終わりの、もしくは始まりの最終章:黄昏の影ー下ー
訪問者はフードを頭からすっぽり被った小柄な体格とシルエットから知れる。コートを羽織っているようだ。
思わぬ来客の出立ちに、円眞は音を立てて椅子から立ち上がる。初めて出会った場面を瞬時に想起させてくる。
まさかだった。けれど店内へ足を踏み入れ、フードを外して現れた碧い瞳には間違えようがなかった。
「雪南!」
円眞の叫び声に、ゆっくり足を運ぶ雪南は微笑んだ。円眞が綺麗だと心奪われた碧い瞳が微かに震えている。喜びの色は見えなかった。
「雪南、来ちゃダメじゃないか」
円眞の第一声も久々の再会を咎めるものとなった。戒樹の姓を受けて人生をやり直す上で、黎銕円眞に一切関わらないが大前提だ。ふたりはもう会わない……はずだった。
碧い瞳がみるみる曇っていく。
「ごめん……ごめん、円眞……ごめん……」
雪南の掠れがすれの声で伝えられる謝罪に、円眞も言いすぎたと思う。
「ど、どうしたの、雪南。会えて嬉しいけれど、でもやっぱり……」
レジの傍を抜けて向かいかけた円眞を、雪南が手で押し留める仕草を取った。
ストップと突き出された右の手のひらに従い、円眞は前進を止めた。ただ口のほうは動かす。今はもう嫌な予感しかしない。
「な、なにかあったんだね、雪南」
すると雪南は手を引っ込めると、コートの前を開いた。
円眞は息を呑んだ。
雪南の上半身を覆うほど機器が巻きついている。一見で爆弾と見当がついた。
円眞は両手に短剣を発現させる。が、雪南が絶望的な事実を報せてきた。
「ダメなんだ、円眞。外そうとしたら、外しかけても爆発するようになっているんだ」
そ、そんな……と円眞は呟いたきり絶句した。精緻な爆弾の巧妙な仕掛けに、短剣を握り締める手が震える。
言葉を失くした円眞に、碧い目の少女が衝撃な事実を語る。
「ごめん、円眞。本当にごめん。ワタシのジジとババが人質に取られてしまった」
雪南を父方の祖父母が引き取ることで始まった、新たな人生だ。とても良くしてもらって幸せに暮らしているくらいの情報は得ている。能力の所有をひた隠しにして、一般人としての生活をずっと送っていけそうだった。
どこから雪南の能力者である事実が漏れた? アサシンとして生きてきた雪南の姿が流布しているはずもなく、世界随一の権力者であるセデス・メイスン氏殺害時においても、代理人体の能力から割り出されただけだ。発現させた雪南自身の姿は流布していない。
逢魔街においても雪南が能力を振るう機会を目にする者はほとんどいなかったはずだ。いるとしたら……円眞の周囲にいる人物しかいない。
ジィちゃんズや寛江、そして和須如兄妹の姿が脳裏に過れば、円眞は慌てて頭を横に振る。浮かんだ考えを振り払った。
最低だな、ボク……と円眞は胸の内でごちた。
それに今は何より目前の雪南をどうするかだ。
「雪南、爆弾をつけた相手が誰か解る?」
静かに首を横に振る雪南だ。説明によれば、指示の全てがスマホ越しだったらしい。音声も作られたものだったそうである。爆弾は祖父母の命を盾に脅されるまま、自ら装着した。
姿を一切見せない、単純で狡猾な手口だった。
「ごめん、円眞。本当は最初、黛莉が円眞へ向けたメッセンジャーを殺害するよう指示されたんだが、できなくて……」
ああ、と円眞は思い出す。アスモクリーンに新しく雇用されたモヒカン頭の藤平が傷だらけで飛び込んできたことがあった。黛莉の助太刀を求めてやってきた。ただ途中で紅い目の『彼』に代わってしまい、その後はよく分かっていない。
雪南が顔を伏せて、拳を握り締めては肩を震わせてくる。
「やっぱりワタシは黛莉を危なくするなんて無理だ……だけどその代わりに円眞の命を奪えとなって、本当にバカだな」
「それは違うよ、雪南。きっと脅迫は黛莉さんの件で成功しても、ボクへ向かってきたはずだ。どちらにしろ雪南はボクの元へ行かされる手筈になっていたんだよ」
円眞……、と呼ぶ雪南の碧い瞳は涙が溢れそうなほど潤んだ。
円眞は両手にする短剣を掲げた。なんとかならなくても、一か八か賭けずにはいられない。このまま手をこまねいているだけなんて無理だ。
