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第8章:虹彩ー005ー

 火と氷の両剣を突き出す真紅の円眞(えんま)の勝利宣言だ。

 夕夜(ゆうや)はまだ立ち上がれないが、顔つきから闘志は失われていない。


冷鵞(れいが)のチカラで負けるわけにはいかない」

「違うだろ、夕夜」


 なにっとなる相手に、真紅の円眞は静かに伝える。


「お前は我れを倒すより未練が勝る瞬間があった、その差だ」


 ぐっと答えに詰まる夕夜に背を向けた真紅の円眞が、奈薙(だいち)を始めとする集まりへ声を投げた。


「介抱してやってくれ。内臓がかなりやられている、見た目以上にダメージが深いはずだ」

「ふざけるな、オヤジ。情けなんかかけられてたまるか」


 激昂して立ち上がる夕夜だが、足下が覚束ない。倒れそうになる寸前の身体を太い腕が掴み支えた。おい、無理するな、と奈薙が止めている。


「まだ、まだだ」ふらふらでも執念を燃やす夕夜だ。


 その気持ちに当てられたかのように莉音(りおん)が出てくる。


「今度は私が相手よ。まだ終わっていないわ」

「やめてください、もういいでしょう」


 立ち塞がる新冶(しんや)に、莉音は苛立った。

  

「また新冶なの、いい加減にしてよ」

「しますよ。今の莉音が紅い円眞さんには敵わないのは火を見るより明らかじゃないですか。私はこれ以上、誰かがいなくなるのには耐えられません」


 いつにない新冶の真摯さに、莉音ですら気圧されていた。

 それでも独りで立てるようになった夕夜は、去りゆく背を追おうとする。

 お、おい、と奈薙が慌てる。夕夜さん、と新冶が呼ぶ。


「悪いね、みんな。でも自分はやらなければいけないんだ。ずっとオヤジを追いかけてきたんだ。やっと巡ってきたこの機会を逃すわけにはいかない」


 痛む足を引きずって夕夜は歩き出した。


 まだ向かって来ようとする姿に、真紅の円眞を迎えた和須如(あすも)兄妹は穏やかでいられない。


「あいつ、まだやるつもりなの」「面倒だな」


 ぼろぼろとはいえ、神とされるほどの能力者だ。秘めた潜在能力は計りきれず、対する脅威は普通の能力者とは較べものならない。ジィちゃんズの三人もまた緊張を漲らせていた。 

  

「大丈夫だ、もう夕夜は来ない」


 皆の空気を読むように真紅の円眞が断言してきた。

 誰かが理由を訊くより前だった。


「ここにいたのね、夕夜さん」


 聞こえてきた女性の声は、特に大きかったわけではない。響きも険があるどころか、むしろ穏やかなくらいだ。淑やかさえ感じさせた。

 しかし夕夜だけでなく流花(るか)悠羽(うれう)が飛び上がっている。

 夕夜は振り返れば、千早の巫女姿をした女性の笑顔を認めた。

 逢魔街(おうまがい)に出現した夕夜は笑みを浮かべても殺伐とした雰囲気を漂わせてきた。それがこんな顔も出来るのか、という表情を見せてくる。

 だが忽ちにして表情を引き締める夕夜だ。


陽乃(ひの)さん、止めないでください。男にはやらなければいけない時があるのです」


 急に格好をつけた口ぶりは、和須如兄妹などの面識ない者たちにとっては訝しい限りだ。


 陽乃と呼ばれた女性は二十代前半か。美人ではないが、とても優しそうだ。慈母という印象がぴったりな雰囲気を放っている。


「おお、来た来た」


 真紅の円眞が歓迎するようであれば、黛莉(まゆり)が感想を交えながら訊く。


「なんだかとても良い感じがする人だけど、円眞、知ってるの?」

「いちおう東となっているが、実際は能力者全体の統括を担っている人物だ。祁邑(きむら)陽乃と言って、見た目はああだが凄い能力者だし、それに……」

「それに?」

「怖いぞ」


 真紅の円眞がもたらす情報に、黛莉だけでなく夬斗もピンとは来ていない。陽乃という女性は表情や声質からして怒りとは無縁そうな気がする。菩薩様となって全人類を包み込む存在と言われても納得してしまいそうだ。


