第3章:知人ー005ー
姿なき黎銕憬汰の所在を求めてマテオは瞬速の能力を発現しかけた。
「マテオさまー、唯茉里のために来てくれたんですね。うれしー」
通常なら冷たく跳ね除ける場面だが、驚きが勝った。こうもあっさり抱きつかれるなんて誰にも出来ることではない。
キミは、とマテオが腰にしがみつく和須如の三女へ声をかければ、「唯茉里と呼んでください」ときた。
「唯茉里はやっぱり黎銕憬汰を逃がしたかったの」
優しい声音で、容赦なく問う。
唯茉里がマテオに向ける顔は半分泣きそうだ。
「えっ、どうしてですか」
「だって、唯茉里が邪魔しなければ、僕は追跡できたからね」
ごめんなさい、と唯茉里が身を縮こませてくる。
謝罪の真意が、会えた喜びで思わずなのか、それとも意図して阻んだのか。複数の可能性が過りながもマテオは「唯茉里は大したもんだよ」とだけで済ました。
マテオさまに褒められちゃったー、と喜ぶ唯茉里だった。つい今、泣きそうだった様子はどこへやらである。
マテオが向ける意識は和須如姉妹から金剛力士像が生を得たような二人組へ移った。
「庵鯢と鶤霓が相も変わらずで、良かったよ」
ご心配かけました、と厳つい二人の男たちは揃って頭を下げてくる。
「マテオさま〜、お知り合いなんですか」
唯茉里の質問に、「まぁね」とマテオは一言で終わらせるつもりだったが思い直した表情で説明を加える。
「街の中央病院のスタッフとは、けっこう付き合いがあるんだ。だからこの二人とは顔見知りなのさ」
へぇ〜、と感心を寄せるは唯茉里だけでなく由梨亜もだった。
「それにしても庵鯢と鶤霓が攻撃に出てこなくて良かった。僕としては和須如姉妹を守らなければならなかったから」
「こちらこそ、助かったとするところです。マテオ様に本気でこられた、我らでは敵いませんから」
「それに何よりマテオ様とやり合ったなどとなったら、甘露医師に顔向けできません」
八角棒を握る庵鯢だけでなく、六角棒を手にする鶤霓も続く。
「でもあたしは二人にどうしても文句言いたいことがあるっ」
いきなりメイド服を着た姉のほうが言いだす。
「言うなら早く言ったほうがいい。次の行動へ移らなければならない」
対象者である庵鯢・鶤霓ではなく、マテオが急かした。
クールな対応に由梨亜は若干面白くなさそうであったが促さられるままだ。
「あたしたち、由梨亜も唯茉里も子供じゃありません」
「庵鯢も鶤霓もこう見えて、とても子供たちから人気があるんだ。きっとキミたちも仲良くしてくれるよ」
カチンときた由梨亜だ。マテオが皮肉で返してきたくらいは解る。
「なによ、それー。あたしたちのこと、完全に子供って言ってるじゃん」
「違ったかな」
「あたしらなりに逢魔七人衆へ入り込もうとしていたの。上手くいけば、有益な情報を得られたんだ。結果だけで物を言うのは、やめてくれない」
「結果じゃなくて、やり方が稚拙だって言っているのさ」
なによ、それ! と完全に頭へきている由梨亜だ。唯茉里が心配になって腕を押さえたくらいである。
当のマテオといえば、気にしているふうはない。
「キミたちがそもそも間違っているのが、迷惑をかけることを前提に動いている。兄と姉を危険な目に遭わせて信用を得ようなんて救い難いやり方だよ」
「お兄ちゃんとお姉ちゃんが、あれくらいでやられないくらい、妹たちのあたしたちが一番わかってる。むしろそっちこそ他人がわかったような口を叩かないでくれる」
「キミたちこそ、妹たちと対決する羽目になるかもしれないとした和須如の社長と黛莉さんの心中を想像したことがあるのかい。後から事情を知った他人の僕でも、二人がどれほど沈痛な想いで今朝向かったかくらいは予想がつく」
なによ、と由梨亜がさらに向かっていこうとした。だが泣きつく唯茉里に阻まれた。
「もう、やめて。唯茉里はマテオさまに嫌われたくないの」
なによ、それっ、と困惑と怒りを内混ぜにする由梨亜へ背を向けた唯茉里が両手を組み祈るポーズで訴える。
「唯茉里はマテオさまの仰る通りだと思います。反省してます。だから嫌いにならないでください」
「嫌いになるわけ、ないじゃないか」
ほっとしている唯茉里に、マテオは続けて言う。
「だって元々好きも嫌いもないしね」
うわーん、と泣き出す唯茉里の肩を抱く由梨亜がマテオを睨みつけた。
「マテオって言ったっけ。偉そうなことを言うくせに、平気で人を泣かせて、どういうつもりよ」
「どういうつもりも、今朝会ったばかりで好きとか嫌いとかなるのかい。そういった感情は付き合いを続けていくうちに宿るものだろう」
なにを屁理屈……、と由梨亜が言いかけて止めたのは、慰めるようとしていた妹が豹変したからである。
ぱっと上げた唯茉里の顔はまさに輝くようだった。
「マテオさま、それは唯茉里とこれからがあるというお話しですね」
「これからがというのはよく解らないけれど、別に付き合いをしない理由もないし」
感動に打ち震えだす唯茉里に、由梨亜が我慢ならないとばかりだ。
「やめときなよ、唯茉里。こんなオトコ」
「由梨亜でも、言っていいことと悪いことの区別はつけてくれない?」
にっこりするからこそ怒りが相当と知れる唯茉里の笑顔だ。
だからといって姉の由梨亜も引き下がる気はさらさらないようだ。
睨む合う姉妹は、今にも喧嘩を始めそうな雰囲気だ。たかが兄妹の諍いとするには、二人は殺傷可能な能力を持つ。しかも逢魔街の逢魔ヶ刻という、何でもしてもいい時間帯ときている。
まぁまぁと六角棒の鶤霓が間へ入っていく。子供に人気とするマテオの証言を裏付けるような人の良さそうな感じで、いがみ合う姉妹の仲を取り持つ努力をしている。
「ところでマテオ様、これから我らはいかがしたものでしょうか?」
八角棒の庵鯢が訊いてくれば、マテオはこの場に来てから初めて表情を緩めた。
「センセェーから、さっさと帰ってこいって伝言を預かっている」
「我々の行動など、すっかりスーパードクターにはお見通しでしたか」
「そんな調子だから簡単にはやられないだろうけど、いちおう二人は病院へ戻ってくれるかな。社長に対しての義理は果たせたし」
そう言ってマテオが向ける視線の先には、鶤霓の困り果てた顔に免じて喧嘩の矛先を収めた和須如姉妹がいた。
「さて、僕も本来の目的へ向かうとするか」
どちらへ? とする庵鯢の問いに、マテオは白銀の髪をかきながらである。
「黎銕円眞を追いに」
海を渡ってまでやって来た理由を口にした。