けれど雪南が行動を起こそうとする円眞へ静かに首を振った。
「ワタシは、もういいんだ。どうせとっくに無くなっていた命だからな。けれど円眞は巻き込みたくない、絶対に。円眞は発現する刃で防御もできるか?」
円眞がこくりとすれば、雪南の口許が初めて綻んだ。
「ごめん。お店は吹っ飛ばしてしまうが、どうか円眞だけは助かってくれ。きっとこんな爆弾じゃ、殺られないよな」
「そうだけど、けど……」
「それにしてもワタシはお店を壊してばかりだな。ホント、ごめんな、円眞」
そう言う雪南は口許に浮かべていた笑みを顔中へ広げた。泣き笑いにしか見えない。
すぅと雪南から笑みが消えた。何の感情も窺わせない表情へなっていく。
「ヤツらはどこからかここを見ているはずだ。起動スイッチを押される前に、ワタシから爆発させようと思う」
雪南の頭上に、戦斧を手にした髪の長い女性が出現した。武器から人物まで全てが白い代理人体の発現だ。
「ダメだよ、雪南。そんなの!」
叫ぶ円眞に、雪南が無理矢理に笑顔を作って見せてくる。
「ごめん、円眞が命懸けで救ってくれたのに。でもジジにババは本当に良くしてくれて、こんな幸福がワタシにあっていいのかって思うくらいだった。それに……」
大きく息を吸い込んでから雪南は続ける。
「こんなワタシに好きな人が出来るなんて思わなかった。もう人として充分なくらい幸せを味わった気がする。ありがとう、全ては円眞のおかげだ」
白い戦斧が振り降ろされた。雪南は自らを狙った。
ガキンッ、と金属同士が重く打ち合う響きが店内に木霊する。
「円眞……」
雪南が思わず驚きを漏らしたのは、円眞の短剣が戦斧を防いだだけではない。抱きすくめられたからである。
円眞は爆弾を巻いた雪南の懐に入る。飛んでくる戦斧を雪南の後頭部辺りで、短剣をもって跳ね返しては離れない。
円眞は雪南を抱きしめていた。
陶然となった雪南だが、目を醒ますかのように慌てて叫ぶ。
「なにをやっているんだ、円眞。早くワタシから退くんだ」
「前に言ったよね。雪南を守っている意識が、ボクが存在していく理由になるんだって。いなくなったら、もうボクはボクでいられる自信がないよ」
雪南に抱きついたまま耳元へ語りかける円眞は改めて自覚した。
雪南を好きでいられることが自分が自分として存在できる最後の砦だ。この碧い瞳の少女がいてこそ、自分を保っていられる。それがいなくなるというならば……。
「雪南を独りでなんて逝かせない。ボクも一緒に逝くよ」
「だ、ダメだ、ダメだ、円眞。そんなのは!」
雪南は引き剥がそうと両手で円眞の身体を押そうとした。だが腕を上げる代わりに溢れてくる涙が止まらない。
「ごめん、ごめん、円眞。本当は今、とっても嬉しい。一緒になんて言ってくれて、ワタシは凄く幸せな気持ちになってしまっている」
そう言って雪南は大きくしゃくり上げた。
円眞は、つい今し方まで苦しかった心が晴れていくようだ。不幸だろうがなんだろうが、自身の選択だ。正しいかどうかは判らない。それでも後悔はない。
号泣する雪南を抱きしめる円眞は幸せだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
大爆発音と共に、破片や粉塵が夕陽に染まる空へ舞い上がっていく。
派手な爆破が建物内の物まで全て木っ端微塵にしたことを周囲に告げている。新しく建て直されたクロガネ堂は、もはや跡形もなかった。
距離を置いたビルの屋上からでも肉眼で確認できるほどだった。
「どうやら最後くらいは役立ったようだな」
壮年と思しき男の声に、若者の声が尋ねる。
「どうしますか、人質とした老夫婦は」
「適当に処分しておけ。あんな老ぼれどもなど、もうどうでもいい」
若者が了承を挙げれば、壮年の声が笑うように述べる。
「世界に逢魔街を治めるは、神々などと名乗る連中ではない。我々だということを思い知らせてやるとしよう」
緋い夕空を背景に、声の主を中心とした人影が浮かび上がっていた。
七つが、その数であった。