第8章:虹彩ー003ー
耳をつんざく銃撃音が辺り一帯を支配した。
夕夜が風の剣で銃弾を跳ね除ける横で、莉音が上空から覆い被さってくる網の目状に張り巡らされた糸を払っていた。
真紅の円眞は痛む身体を押し振り返っては叫ぶ。
「なんで来た、黛莉、夬斗!」
見守っている者たちも巻き込んで驚かせた和須如兄妹が降ってくる。真紅の円眞を庇うように前へ出て、夕夜と莉音に対峙した。
「まさかのお客さんだ」
酷薄な笑みを浮かべる夕夜に、真紅の円眞は慌てた。
「何を考えているんだ、二人とも! ただの能力者が加わっていい勝負ではないのだぞ」
機関銃を片手の黛莉が、ふんっとばかりに答える。
「なにを考えているは、こっちのセリフよ。あたしの心をさんざん弄んでおきながら、勝手に独りで自分の運命を決めちゃってさ」
そうそう、と夬斗も続く。
「俺と円眞は親友なんだろ。ならばピンチなら駆けつける、そんなこと当たり前なの、わかるだろ?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
離れた所で見守るマテオが、チッと舌打ちした。あいつらバカかよ、と呟いては危険は百も承知で和須如兄妹へ向かおうとした。
その腕を新冶が取った。
「待ってください、もしかして何かしらの打開が行われるかもしれません」
「何かって、なんだよ。無理に決まってんだろ。ぶち殺されるがオチだよ。このままじゃあのモヒカンはまた近しい人を失ってしまうんだぞ」
「逢魔街で生き抜く和須如さんが、ただ闇雲に助けにきただけとは思えません。何かしら理由なり根拠なりがあって間に入った、と思われます」
「なんだよ、それは。ただの願望じゃないか」
マテオの憤りはもっともと認める新冶はある決意をもって説得にかかった。
「そうです、願望です。それでも期待したいのです。神々の黄昏を知らない世代が、我が身を顧みず飛び込んできた行動に。それでもし和須如兄妹の生命が脅かされそうになったら、私がいきます。かつての仲間と命を賭けて争うことになってもです」
マテオは取り敢えず見守ることにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夕夜だけでなく莉音もまた笑わずにはいられないようだった。
「駆けつけた勇敢な騎士気取りとは、困ったものね。勇気と無謀を履き違えていると死ぬわよ。ほら、助けに来てもらっても当の本人は現実が判っているから、お困りのようよ」
指摘された通り真紅の円眞は眉間に皺寄せている。黛莉へ険しい眼差しを送るまま口を開く。
「我れは黛莉を弄んだことなど一度もないぞ。いつでも真剣だ、そこだけは誤解されては困る」
えっ、となるは莉音や夕夜だけでなく夬斗までだ。難しい顔をしている理由がまるきり外されて拍子抜けにも程がある。
ただ黛莉だけが真面目な顔を崩さず、左の手のひらを真紅の円眞の頬に当てた。
「ううん、誤解している。あたしがただ守られて喜んでいる女だと思う? 神様とはチカラが違うかもしれないけれど、これでも最凶って呼ばれているのよ」
「だが、黛莉。能力の質が根本的に違うぞ」
「だから兄さんと一緒に来たの。あたしだって、ただ来ただけじゃ足手まといになるなんて、わかってる。さすがにそこまで見通し甘くないから」
兄さんがすんなり出たな、と夬斗が入れる茶々を無視して黛莉が続ける。
「人生満足なんて言い聞かせて諦めているんじゃないわよ。あいつに負けたんでしょ。負けたままでいいなんて、あたしの知る円眞じゃない」
「夕夜は強いぞ。昨日、剣を交えて解った。勝てるなんていい加減なことを言うなど、我れには出来ない」
「だから負けてもいい、なんて考えるのは別でしょ。必ず勝ってなんて、あたしだって言うつもりはないわよ。けれども全力も尽くさず初めから敗北を受け入れるような男なら、あたしを騙して弄んでいたってなるんだからね」
ふっと笑う真紅の円眞は傷んだ身体の背筋を伸ばした。
「黛莉は、我れと親友が話していたことを聞いていたのだな。狸寝入りというやつか」
