第1章:骨肉ー002ー
生きていた! ただただそれだけ嬉しいとする黛莉へ短剣が突き出された。
ぼさぼさ髪の黒縁メガネでデニムを履く姿は、円眞の休日スタイルそのものだ。懐かしい見た目は、しかし中身までは伴っていなかった。
いち早く気がついた夬斗が能力糸を放っていなかったら、どうなっていたか。
円眞が掲げた短剣の刀身が伸びる。黛莉へ真っ直ぐ向かう。それを弾く夬斗が放った糸だった。
円眞が伸ばす刃は上へ跳ね飛ばされたが、すぐに切っ先は邪魔した者へ飛んでいく。
夬斗へ届く前に、刃は引っ込められた。
短剣を手にする円眞は、その身を守らなければならなくなったからだ。襲いかかってくる銃弾を避けるを先決とせねばならなかった。
「あんた、ホントにクロガネなの」
能力で具現した機関銃を撃ち込んだ黛莉は顔も声も険しい。
「ああ、そうだ。それは間違いない」
物言いが普段の円眞とは違う。紅い眼になった際に近い感じがするものの、現在は黒い瞳だ。何より黛莉を狙うなど、どちらのエンマであったとしても考えられない。
考えへ耽るように頭をかいた夬斗が口を開く。
「そういえば、円眞。逢魔ヶ刻ではなくても刃、伸ばせるようになったんだな」
「当たり前ではないか。これくらい出来なくて、どうする」
答え方が、どうも自分達が知る円眞ではない。不審が夬斗を冷静にさせていく。
「それで久しぶりに姿を現した目的はなんなんだ。こっちは兄妹同士で命懸けの喧嘩をしている最中なんだけどな」
くくく、と忍び笑いがする。由梨亜と唯茉里がつい先にした嘲るような響きだ。およそ円眞らしくない。
「あれを命懸けとは笑わせる。どう見てもロケット弾が届く前に、夬斗は拘束の糸を引いて助けるつもりだったのは一目瞭然でないか」
えっ? と白い糸で上半身を巻かれる由梨亜と唯茉里が驚いては、発言者へ目を向ける。
気がついた円眞が見返してきた。口許に笑みを湛え、底光りしている黒い瞳だ。なぜか由梨亜と唯茉里は揃って背中へ悪寒が走った。予期せぬ闖入者は、今まで出会ったことがない類いのモノであった。
お兄ちゃん、お姉ちゃん……、と考えもなく唯茉里は助けを求めていた。
夬斗が手繰り寄せかけた能力糸が、ビチビチ音を立てていく。切断を知らせる響きが終わらぬうちに、糸に拘束された由梨亜と唯茉里は円眞の足下まで引きずられていた。
「どうするつもりだ、妹たちをっ」
夬斗の叫びに、円眞は笑みを湛えたままだ。
「この二人には聞きたいことがある。要は尋問だ。吐かねば、その命を脅かすほどの苦痛が待っている」
「おまえ……本当に円眞なのか」
夬斗の悲しみをスパイスした訝しみに、円眞は笑みを満面へ広げていく。
「そうだ。夬斗がかつて『親友』と呼んだ者と同一だ」
「おまえ、ふざけるなよ。黎銕円眞はな、俺じゃ手が届かないような場所に立っているヤツなんだ。こんな世界でも割り切っちゃいけないと考えさせてくる稀有な男なんだよ」
「だから紅い眼のほうが解り易くて『親友』の衣替えをしたのか」
そう言って笑いかけた円眞が、ふいに口を閉ざした。対話の相手に意外な反応を認めたせいである。
夬斗が笑っている。やれやれといった顔で向き直ってくる。
「やっぱり、おまえ、円眞のどちらでもないわ」
なんだと! と円眞の、今度は夬斗が意外に感じる荒げ方だ。もっとも能力糸の使い手がこの程度で口を閉ざしたりはしない。
「だって、そうだろう。軽薄な俺の親友の意味を円眞は汲んでくれたんだ。これから本当の意味で友人として付き合いを深めていこう、としていたんだ。第一いきなりの『親友』呼ばわりを、真に受けるヤツでもないぜ」
「だから夬斗は違うというのか、今ここにいる円眞は」
「まーな。それに俺の親友と呼べるべき相手は、今のところただ一人だけだ。お互い名前で呼ぶ合うまで、すんなりはいかなかったあいつ……そうさ、命を賭けて俺たちを守ったあいつだけだ」
言い切った夬斗は表情に力強い意志を漲らせている。お兄ちゃん……、と黛莉が思わず口にしたくらいである。
それから見せた円眞の態度は夬斗と黛莉の和須如兄妹にとって予想外の態度だった。
これ以上にないくらい苛々しだした。なぜだ、なぜだ……、とぶつぶつ繰り返していれば、確かに自分たちが知るどちらにも当てはまらない。
「黎銕円眞は自分だ、自分こそが円眞だ。なぜ誰も認めようとしない」
ついに叫んだ言葉の意味など理解しようもない。ただ想像がつくのは、拐った由梨亜と唯茉里に対して宣言通りの行為へ及ぶだろう。あまりに危険な空気を漂わせていた。
夬斗は再び糸玉を握る。なんとか妹たちを引き揚げなければ両親に顔向け出来ない事態へ陥りそうだ。
「無駄だ。夬斗の糸は断ち切れる」
急に平静へ還った円眞だ。言われた方としては、少々面食らってしまう。
「悪いが、この姉妹は預からせてもらう。自分が円眞だと証明するために」
「意味が解らないな。妹たちの口を割ることが、どうして自分の存在証明になるんだよ」
夬斗の能力糸を放つ手が止まる答えが返ってきた。
「雪南だ、雪南が認めてくれる」
数瞬の間の後に、「無事だったの!」と黛莉が驚愕と喜びを混ぜ合わせて倉庫いっぱいに響かせた。
深くうなづいて見せる円眞に、半信半疑が確信へ変わっていく。
「ちょっと、雪南と会わせなさいよ。あんたが円眞だって言うなら、一緒にいるんでしょ」
すっかり太々しくなった黛莉の要求だ。けれども円眞とする者の首は横に振られる。
「そうはいかない」
「なんでよ」
「まずをこの二人から『逢魔七人衆』について吐かせてからだ」
円眞の回答は、夬斗に戦闘へ気を入れ直させるのに充分な内容だった。