第6章:雨中戦ー002ー
霧雨が人為的に作り出された風に翻弄されていた。
本来なら降下するはずが、横へ、上へと舞い上がる。
縦横関係なく乱舞している。
風使いの夕夜の苛立ちを表しているかのようだ。
「なにがおかしい」
気に障る笑いを閻魔はまだ収める気はない。
「いやなに、夕夜よ。オマエは勘違いしている。ラグナロクとされるものの本質を。そして紅い眼とする奴と同様にな」
なんだと! と叫ぶ夕夜に微かな動揺が浮かぶ。
ふふふ、と閻魔は笑う。いっそう黒さを帯びた響きだ。
「あれは能力を付与された者に進化とすべき異質を授けるものだ。危険性のあるものではない」
「ふざけるな。あれで何人、いや何百万という人間が亡くなっていると思っている。それとも紅い眼の独断だったというのか」
「愚かだな、冴闇夕夜というモノは想像以上に己れを知らぬらしい」
我慢ならんとばかり剣を振り上げた夕夜だ。だが突き進む真似は堪えた。聞かなければならない点は多い。短慮に任せての行動はすべきではない。
「ラグナロクに危険性がないとはどういうことだ」
「人々を死に追いやったのは黒き意志であったということだ。この地で命を落とした者の、生者に対する嫉妬が招いたことでラグナロク自体は関係ない。紅い眼はヒトならざる存在へ落ちかけた者を人間であるうちに送ったにすぎない」
夕夜が風の剣を降ろした。力なく、である。
「ならば、ならば、自分の間違いで紅い眼は罪を被せていたというか、この百年間」
「一つの事実を見ただけで、全てを悟った気になってしまったことが失敗だったな。だがあながちまるきりの誤認というわけではない。確かに殺害したのは、紅い眼で相違はない」
「なぜ……なぜ、あいつは事情を話そうとしなかったんだ」
「それはお前のことを思ってだろう。それだけではないだろうが、一つには現在と同じく陽乃を失いかけて、不安定極まりなかったのだろう。自暴自棄にならないよう目的を与えてやりたかったのではないか。どうだ、闇の冴闇夕夜よ」
がくりと夕夜が肩を落とす。彼を知る者ならば仰天する所作だった。
他から何を言われようが我関せず、と自適を揺るぎなく通す男だった。
それが今、打ち拉がれている。
敵が哀れとばかりに声をかけてくる始末だ。
「これという女を失いそうになる辛さは、余も判る。余らは、なぜだろうか。存在の意義を見出すポイントとなる相手が必須となっている。現在だって、未だ目を覚まさない陽乃のそばにいただかっただろう、夕夜よ」
微かな忍び笑いが湧き立った。
耳にするほうは閻魔だ。
あははは、と哄笑になれば、閻魔も黙ってはいられない。
「ついに気が触れたか、夕夜よ。過ちに気づき、心の行き場を失ったか」
「逆、逆だよ。地獄の閻魔くん」
ふてぶてしい夕夜は、普段に還ったかのようだ。
「なぜ自分が、閻魔の言うことを鵜呑みしなければならない。まるで全てを解っているかのような口振りだが、結局お前だって知らないんだろう。自身が、どこでどうやって、この世に産み落とされたかを」
「……余の器は、黎銕家によってだ」
「けれどもなぜ闇といった漠然とした記憶が植え付けられているのか、不明ときている。自分の正体を知らないのは地獄の閻魔くん、キミもだろう。だから雪南という女に、こだわらずにいられないんだ。誰よりもキミを大事としてくれる相手を、ね」
「くだらぬことを言うな、雪南に対する気持ちはキサマが決めつけられる類いのものではない」
激昂する閻魔に、立場が入れ替わった様相になった。
今度は夕夜が笑う。まさしく閻魔が浮かべたものに通じる黒さであった。
「まったく、自分と同様な存在がいるなんて思いもしなかったよ。これはラグナロクがどうこうじゃない、消しとかなければならない相手だ。さっさと処分して、陽乃さんの元へ戻るとしよう」
「勝手なことを。それは余のセリフだ」
「ああ、そうだ。世界がどうこうじゃない。二人の存在を賭けて、決着をつけるとしよう」
答えた夕夜の手にした剣が染まりだす。
黒へ。
なぜか閻魔が不敵な笑みを口許に閃かせた。