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第7章:神々の戦いー001ー

 しとしと、細かい雨が全ての風景を濡らしていた。

 台所で洗い物を終えた黛莉(まゆり)は、不在なのに気づく。

 せっかく来られたのに、何処へ行ったのか。まさか黙って帰ったとは思えない。

 なんだか胸騒ぎがする。嫌な予感がする。


 焦慮に駆られるまま、リビングから出たところで目についた。


 ガラス戸の向こうに背を向けた人影がある。

 庭の隅に植えたオリーブ樹の傍に立っている。

 慌てて傘を手にして黛莉は出ていく。


「エンマくん、風邪ひいちゃうよ」


 駆け寄って傘を差し掛ける。

 紅い眼がゆっくり振り返った。

 びっしょり濡れた髪に、顔だ。

 理由は解らない。解らないけれど黛莉は確かに、ズキンッと自覚するほど胸の音を聞いていた。


 ラグナロク……。


 ふと洩らした一言を黛莉は聞き逃さなかった。


「エンマくん、なに? ラグナロクって」


 紅い眼が逸らされる。初めての仕草だ。

 いつもの黛莉なら相手を慮って訊かないとする常識的な態度を取っただろう。けれども今は自分でも驚くほど強く出た。


「ねぇ、どうしたの、エンマくん。ラグナロクって、なに? 言って」


 問い詰めている自分が凄く嫌なヤツに思える。それでも黛莉は、返事を待った。無理して話さなくていい、なんてしなかった。

 紅い眼にじっと見つめられ、鼓動がいくら早まっても目を逸らさない。


「ラグナロクとは、我れが殺戮者となった事象だ」


 ようやく開いた口から出てきた酷い事実だ。

 そうなんだ、と黛莉は今さらといった口調で返す。たった一言で済ませた。

 そのおかげで告白したほうが慌てている。 


「黛莉がぜんぜん驚いていないように見えるのは、気のせいか」


 う〜ん、と黛莉は唸ってからだ。


「エンマくんと初めて会った夜を思い出せば、そんなに驚かないよ〜」

「そうか、そういうものなのか。いや、待て。我れの話し方で下手で、事の重大さを告げきれていないだけかもしれないぞ」


 くすくす、傘を差し掛ける黛莉が笑ってくる。

 どうした、どうした、と紅い眼の円眞がまたもや慌てている。


「もう中学生なんだから、エンマくんの言うことは前よりずっと判るようになってきているつもりだよ。それよりちょっと調子が戻ってきたみたいで、良かった」


 微笑を掛け合わせた黛莉の声に、ふむと少し考え込むようなリアクションをした後だ。


「やはり黛莉は素晴らしいな。出会う前は、ただただ我れは絶望しているだけだった。ああ、そうだ、そうなんだ……」


 不意に黙り込まれた。

 黛莉は、待った。今度は相手が話す気になるまで、じっと傘を差しかけていた。

 きっと話してくれる、と思えたからだろう。

 その予感に間違いはなかった。


「我れが我れを許せないのは、結局は自身に負けていたことだ。殺戮は仕方がない、誰かが手を汚さなければならないことだ。だがそこまでして守った人類は、どうだ? 守る価値があったか。罪を背負ってまで守るほどの連中であったのか」


 陽は落ちて、辺りはすっかり暗い。

 電灯に照らされる降雨はひっきりなしだ。紗幕となって景色を霞ませている。

 はあ、と一息を吐いてから続きが紡がれた。


「ある日、思った。いっそのこと人類など滅ぼしてしまったほうがいいのではないか。気にすることなどない、殺して殺して殺し尽くして、大罪人となれば、我れの身を滅ぼす手立てを考える者も現れるだろう」 


 エンマくん、と黛莉が呼んだ。呼ぶ以外に言葉は出てこなかった。

 紅い眼が向けられてきた。


「殺戮した中には、仲の良い家族たちがいたかもしれん。いや、いただろう。我れは理由がどうあれ、行ったことに目を背けたかっただけだ。人類など滅びて当然としたのは、罪を誤魔化したいだけだった。情けない限りではないか」

「そんなことないよ。それにもしエンマくんがいなかったら、あたしは……」

「こうして今日、一緒に食卓を囲むことがなかっただろう。だがそれは我れのほうこそ有り難く、そして気づかされたわけだからな。人類を滅ぼすなどとしたら、黛莉の家族たちも殺すことになるのだ。そう考えられたおかげで答えは出せた」


 紅い眼が毅然とした光りを放っている。

 良かった、と黛莉の口から自然と溢れたくらいだ。

 霧雨がさらに激しくなり風景を濃く覆う。

 ふっと紅い眼に暗い影が走り、再び口が開かれた。


「我れは忘れてはならぬ。数切れない命を奪ったことを。決して許されない罪を無しにしようなどと、これから二度と考えまい。ラグナロクのようなことを、我が身に代えてでも黛莉たちがいるこの世界に起こさせない」


 黛莉はエンマの決心した顔を格好いいと感じたわけではない。むしろ悲壮を感じ、胸が塞がる想いだ。そこまで思い詰めなくても、と考えたくらいである。

 ずっと幼い頃から知っている男の子。正体に不明な点が多く、自身の環境について語ることは一切ない。ただ時々ふらりやって来る。何気なく会いに来ているようで、実は助けに来てくれていたと知るのは後年になってからだ。

 黛莉の家族は強力な能力者を輩出する一家として問題なしで済んでいなかった。


 もぉー、と現在の黛莉は雨に打たれながら口許が緩んでしまう。


 いつもエンマは自らの善行を口にしない。

 偉そうな口振りなくせに、黛莉だけでなく和須如一家をたくさん助けても当然としている。周りの知っている人たちと違って、恩着せがましい真似は一切してこない。

 そして、たまにとても悲しそうな顔をする。

 これじゃ好きになるな、というほうが無理である。

 少なくとも黛莉には、そうだった。

 だから閻魔にトドメを刺されようと、つい同じ姿が救いになってしまっている。


 エンマを感じられる場面に嬉しいとさえ思っている。


「……ありがと……」


 つい溢れた感謝の言葉は、あの晩と同様に濡れている。

 忘れられない晩を思い出させる夜の雨だった。

 最後を迎える日となったが、ここずっと帰りを待ち続けた日々である。

 もうここまでいい。

 もういないのだから……。


「いや、礼を言うのはまだ早すぎるぞ、黛莉」


 はっとする黛莉を抱える腕があった。

 仰向けになれば、目を見張らずにはいられない。


 閻魔なはずなのに、眼が紅かった。


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