 瞬速の能力でやってきたマテオが、巫女姿の前へ片膝をついて頭を垂れていた。


「お久しぶりです、陽乃さま。入国しておきながら、ご挨拶まで間が開いたことをお許しください」

「そんな畏まらないで、マテオ。こちらこそ、こっちの事情に巻き込んで、ごめんなさい」


 陽乃もしゃがみ込んでは、白銀の髪をした少年の手を取って立ち上がらせる。普段の様子から想像もつかないほど顔を赤くして照れまくるマテオだ。

 夕夜が声を張り上げた。


「マテオか、陽乃さんに報せたのは。この裏切り者!」

「誤解しないでください、夕夜さん。アイラさんから連絡が入って、マテオさんがこちらへ向かっていることを聞いたんです。むしろマテオさんは夕夜さんの意を汲んでくれたのでしょう」

「はい、本当は凄くイヤだったんですけど、夕夜の頼みに根負けしてしまったことを心からお詫びさせてください」


 マテオが謝罪を繰り出しては、しょげ返っている。哀れを催す姿だが、遠くから眺めている黛莉が口にした感想は「ウソっぽい」これに真紅の円眞も「さすがだな、黛莉は」と応えていた。

 当事者たる夕夜も当然ながら見抜けている。


「マテオ、おまえー。おもしろがっていたくせに、いざとなったら手のひら返しかよ」


 つい汚く罵ってしまう。けれども裏切り者は遠方からきた客人だけではなかった。

 お姉ちゃん、と流花に悠羽が口々に呼んでは駆け寄っていく。二人で同時に陽乃へ抱きつけば、さっそくだ。


「お姉ちゃん、ごめんね。流花はイヤだったんだけど、お兄さんがどうしてもって言うから」

「うれも、そう。おじちゃん、強引すぎて酷いんだもん」


 ええーっ! となったのは夕夜だけではない。

 周囲で見守っていた者たちも同様だ。


「義兄に惚れていた女って、流花というので合っているよな」

 訊く夬斗に、真紅の円眞がうなずく。

「うれっていうあの娘、思いっきり円眞を襲っていたわよね」

 確認する黛莉に、「疑いようがないほどにな」を真紅の円眞は答える。

 女は恐ろしいのぉ〜、とする華坂爺に、うっちービビってます、と女好きで鳴らす内山爺でさえも震えている。まったくですな、と二人の爺に同意した多田爺の腰を、妻の八重がつねっていた。


 優しい笑顔の陽乃が抱きついた二人の妹の頭を撫でながら訊く。


「流花もうれも嘘は吐いてないわよね。お姉ちゃん、こういった嘘は嫌いだし許せないの、知っているわよね」


 黛莉は円眞が言っていた「怖い」の意味をここで理解し出した。

 あからさまに硬直した妹の二人に、陽乃はさらなる笑顔を向ける。


「流花、私の元へ()の長である旡傀(きかい)さまから連絡が入りましたよ」


 あのヤロウ、と思わず呟いてしまった流花に、「地が出てるぞー」とマテオがツッコんでいた。


「奈薙さんは、うれと一緒に紅の黎銕円眞に、まさか戦闘へ至るような真似はしてないですよね?」


 返事を求められた奈薙は、汗をかきそうなほどあたふたとしだす。巨漢をこれ以上にないほど竦ませて、「あ、いや、その、陽乃姉さん……」を言葉に窮している。バカ、と悠羽はつい口走ってしまった。


