銕の姓を与えられた者なのか」
「キサマの考えなど、どうでもいい。雪南を見逃すな」
「するわけないでしょ。却ってエンマの未練を断ち切るために生かしておくわけにはいかなくなりましたよ」
ヒステリックな口調で寄越された回答だ。
憬汰とする人物の背後に群れなす黒き者たちからも殺気だった空気が伝わってくる。
「させぬ、それだけはさせぬ。雪南の生命を脅かすなど、それだけは許さぬ。余の身に代えてもだ」
くっくっくっ、と憬汰とする人物が嫌な笑いを再三に渡って立ててからだ。
「なら、エンマの前でなぶり殺しといきましょう。苦しみ悶え死んでゆくさまを目にやきつけさせてあげますよ」
言い終わるや否や、大太刀を掲げた。ためらいなく振り降ろす。
閻魔は咄嗟だ。
前腕をかざす、生身で刃を受け止める気だ。
残る腕に抱く雪南へ斬撃を届かせないためだ。
この一撃を腕を引き換えに凌いだところで絶望的な状況は変わらない。
けれども足掻かずにはいられない。
血飛沫を覚悟していた閻魔だったから、驚いた。
固い激突音がしても、我が身の異変が理解しきれない。
むしろ相手のほうが冷静に解釈していた。
「能力を取り戻しましたか、エンマ。小娘を守るために」
閻魔は具現化した短剣で刃を合わせる大太刀を払い押し戻す。
後ずさりを余儀なくされた憬汰とする人物だ。
だが大太刀を構える体勢は崩さない。
軽く手を挙げては、指を回す。
背後で控えていた黒き者たちが広がった。
正面だけでなく左右後方まで襲撃者を配置した。
油断どころか陣形を整えられては、ますます窮地へ追い込まれる閻魔だ。
せめて逢魔ヶ刻だったら戦いようがあった。
敵の数だけ短剣の刃を分けられれば、いとも容易く切り抜けられただろう。
円眞の延長にある閻魔が通常の時間帯で、それを可能とするか? 刃の伸長と共に逢魔街の不可思議な時間帯のみに使用可能となる能力だった。
やっと短剣の具現化に成功した自分が出来るだろうか。
弱気が走る閻魔は、ふとある考えが過ぎった。
紅い眼のヤツなら、時間や場所に関係なく、無敵の刃を発現する。ならば……。
「余も出来ぬはずがないではないか」
気を失った雪南をぐっとかき抱いた閻魔は立ち上がった。
憬汰とする人物が軽く手を振る。
襲撃の合図に、黒き者たちは大太刀を手に前へ出てくる。
防御ではなく攻撃するために閻魔は短剣を掲げた。