第8章:虹彩ー002ー
黒きファッションで揃えた夕夜と莉音を、真紅の円眞は感心して迎えた。
「おぅ、約束の時間を守るなんて意外だったぞ」
「それはこっちのセリフなんだけどな、親父」
宙からやってきた夕夜は地に足を着けた。腕に抱えた莉音を丁寧に降ろしている。
敵対する二人をじっと見つめる真紅の円眞だ。
なによ、と挑発的に問う莉音に、真紅の円眞はおもむろに口を開いた。
「いや、なに。あまりに美男美女のお似合いで、まさに比翼連理の喩えが当てはまるような雰囲気だが、結ばれてはいないのだよな。見た目だけでは測れないものだと、つくづく我れは思ったわけだ」
馬鹿馬鹿しい、と莉音は投げ捨てたが、夕夜はそうならない。
「親父の人を見る目は酷いものだな。確かに莉音は元フィアンセだから息も合うが、一緒に暮らす相手かと言われれば別だ。日常生活を営む能力が皆無の自分が、ふんぞり返っているだけの女と生活なんて成り立つわけがない」
「夕夜、気をつけなさい。私との連携にひびを入れさせようとする、これは罠よ。相手の口車に乗せられるんじゃないわよ」
真紅の円眞を睨みつけながら注意を喚起する莉音に、夕夜は胸を叩くように答える。
「わかっているさ。素晴らしき陽乃さんと較べて、女性としてばかりでなく人間としてもあまりに差がある現実を突き付けて莉音を落ち込ませようとする策なんかに、乗らないよ」
「あのさー、言っておくけど」
莉音は懸命に怒りを抑えた様子で夕夜へ向く。
「夕夜も男としてはもちろんだけど人間としても、か・な・り雑だから。陽乃以外に、誰が面倒を見られるってくらいのヤツだから。どれだけ苦労をかけているか、あんたこそ自覚しなさいよね」
「ここで陽乃さんの名前を出すなよ。内緒で来ているんだから、動揺するだろ」
「名前出したの、夕夜じゃない。そういうところが、ホント、あんたなんかと一緒になんかならなくて良かったと思うわよ」
「待て待て自分を莉音と同じような人間と捉える真似はヤメてくれないか。何もできない男かもしれないが、誰にも負けない陽乃さんへの愛があるんだ。こちらこそ一緒にしないでもらいたいな」
あんたさー、と莉音が始めれば、夕夜も受け立つ。遠くで状況を見守る者たちが欠伸を催すほど長い喧々諤々を繰り広げた。
はあはあー、と莉音が息を切らすに至って、ようやく夕夜が真紅の円眞へ向いた。
「オヤジ、汚いぞ。心理的弱点をつこうだなんて、正々堂々と勝負しろ」
「我れは、何もしてないが。それに父親みたいな言い方はいい加減にやめて欲しいものだ」
まったくの言い掛かりに、真紅の円眞も文句を返した。
莉音が呼吸を整え前へ出ようとするところを、夕夜が腕で制した。
「ここは自分が先に行く。どうするかは、わかっているよな」
意外というか、莉音がおとなしく引き下がっていく。
夕夜が一歩二歩と前へ出てくる。
「どうした、我れに二人がかりでこないのか」
真紅の円眞は言いながら、能力を発現させる。右に火の剣を、そして左に余人の追随は不能とされる二つめの氷の剣を手にしていた。
夕夜が黒い格好に相応しい笑みを浮かべる。
「どうやら奪った能力を使いこなせるようになったみたいじゃないか。そうこなくちゃ殺しがいがない」
夕夜が発現させる。風の剣を右手に、そして引き続いて左手にも。
真紅の円眞でさえ驚きで眉が寄ったほどだ。観客の立場にある者の間で大騒ぎとなってもおかしくない。
「剣を二つまで出せるよう、努力してきたよ、この日のために。自分の場合、オヤジのように盗んだチカラじゃないから、それは大変だったよ」
そう言って夕夜は風の双剣を構えた。
真紅の円眞もまた火と氷、それぞれの剣をかざす。
「わかってるな、夕夜」
「ああ、こっちもかわいい妹たちは巻き込みたくない。昨日より高くといこうじゃないか、オヤジ」
真紅の円眞と夕夜は飛んだ。
人間では有り得ない跳躍力を発揮し、まだ青さが大部分を締める空へ溶け込んでいく。地上から見上げる目には豆粒程度にしか映らないほど高くだった。
両者が手にした剣を振りかざす。双剣同士で激突する。音は立たない。だが空が揺らいでいる。波動が四方へ広がっていく。
真下に近い場所へ被害はない。問題にすべきは周囲だ。激しい音を立てて崩れていく。建物は言うに及ばず、場所によっては街路樹から道路までが粉砕されて吹き飛ばされている。
真紅の円眞と夕夜が剣を打ち合う数だけ破壊は進んでいった。
たまりかねたように華坂爺が言う。
「このままでは街だけでなく、その外まで壊滅が及びそうだのぉ」
「ええ、仰る通りですね。これはまずいですね」
答える新冶は、離れた奈薙を見た。向こうもこちらを向いている。このまま放っておいていいものか、思案しあぐねているようだ。
いきなり新冶の視線上に、マテオが現れた。瞬速の能力を発現させているらしい。莉音に呼ばれたんだけど、と始める。
「もう決着をつけるから、手出し無用だって」
どういう意味……、と新冶が訊くより早くマテオは奈薙の前へ立っていた。こちらに告げたことと同じ内容を伝えているのだろう。
新冶が確認の目を向ければ、すでに莉音は上空にあった。
夕夜が両手にした風の剣を打ち込む。真紅の円眞が、火と氷の剣で受け止める。
そこへ莉音が夕夜の後方から現れては、真紅の円眞へ雷の剣を振るった。
剣が混じり合う空の一点で稲妻が走り、暴風が吹き荒れた。
半瞬の間を置いて、真下で地響きが立つほど叩きつけられた人影があった。
落下した人物を追って、夕夜と莉音がゆっくり降下してくる。
砂塵の中、姿を見せるは真紅の円眞だ。右手の剣を地に突き立て身体を支えることで、ようやく立てたようだ。傷を負った汚れた顔が全身の状態を表していた。
「へぇ〜、まだ立てるのか。なかなかしぶといじゃないか、オヤジは」
感心したふうでありながら、まだ楽しみが残って嬉しいといった感じの夕夜だ。
莉音もまたからかうような口調を投げつける。
「トドメをさせなかったなんて、自信なくしそうだわ。でもまぁ、あんたも大したものね。余裕ぶっこいて、二人同時に相手しなければ、まだ拮抗できていたのに」
「身から出た錆といったやつだ。けれど今さら遠慮はしないぜ。いいな、オヤジ」
返事が出ないほど真紅の円眞はふらつく身体を精一杯支えている様子だ。
夕夜は双剣を掲げる。すぐ真後ろでは莉音が剣を構えていた。
「えっ、これで本当に終わるの?」
再びジィちゃんズの元へ現れたマテオからすれば、積年に渡る結末にしてはあっさりすぎる。
「いえ、もう充分です。両者においてこれ以上の戦いは逢魔街を壊滅させます」
神と呼ばれる者の新冶は、頬に冷や汗が伝わせつつ得心していた。
「じゃーな、オヤジ。地獄で緋人や多くの人たちに詫びていろ」
夕夜が両手にした風の剣をさらに高く掲げた。