 しおらしく二人の妹が正座するなか、「夕夜さん」と陽乃が呼ぶ。


 夕夜は毅然としていようと、つまり精一杯に強がってくる。


「申し訳ないですが、こればかりは陽乃さんを騙すこととなったのは仕方がないと思ってます」

「私に嘘を吐いたの、夕夜さん?」


 悲しそうに陽乃はうな垂れた。

 厳しい非難の目を向けたのは、流花と悠羽の妹たちだけではない。マテオに奈薙ばかりでなく、莉音と新冶までもだった。

 完全孤立となった夕夜だが、己れの意思を突き通す強がりな態度は崩さなかった。


 わかりました、と陽乃は意外にも首肯した。

「夕夜さんがそこまで言うのなら、止めません。だから無事に帰ってきてくださいね」

 陽乃さん、と夕夜が感激で打ち震えている。

 ただ、と陽乃は続ける。

「嘘を吐いた罰は受けてくださいね。三日間はオムレツを作りません」


 傷んだ身体はどうした? というくらい夕夜は素早かった。

 隣で正座している流花がびっくりするほど、いつの間にか夕夜が土下座していた。額を地面にこすり付けて叫ぶ。


「すみませんでした。陽乃さんに嘘は吐くなんて、許されることではありません。でもどうか、どうかオムレツだけは欠かさずお願いします」


 反省の弁としては微妙ながら、ふぅと息を吐いてから陽乃は真面目に説法する。


「前にも話した通り、神々の黄昏に関することは、各統括の総意を元に対応する取り決めがなされています。紅い目の人物の出現にも情報の収集と検討をまだ要します。だから先走りだけは抑えてくださいねって言ったのに……」


 最後は拗ねる感じだった。

 お前ら、反省しろよ! とマテオが偉そうに言ってきた。

 なによ! と流花が我慢できず返した。

 それを夕夜が制して、二人の姉妹へ謝る姿勢へ促す。何がなんでも許してもらうため必死なようだ。

「すみませんでした」「ごめんなさい」「ごめん、お姉ちゃん」

 夕夜と流花と悠羽は正座のまま頭を下げた。


「どうしたんだ、黛莉」


 真紅の円眞が気がついたように訊く。

 陽乃たちの様子を眺めやっていた黛莉は何か想いに沈んでいる。


「見てて思ったんだけど、やっぱ料理は武器だなって思ってさ」

「黛莉は料理、できるではないか」

「ただ作れるだけのレベルよ。円眞だって、特別な好物なんてないでしょ」

「我れとしては、黛莉の作るものは、なんでも美味いぞ。それに陽乃は料理上手かもしれないが、夕夜の場合は好みが変質的だからな。あれは参考にならん」


 どうか〜どうか〜、と美形も台無しな夕夜の謝罪ぶりが続いていた。


 黛莉ちゃん、と八重が声をかけてくる。はい、と黛莉は応じる。


「相手の気持ちは胃袋でつかめ、なんて言われるけれど、あの陽乃という方の場合は戦いを終わりにするきっかけを作ってあげたかっただけと思うの」


 そう言いながら八重が向けた視線を、周囲にいる者たちが追った。

 正座している三人に、陽乃が立つように促している。必死にまだ謝っている夕夜の横で、流花はマテオに噛みついている。不満をぶつけてくる悠羽に奈薙がひたすらぺこぺこしている。気まずさからか距離を置く莉音をなだめるように、新冶が皆の元へ誘っている。

 逢魔街で神々とされて過ごした日々を共有した仲間たちの笑顔が溢れた。


「離れ離れがトラブルを遠ざけるとしても、やっぱり大事な人とは間近で向き合っていたい。共に同じ時間をすごせなければ、どんなに連絡を取れていたとしても寂しいものよ」


 八重は逢魔街の神々をされる者たちが集う場から、自分の近しい者へ向き直る。多田爺が頭をかいていた。


「我れにも胸が痛い話しだな」


 ぽつり、といった感じだった。およそ真紅の円眞らしくない。

 どうしたの? と黛莉が訊けば、真紅の円眞は難しい顔で答える。


「一生奴隷と言われているにも関わらず、我れは常に在るわけではないからな。かといって、彼奴も今となっては代わりなんてイヤだろうし、父上母上にすまないことだ」


 ぷっと吹き出す黛莉に、今度は真紅の円眞が「どうした?」と訊いた。

 だってぇ〜、と続ける黛莉は笑いを抑えられない。


「今さら、言うから。円眞ともう十年なるんだから、そんなの解ってる。それに前よりずっと一緒にいられる時間が増えているじゃない」


 まぁ、そうだな、と答える真紅の円眞の首を勢いよく抱えた夬斗(かいと)だ。


「これから俺との時間も取ってくれるんだろ。そう言えば、円眞。もうすぐ酒を飲める歳になるんじゃなかったか」

「あの酔っ払う水か。我れ、飲んだことがないからな。ちょっと恐ろしい気がするぞ」


 大丈夫だって、と夬斗が首を締める力を入れれば、うぐぐっとなる真紅の円眞だ。ちょっとやりすぎ、お兄ちゃん! と黛莉が慌てている。 


「ん? どうした、円眞」


 思わず力を抜いた夬斗だ。

 黛莉も気づいて、紅い目が突き刺すように向ける先を追った。

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