第7章:決戦前夜ー002ー
黛莉にすれば、かなりな衝撃だった。
「ええっ、円眞って子持ちだったのー」
空から舞い降りてきた黒き美青年は、黛莉からすれば円眞より年上に見える。そんな彼が「親父」と呼んだ。もし本当なら出会った時から騙されていたことになる。
変なところで察しがいい真紅の円眞は慌てて弁明を入れた。
「黛莉、勘違いするな。こいつが勝手に父親呼ばわりするだけで、我れはまだ女性の裸を間近にしたこともないし、キスだって黛莉としかしたことはない」
「ばばば、バカ。お兄ちゃんや他人がいる前で、ナニ言ってんのよ」
真っ赤になる黛莉に、真紅の円眞がその手を取って言う。信じてくれるな、と。
黛莉は返事をしないまま、ぷいっと赤くなった顔を横に向けつつも縦に落とした。
判ってくれたか、と真紅の円眞が嬉しそうに言えば、「バカっ」と黛莉は手を振り払うなどせず正面へ向き直った。
「ずいぶん余裕じゃないか、親父」
黒き美青年が目にした誰もの背筋も凍らせる酷薄さを滲ませた笑みを向けてくる。
真紅の円眞は、黛莉から手を離した。
「我れの女の前で変な呼び方をするからだろう、それともわざとか、冴闇夕夜」
「さあね。それにそっちだって、自分が祁邑へ婿養子に入ったことを知ってるくせに、昔のままで呼ぶんだね」
「ほぅ、そうなのか。ならばあれから夕夜、キサマだけでなく陽乃にもいろいろあったようだな」
「親父のせいでな」
夕夜は右手に剣を発現させた。風を巻くような刃だ。神とされる者でなければ持てない代物である。
「待ってください、夕夜さん」
慌てて止めに入るは、新冶だ。
「なんだ、この裏切り者」
冷たく切り捨てる夕夜だが、新冶は食い下がる。
「いきなりこんな所で、その力を使うつもりですか。夕夜さんの大事な人たちもいるのですよ」
夕夜は振り向けば、にっこりする。
「奈薙にうれさん、久しぶり。流花さん、遅れてごめんね。あれ、珍しい、マテオの顔も見えるじゃないか」
「よく言うよ、陽乃さんに会おうとしたら邪魔したの、そっちじゃないか」
マテオが呆れながらの指摘に、夕夜は笑顔で返す。返しながら、答えでなく宣言を繰り出した。
「自分の姉妹の安全は奈薙とマテオに任せるから。多少の配慮はするけど、本気でこれからいく」
咄嗟に真紅の円眞は黛莉へ耳打ちする。
黛莉がうなずくより早くだった。
円眞と夕夜は激突していた。
火の剣と風の剣が正面から交錯している。ぶつかり合った刃は爆風を巻き起こす。砂と言わず砕石さえ飛ばすほど吹き荒れた。
思わず手を顔へかざす和須如兄妹だ。風が収まり目を向ければ、そこには誰もいない。
和須如さん! と新冶が呼んでくる。
わかってます、と答えた黛莉は上空を見上げた。夬斗も妹へ倣って仰ぐ。
青空へ吸い込まれるように上昇していく円眞と夕夜が確認できた。
「円眞に言われました。真下にいれば大丈夫だって」
黛莉はしっかりした口調で答えたが、その後はただ息を飲むばかりだ。
かなり上空まで舞い上がった円眞と夕夜が腕を振るう。手にした剣を互いへ向けた。
火と風の刃が交差すれば、周囲の風景が歪む。空気を激しく揺さぶって四方へ広がっていく。
破壊される建築物の輪が広がっていく。
特に背が高い建物ほど餌食になる度合いは高い。ビルの上階へいくほど損耗は酷く、それらの下にいる人々をパニックに陥れていた。
「ここは台風の目に当たるような位置になりますから我々は大丈夫かもしれませんが……」
新冶が和須如兄妹に語りかける声に隠しきれない不安の響いていた。黛莉も夬斗も気持ちは痛いほど解る。
円眞と夕夜が剣を打ち合うたびに、振動が発する。周囲へ破壊の波動を放つ結果となっている。街は惨状の様相を呈しつつあった。
みんなは無事だろうか?
それぞれの胸に浮かぶ顔は違うが、心配する気持ちは一緒だった。
特に黛莉が最も胸を痛める相手は、見上げる先にいる。
「おい、黛莉。なに、やってんだ」
夬斗が叫んだのは、無茶な行動を認めたからだ。
黛莉が能力を発現させていた。両手にしたロケット・ランチャを上空へ向けている。
「無茶だぞ、黛莉。下手すれば、あのチカラがこちらへ向いちまう」
「でも……でも、このままじゃ……」
惑う黛莉は構えたまま次へ動けない。
危ない、と新冶が叫んだ。ロケット・ランチャを上空へ向ける黛莉をかっさらう。
きゃっ、と黛莉の小さな叫びは、地を抉る轟音にかき消された。
眩い稲妻の一閃だった。黛莉がいた場所は黒焦げの穴が出来ていた。
共に避けた夬斗が、黛莉を腕にした新冶の元へ寄る。
「すまない、妹を間一髪で救ってくれて。変質的に趣味へのめりこむ、おかしな人というだけではなかったんだな」
「変質的の部分は余計ですよ。まったく、この頃の若い人は」
年寄り染みた小言を口にする新冶へ、助けてもらった黛莉は素直に「ありがとう」と述べた。臍を曲げかけた『光の神』は、赤いネクタイの結び目へ手を持っていき整える。礼には及びません、と冷静な返事が気を取り直した感がある。
ザクっと地面を鳴らす足音に、新冶と和須如兄妹は目を向けた。
しっとり濡れ髪にした女性が立ち尽くしていた。二十代半ばに見えるおしゃれな美人で、ワンピースに膝を隠す細みのスカートにショート・ブーツを履いている。だが身に付ける物がことごとく黒で統一されていれば、夕夜の格好と被る印象を与えてきた。
黒の美男と美女。出現した女性は夕夜と対を為すかのように、和須如兄妹の目には映った。
「ホント、うちの男どもは相変わらずよね。夕夜はいつも私を置いてきぼりにするし、新冶は裏切るし」
「夕夜さんはともかく、私については誤解も甚だしいですよ。別に今回は裏切ったわけじゃありません」
ついと新冶は前へ出ながら、後背にいる和須如兄妹へ囁く。ここは私に任せて、二人は下がっていてください、と。
黒で統一した女性の目が鋭くなった。
「新冶は昔からずっとそうよね。大義の前に小事は構わない感じが。目的のためなら仲間は切り捨てられるし、人が死んでいっても気にしない」
「貴女だって相変わらずでしょう、莉音」
相手の名を口にした新冶は首筋を撫でながら思いに耽るように続けて言う。
「夕夜さんや莉音が抱える苦悩の深さに、私などが及ぶべくないでしょう。それでも神々の黄昏ほどではなくても、それに連なる行動を取られたら共にするわけにはいきません。それを莉音も承知しているから、今の襲撃は剣にすることなく通常攻撃で来たのでしょう?」
「流花やうれに万が一があったら困るし、そこの女にはこれで充分と思っただけよ」
轟音と閃光が走った。