第8章:休息ー004ー
さすがにここまで来ると怒る気になれない。
はぁ〜、とため息を吐けば慰めてくれる親友も傍にいる。
「まさか夬斗だけに内緒だったとはな。我れもさすがに同情するぞ」
笑ってばかりはいられないとした焔眞が紅い目を向ける。
酔い覚ましと二人で出た庭で、夬斗は夜空を仰いだ。
「まったくよー、理解できないわけでもないけど、やっぱりさ。俺だけってないよな」
家族全員が食卓を囲む席で、父の慎平は右手を後頭部に当てて笑いながら言う。野田さんがぎっくり腰をやってな、とくる。
つまり頼りなる職人が当分となってしまった欠勤に、納期へ間に合うか不安視されたところへ焔眞と黛莉がひょっこり現れた。昔からたまに顔を出す焔眞には、ここの作業を仕込んである。神様の思し召しと縋るしかない。
そういうわけなんだー、と慎平が再び豪快に笑い飛ばす。
なにがそういうわけなんだよ、と言い返しかけた夬斗である。自分一人だけ秘密にしていた理由になっていない。
もし一番下となる妹が怯えていなければ怒鳴り気味に訊いていた。
まだ三歳の晴海とは、赤ん坊以来の顔合わせである。二十歳近く離れた夬斗を兄と認識するなんて難しいようだ。怒ってばかりでは、ただの怖いおじさんである。焔眞に懐いているようであれば、由梨亜と唯茉里が余計な策謀して悪役へ落とし込まれる危険性もあった。
仕方がないとはいえ、焔眞のほうがずっとこの家に馴染んでいる。
「まぁ、俺の不徳とするところが原因だしな。ろくに家へ寄り付かなかったから、しょうがないか」
ははは、と力なく笑う夬斗に、焔眞はぽつり洩らすように応える。
「わかっている。父上も母上も黛莉も、あの三つ子だって、夬斗が家族と距離を置くしかなかった気持ちは充分に理解している」
これには少し冗談混じりで返そうとした夬斗だ。けれど不意に襲ってきた衝動は涙を誘うものだった。慌てて堪えるあまり、普段では出せないようなことを口にする。
「友達って、いいもんだな」
しばしの間を置いた後だ。
「それは我れが先に言いたかったセリフなんだがな」
そうか、と夬斗は答えてから少し明るく「すまん」と加えた。
横に並ぶ焔眞もまた倣うように紅い眼を夜空へ向ける。
「父上と母上には本当に感謝している。友を、伴侶を与えてくれるなど、まるで我れのためのようではないか。もし夬斗や黛莉がいなかったら、かなり世界は変わっていただろう」
「どんなふうに変わっていたんだ?」
「神々さえ敵とする殺戮者が世界を混沌へ陥れていたな」
とても容易に想像が出来た夬斗だからこそ、すらりと口にした。
「でも、ならなかった」
そうだな、と夜陰に返事が挙がる。
急に可笑しさが込み上げてきた夬斗だ。
「それで和須如家の『一生奴隷』となるか。焔眞にとって本当に良かったか、ちょっと考えさせられるよな」
夬斗は夕餉後の事を思い起こす。
下の兄妹が自室に引き上げるなり寝つくなりすれば、居間に残るは五人だ。
うちの一人である焔眞が、いきなりだった。
床へ両膝だけでなく両手も付ける。頭まで付ければ、そのまま喋った。
「すまない。父上母上、それに夬斗にも。大事な娘を、妹を、我れの側へ引き込んでしまった。黛莉はもうこれで、いつ果てるか知れない生命となってしまった」
土下座をしている傍へ黛莉もまた膝を落とした。
「もういいよ、焔眞くんはそんなに気を病まなくていいんだよ」
「よくない。これから黛莉はここにいる家族だけではない。我が子でさえ見送る身になってしまったのだ。我れと関わったばかりに」
「あたし、覚悟できてるよ」
「そう言ってもらえて嬉しいが、やはり死を見届けることは辛いことだ。今はいい、けれどこれからずっと送る悲しみを味わせ続けていくのかと思えば、我れの罪は重い」
エンマくん……、と黛莉もその名を呟くだけだ。
ただし夬斗にしてみればである。当人たちには悪いが、つい吹き出してしまう。
同じ想いは両親もだった。慎平と夏海も続いて噴き出せば、三つの笑い声が居間に響く。
「ちょっとー、パパもママもお兄ちゃんも何が可笑しいの」
和須如家では逢魔街の最凶から真逆な人物像を見せる黛莉だが、これには抗議せずにはいられない。
「いや、わりぃー、わりぃー。でもほら、真面目すぎだろ、焔眞は」
理由を伝えてもなお笑いが止まらない夬斗に、両親も続く。
「突然土下座するから、何かと思えば、そこまで考えてくれていたとはな。そこまで父さん、想像したこともなかったぞ」
「悪いけど、親の立場からすれば、ちゃんと両親を見送りなさい、あんたたちの最期は知らないわ、というもんよ」
そうそう、と夬斗が同意している。
そうなのか、と焔眞が顔を上げている。
それを父の慎平は穏やかな表情で迎えている。
母の夏海だけが意表を突いてくる。
ごめんなさい、と泣き出していた。