第5章:冥界の王ー001ー
受け止めた女性の口から血が吐き出された。
「おい、大丈夫か」
腕にする夬斗が慌てて訊くも、窒息寸前とする息が吐かれるのみだ。いきなり上から降ってきたダークブラウンの髪と瞳の美女である。自社が入るビルの上からであろうと当てが付けば放ってもおけない。
デリラ、と同行してきた靖大が呼べば、正体はその場で判明した。
どうやら最近に加わった『逢魔七人衆』の一人らしい。
「どうしたんです、デリラ。誰にやられましたか」
靖大の問いに、懸命に答えようとしたデリラだ。だがある人物を認めれば、ダークブラウンの瞳は大きく開かれてゆく。
「お、おまえは、ウォーカーの……者ではないか……」
憎しみの響きに、向けられた当人はやれやれとばかり白銀の髪をかき上げた。
「キミは、あれか。ノウルとつるんでいたエルズの身内だね」
「き、キサマらとクロガネのせいで妹は死んだのよ。私はおまえたちを殺すまでは……」
かはっ、とデリラが言葉を終える前に再び吐いては口を赤く濡らした。
「こりゃ相当内臓がやられているぞ。外傷を与えずこれだけやるなんて、相手を見誤ったな」
横たえたデリアの頭を抱く夬斗は忠告を込めて言った。ただ相手には届かなかったようだ。
「あ、諦めない……諦めないから。仇を討つために、逢魔街で暗殺に長けたとする集団の下へ来たのよ。クロガネエンマに思い知らせてやらなければ死んでも死に切れない」
「でも強かっただろう、圧倒的に」
夬斗が指摘する厳然たる事実に、くっと顔を歪めるデリラだ。訳がわからないうちに為す術なく弾き飛ばされ、重症を負った現状である。
デリラ、と呼んだ靖大が諭すように始めた。
「憬汰様にどのように言い含められたかは知りませんが、今の『逢魔七人衆』にかつての力はありません。確かに一時期は勢いがありましたが、住人の多くを敵に回すやり口が仇となって返ってきています。むしろ枷になっているくらいなのですよ」
「け、けれども、タカシやヤスヒロのような強者が揃っている」
「私や庵鯢・鶤霓は、今回の参加は本意でありません。それに我々ごときでは、神々の領域にあるとする能力者に足下も及びません。デリラ、あなたも解っていたのではないですか」
返事がなくとも表情だけで理解に至っていることは知れた。
店長、と夬斗が靖大を呼ぶ。
「彼女を病院へ連れて行ってやってはくれませんか」
「でもそれは戦力を削ることになりませんか」
「マテオが協力してくれるようですから、そこは何とかなるかなってな感じですかね」
夬斗の気遣いを受け入れることにしたようだ。デリラを腕にする役目を交代した靖大が、すっくと立ち上がる。
「では、いきます。皆様、どうかご無事であってください」
「ここで殺しておかないと後悔するわよ!」
突然なる不穏な叫びは、靖大の腕の中から発せられた。
「特に、マテオ。今、私を殺しておかなければキサマだけでなく周囲の者も後悔することになるわ。ウォーカー一族を決して許しはしないから」
呪詛に近いデリラの雄叫びに、マテオは肩をすくめる仕草を取る。
「いくら敵わないからって、自暴自棄になりすぎだよ。本気で殺るつもりなら、ここはおとなしくして命を永らえることを最優先すべきじゃないかな」
憐れみの口振りが、余計に神経を逆撫でしたようだ。
「うるさい、うるさいっ。たった一人の妹を殺された憎しみが消えるわけないじゃない。エルズがあんたたちなんかの口車に乗らなければ……私があれほど反対したのに、能力者の立場を向上されるためだなんて……でも、頑張っていたのは間違いないわ」
「確かに頑張っていたよね。僕はキミの妹を含めたユニットの調査をしていたから、わかるよ。誤った方向性であったことも、ね」
ふざけるな! とデリラがまさしく血を吐きながら叫ぶ。
凄絶な様相を前にしたマテオは、怯むどころかやや厳しい顔つきで臨む。
「ふざけてなんかいないさ。実際に調査そのまま報告したら義兄が心を痛めるのが目に見えるような内訳だったから苦労したよ。大義を楯に見境がなくなる典型的な例みたいでね。気の毒な言い方になるけど、むしろ異能力世界協会からすれば迷惑だったかな」
殺す、必ず殺してやる、とデリラが低く唸るように搾りだす。
もう行きますよ、と靖大がこれ以上の悪化を避けるため足を運びかけた。
「すみません、店長ぉー」
藤平がいつもの調子で呼び止める。ただし手にする槍を伸ばして、切っ先を向けていた。
「その姉さんの妹たちに間違いないっす。協会に入るのを断った俺らの家族を殺ったのは」
デリラが驚愕から目を見開く。復讐者だったはずが、思わぬ形で立場を入れ替える状況へ陥っていた。
「俺らも最初は協会を恨んで、その会長を殺そうと思ったっす。けれど姉さんの妹たちの考えでやっていったようっすね。それが判っていたらダチは死なずに済んだかと思うと残念でならないっす」
「協会ヤツらなんかと一緒にいたからよ」
「かもしれないっすね。でも今の姉さんもそうなっているんじゃないっすか」
今度こそ声を失ったデリラである。
連れていきますよ、と靖大が言ってきた。
すいやせん、と槍と共に頭を下げる藤平だった。
三人は道の向こうへデリラを抱えて向かう靖大の背を見送った。
「真澄は凄いな。文吾くんみたいだ」
マテオのぽろりと溢した初めて聞く名前に、藤平の顔は興味を湛えた。
「誰っすか、それ」
「……同級生……」
答えては目を伏せるマテオだ。
さらに訊こうとした藤平を、夬斗が首を横に振る仕草で止めた。
この白銀の髪をした人物は青年に見えるが、『神々の黄昏』において発生した光芒に触れて人間と違う寿命を生きている。百年前とされる出来事から同様の姿にあるらしい。学校とする場で知り合った者が、現在どうなっているか。普通なら鬼籍に入っている。マテオの様子から訊くのは憚ったほうがいい。
言葉を交わさずとも藤平は了解した。
何より今は急いで向かわなければいけない。
夬斗は一階の事務所へ入れば、夏波を始めとする従業員に念のため避難するよう指示した。藤平のみを引き連れて屋上まで駆け上がっていく。
辿り着いた先で、予想だにしなかった事態が待ち受けていた。
雪南が円眞なる人物と共に行く、とくる。
敵は一人とする見立てで向かった。まさかの強力な協力者を得た相手に、マテオとの作戦も練り直さなければならない。
そう夬斗が考えた時に、突如として円眞なる者が絶叫を放った。