第4章:飜意ー005ー
生き残る術の見本としてきた。
相手には容赦しないが、こちらは温情にすがる。標的に対し酷薄に臨むが、自分には憐れみが期待できる形へ持っていく。
待ってくれ! と貴志は膝と手を床へ着けた。はっきり土下座をする姿勢を見せる。助けてくれ、と泣きつくつもりだった。
ぐぇ、と言葉より苦鳴が洩れた。
貴志の両肩が刃によって貫かれていた。前のめりになれば、今度は両脚の後ろが斬り裂かれる。血を噴く身体は四つん這いの体勢すら保てない。どさり、と倒れ伏す。
「キサマに雪南は訊きたいことがあるそうだから、殺さずにおいてやる」
幽玄のはざまへ落とし込むような円眞なる者の声だ。
マジかよ、と貴志は誰にも聞こえない小ささでごちる。慈悲を乞うまでもなく、当初から命を取る気はなかったらしい。見立て違いに床へ伏せた顔が歪んだ。
軽く揺すられて雪南の瞼が、ゆっくり上がる。
大丈夫か、と訊いてくる声は優しい。相手は、よく見知った顔だ。容姿は、まちがいなく円眞だった。
上半身を起こした雪南は、じっと目を向ける。得体が知れなくなった円眞をしっかり見たのは初めてかもしれない。
「助けてくれたのか」
「当たり前だ。自分は雪南のためだけに生きているのだからな」
表情が固まる雪南から返事はない。
相手が相手だけに円眞なる者が黙っていられるわけもない。
「どうした、雪南。自分はおかしなことを言ったか」
ぷいっと横を向く雪南の頬は赤い。
「そんなこと……前の円眞は言わなかったぞ」
「そうだったか? 雪南がいるから自分の存在があると伝えているはずだが」
驚いたように雪南は再び顔を正面へ戻す。顔を見つめる。
太い黒縁メガネをかけていた当時の顔と重なっていく。
「憶えているのか、あの時のことを」
「ああ、そうか、そうだな。うん、そうだ、憶えている、思い出せてきている」
ガシッと雪南はいきなり相手の手を取った。
感情が失せたような円眞なる人物が、いきなり手を握られたことであたふたした。これまでからは考えられない感情の揺らぎを見せてくる。
雪南に喜びのあまり声を昂らせた。
「本当に円眞なのか、ワタシが好きな円眞なのか」
「正直まだ雪南の好きだった自分を思い出せていない。だがひと目見た時から、碧い瞳を美しいと思っている。雪南が認めてくれてこその自分だとする気持ちは、ずっと変わらないつもりだ」
今度こそ円眞なる人物の顔は紅潮した。
雪南が胸に飛び込んできたせいだ。抱きつくまま震える声を上げてくる。
「ごめん、ごめんな、円眞。そうだな、そうだよな。あんなことがあったんだ。記憶を失くしていたっておかしくないのに……ワタシがバカで思いつかなくて、本当にごめんな」
「謝らないでよ。むしろ思い出せなくて雪南を不安にさせちゃって、ボクのほうこそ、ごめん」
はっと雪南は胸に埋めた顔を上げた。
碧い瞳に、黒縁メガネをかければそのままとする顔つきが写る。話し方も雰囲気も待ち焦がれていた円眞に相違なかった。
円眞! と叫んで再び抱きつく雪南の頭をそっと撫でる。
真実の意味で再会を果たした恋人同士とする屋上の光景だった。
そこへ塔屋のドアを蹴破るようにして二人組が現れた。
「おい、無事か!」
雪南からすれば誰と確かめるまでもない。喜びを分かち合える相手でもある。抱き合う身体から離れ立ち上がった。
「夬斗か、聞いてくれ。円眞がな……」
顔の横をすり抜けて伸びていく刃に、雪南は声を失った。
夬斗が能力糸を目前に展開する。切っ先が絡め取られ、刃の伸長が止まった。
円眞……、と呼びながら雪南が振り返る。
剣を突き出した円眞がいた。信じたくない姿だった。
喜びの反動からか、雪南は今にも泣き出しそうだ。
「どうして……どうしてなんだ、円眞。相手は夬斗だぞ、友達ではなかったのか」
「夬斗はダメだ。自分ではない、紅いアイツを親友としている。いざとなったら敵へ回る相手だ」
「そ、そんなことはない。円眞だったら、そんなふうに考えない……」
雪南は碧い瞳に溢れてくる涙を止められない。
ふぅと息を吐いた円眞なる者は刃を引っ込める。泣く雪南へ近づいては、その手に自分が持っていた短剣を握らせた。
「もし雪南が、これが円眞ではないとするならば終わらせるがいい」
えっと涙顔を向ける雪南に、円眞なる者は優しく微笑む。
「所詮は何もないモノだ。親族はなく、自分を第一としてくれる友もなく、思惑あっての関係性しか持てない。だが雪南だけは何よりもとしてくれた。雪南の気持ちがなければ、自分が存在する意味がない。雪南に抱きつかれて、確信した」
円眞……、とまたも呼ぶ雪南へ向ける顔に微笑みは絶えない。
「だから雪南だけが、この存在を抹消できる。雪南が望むなら、自分はここで消えよう」
雪南は再びその胸へ飛び込んだ。ただ前より勢いよくである。
「できるわけないだろ。どんなに変わったって円眞なんだよな」
「ああ、前と性格が違うかもしれないが、雪南を想う気持ちだけは変わらない」
「円眞は全世界を敵に回してもワタシを守ろうとしてくれたんだ」
「今でも、いやこれからもずっと雪南のためならば、この世の全てと戦うはめになっても構わない」
静かに雪南は身体を離した。碧い瞳に秘めるは決意だ。
雪南、大丈夫か! と夬斗が心配する声に応えて身体を振り向ける。
夬斗の安堵した顔も、碧い瞳とかち合えばたちまちにして引き締まっていく。
「雪南、おまえ、まさかっ」
「夬斗。黛莉はそこだ。連れ帰ってくれ……て言っても、ここは夬斗の会社のビルだったな」
屋上の片隅に横たわる黛莉を指差す雪南は毅然と述べた。
「逢魔七人衆の復讐は二人でやる。ここにいるワタシの円眞と、二人で」
驚いたのは夬斗と横にいる藤平だけではない。
宣言した雪南も、何事かと後ろを向く。
円眞なる者が頭を抱えて緋き上空を仰いでは、聴く者の胸を掻きむしる絶叫を放っていた。