「あったりまえよ、あたしが泣くだけで終わるわけないじゃない……って、あたしに言うべきことって、そこ!」
唇を尖らした黛莉に、「いや」と返す真紅の円眞だ。
「我れは、黛莉をがっかりさせる男であってはならぬのだろう」
そうそう、と黛莉はご機嫌な顔をして真紅の円眞から手を離す。莉音へ身体ごと向けた。
「円眞は百年前のリベンジに集中して。あの雷を操る神様は、あたしとお兄ちゃんで引き受けるから」
結局はお兄ちゃんか、と愉快そうな夬斗だ。
莉音も笑う。ただこちらは嘲りから発した響きだ。
「ちょっとばかり能力を持ったくらいで、ずいぶん勘違いしてるわね。たかだか逢魔街で名が知れている程度じゃ、私たちからすれば、たかがよ。それにリベンジは、こっちのセリフだから。今日こそ殺された者の無念を晴らさせてもらうわ」
「そこなんだよなぁ〜、あんたらの復讐ってやつが、どうも俺には引っかかるんだ」
夬斗ののんびりした口調に、莉音の目が据わる。
「その場にいなかったあんたたちに、私らの気持ちが理解できるわけないじゃない」
「確かに生まれる前だしな。でもな、あんたら円眞がやったその場にいたように思えないんだ。だって百年前の円眞を、そこの夕夜というヤツだけで倒したんだろ」
「何が言いたいのよ」
「だからさ、目の前で見ていたら、あんたも向かっていっただろう。今だって、二人がかりもためらいないみたいじゃないか。なのに百年前は夕夜というヤツが唯一人だけが円眞に挑んでいたということは、あんたら意外と事のあらましを見ていないんじゃないか」
声がないのは莉音が絶句したからだ。これまでただただ復讐しなければ、の一念できた。はっとしたように横を向く。
「夕夜、紅い目をしたあいつがやったことは間違いないのよね」
「ああ、この目で緋人と冷鵞がチカラを抜かれるところを見た。オヤジが虐殺の刃を引き揚げた後の姿は、莉音だけじゃない。みんな目にしているだろ」
夕夜の冷静な口調が、莉音を落ち着かせたようだ。そう、そうよ、と自らへ納得させていたが、夬斗を目の端に捉えたら再び感情の火が点った。
「なにが可笑しいのよ!」
神様と呼ばれるほど圧倒的な能力者を前にしながら、夬斗は笑いを堪えきれない。
「いやなんだか、ふわっとした内容だなと思ったわけさ。当時を知らない連中を納得されるには、ちょっと弱いな」
「申し訳ないが、親友。我れがやったことは間違いない」
敵へ塩を送るような割り込みをしてきた真紅の円眞にも、夬斗は笑顔を変えない。
「別に言わなくていいのに、円眞は変に律儀だよな。いや俺からすると、事実ばかりが先立って経緯がすっぽり抜けているからさ。そこは話す気になったら聞かせてくれ」
真紅の円眞が口をへの字に結んで何か考え込んだ顔をしている。どうしたの? と黛莉が訊いたくらいだ。
「いや、なに。そう言えば、そんなこと訊かれたの、初めてだな、と思ってな。親友は凄いな、と我れはつくづく感動している次第だ」
そうか、と答える夬斗の笑みにつられるように黛莉も顔を綻ばせた。
「うるさい、うるさい、うるさい! あんたたち兄妹、私が今すぐここでぶっ殺してやる」
ヒステリックに叫んでくる莉音に、夬斗が両手に糸玉を握った。
「相手さんから、ご指名だ。これで状況は対等に持っていったぜ。後は頑張れ、円眞」
「そうそう、思いっきりね。もう街なんかいくら壊れたって気にしないでやってよ、円眞」
黛莉も続けば、名前を呼ばれた者は息を吸い込んではうなずいた。
真紅の円眞は、夕夜へ向いた。和須如兄妹に「ありがとう」の一言を残して。
夕夜は、ぞっとするような冷たい笑みで紅い目を迎えた。
「オヤジ、まさかこれで有利になったなんて考えていないよな。元々、自分だけでぶちのめしたかったから、これは望むところだ」
「いや黛莉と親友のおかげで、だいぶ分は戻せた。やはり莉音を含んでは全く勝機が見えないからな。我れこそ冷静に考えれば、この状況は望むところだ」
「儚い希望を見たか」
「ああ、見たさ。我れは黛莉の元へ帰るし、親友と語り合うこれからを作ってみせる」
哀れだな、と夕夜がする呟きに、真紅の円眞はいつもの調子で返す。
「哀れなのは、そっちかもしれぬぞ」