第6章:雨中戦ー001ー
しめやかに風景を濡らす雨だった。
広がる雷雲に激しく一気に叩きつけるような降り方を予想した者は多かっただろう。
悪天候の下、逢魔街の中央公園に人影はない。
いや雨など関係なく無法の時間帯であれば、だだっ広い敷地に何かしら蠢く者たち、もしくはモノたちがあっていい。
今夕に限っての音沙汰なしである。
敢えて原因を求めるならば、静かに歩む一人の人物か。
外回りに勤しむ仕事する若者といった見た目だが、発するオーラが強烈だ。
視覚化されるほど黒い気を全身から放っている。
禍々しい閻魔が、そこにいた。
つい先ほどに見せていた優しさなど、まるで嘘のようだ。
そばにいたら、どんな最悪に巻き込まれるか知れない。
園内の人気を消した存在に違いなかった。
霧雨に煙るなか、黒き閻魔が進む。
周囲の地面には人のような黒き頭が時折見え隠れしている。
歩む先には巨石が鎮座していた。
まるでそのまま抉り取られてきたような無骨な岩石だ。近くまで寄れば、見上げずにはいられない偉容で聳え立つ。大掛かりな用意がなければ、とてもではないが持ってこられない大きさである。
いつ、誰が、運んだかは解っていない。
表面に一部に紋様が刻まれている。文字のようでいて、どこの言語にも属していない形であった。
足音もなく閻魔は歩む。
真っ直ぐ進む先に、謎の巨石がある。
目指す場所は判然としていた。
もうじきとする地点まで来た時だ。
ふと、閻魔は足を停めた。
細かい雨で濡らす顔を上げた。
「やはり、来るか」
閻魔の呟きに乗せられるかのように、ある人物が舞い降りてくる。
黒衣で固めた青年がコートの裾をなびかせて、ゆっくり地へ足を着ける。巨石の前へ立つ。
進行を阻む意志が明確な闖入者へ、閻魔はその名を呼んだ。冴闇夕夜……、と。
「まさか、まさかだったよ。エンマ、その響きに複数の性質があるとした時点で気づくべきだった。今は自分の迂闊さに腹が立ってしょうがない」
内容の苛立ちに較べ夕夜の口調は冷え切っていた。送る視線は見据えた相手を凍らせるような苛烈さを放つ。逢魔街の神々の中で最強と謳われる能力者が内に秘める想いは計り知れない。
けれども黒き閻魔は全く怯むことなく、淡々と告げた。
「邪魔するな、余の眷属ごときが」
衝撃なる事実であったはずだが、夕夜は薄く笑って返す。
ふっ、とこちらも意外な反応であったにも関わらず閻魔も余裕を崩さない。
「なるほど、風使いなどとする能力がまやかしと承知していたか」
「これだけ長く生きているとね。だが肝心なところで騙されっ放しじゃ、マヌケと謗られてもしょうがない」
「それは仕方がないだろう。紅い眼のお人好しぶりには、余も驚いている」
夕夜がやや声を落として訊く。
「紅い眼は、どうしている」
「どうしているもなにも、余、そのものとなっている。もはや存在しない」
「格好をつけず真実を言ったほうがいい。まだ紅い眼が存在しているとしたほうが、お前には有利に働くかもしれないぞ」
ははは! と閻魔が高らかに上げた初めての笑いは黒い。
「夕夜がつまらぬ忖度など出来ぬことは、承知しているわ。無駄に油断を誘う真似など、よせ」
そう言っては再び笑いかけて止めた。相手の表情にはっきりした変化を認めたからだ。
「どうした、夕夜。なにを考えている」
目前の敵を構わず深く考え込む夕夜が、「いや」と顔を上げる。
「話し方が紅い眼に似ているな、と思ったんだ。もしかして、実は中身は変わっていたりするのか?」
豪風が湧き起こった。
小雨が横殴りとなり、周囲の木々は薙ぎ倒されていく。
引き起こした源は、剣と剣のただ一撃だ。
閻魔が振るう黒の刃を、夕夜の風の刃が受け止める格好だ。
「ずいぶん短気なもんだな、黒いエンマは。紅い眼のエンマとは大違いじゃないか」
揶揄するような夕夜に、閻魔はさらに怒りを滾らす。
「余を、余でないと愚弄する真似は許さん。雪南に認められた余こそ、この世の全てを支配する、地獄から遣わされた王だ」
「王と言うわりには、認められただの遣わされただの、他人さま頼りの発言ばかりだな」
言い切りの最後にひときわ力を込めた夕夜だ。
風の剣に押され、閻魔は弾き飛ばされるように後退した。
「さすがだな、夕夜。紛いもののチカラにしては使いこなせている」
「これでも逢魔街の神様というヤツでね。だけど『神々の黄昏の会』メンバーの一人に過ぎないままでいたかったよ。こんなハメになったの……」
夕夜は手にした風の剣を閻魔に突き向けた。
「全て、ラグナロクのせいだ。だからもう二度と起こさせやしない」
空から落ちる細かい雨が、流れるように横へ飛んでいく。
風が覚悟を決めた強さを運ぶ。
殺意の意志が吹かせている。
夕夜が起こす身の毛もよだつ冷たさを浴びる閻魔だ。
だが取った行動は怖気づくどころではない。
ふふふ、と不気味に笑いだす始末であった。