第2章:最凶らしい?ー003ー
弁済はクロガネ堂に勤務で、となった雪南の初出勤初仕事は片付けであった。
昨日の損壊により連絡やら手配やらに追われる円眞としては、雪南がいてくれて非常に助かった。もっとも原因を作った当人であるから、褒めてはあげられない。
様子を見にきた彩香は、雪南が当面ここで働くと踏んだ。けれど特にコメントすることはない。円眞の寝ずに頑張った顔だから何も言わなかったのだろう。
ジィちゃんズが期待していた行動でないのは、共に消耗していなければならないはずの雪南がつやつやといった顔色だ。憎たらしいほど熟睡し、すっきりした朝を迎えたことは一目で知れた。
雪南を連れ出すことで、しばらく一人にする。そうすれば少しは休めるだろうといった彩香の気遣いだった。
円眞は気遣いを汲み取ることなく、仕事に没頭した。レジある場所に座り、開いたノートパソコンへ向かった。もしかして多田さんと内田さんの依頼品は何とかなるかもしれない、と光明が見えてくれば休んでいられない。
懸命に作成した依頼文を送信したところまでは憶えている。その後いつの間にやら寝落ちしてしまったようだ。
そして、悪夢を見た。
「おい、本当に大丈夫なのか、円眞。彩香が言っていたが、仕事に根詰めすぎは良くないぞ」
出かけた際に彩香から多少の事情を聞いたのだろう。雪南は初出勤にも関わらず古株のごとく諭してくる。円眞といえば目前にある碧い瞳に郷愁へ誘われる。透き通るような色とぶっきらぼうだが優しい言葉に心が和む。
ふと思いついたかのように、ずり落ちた黒縁メガネを押し上げつつ円眞は訊いた。
「も、もしかして雪南って、チャームのスキルなんて持ってたりする」
「なんだ、それは。スキルをいくつも持てる者など、そうはいないと聞いている。ワタシのは代理人体だ、他に欲しくても持てるわけがないではないか」
「う、うん、そうか、そうだね。バカなことを訊いて、ごめん」
異能と呼べる能力を複数に所持しているなど摂理に反するが一般論だ。けれども全く事例がないわけではない。ただし複数の能力を持つ者は、いずれも哀れな末路を辿る運命にある、と不吉な噂が真しやかに流れている。
もし仮に雪南が嘘を吐いて複数の能力を持っていたとしてもである。いったいなんなんだ、チャームって! 一人勝手な想像に、円眞は顔が赤くなりそうだ。
「本当に大丈夫なんだろうな、円眞」
間近に雪南の顔があった。
うわぁ、と円眞は椅子から落ちそうなほど仰け反った。タイミングが良すぎる、いやこの場合は悪すぎるとすべきか。これではジィちゃんズにからかわれても仕方がない。
心臓を押さえ息も荒い円眞へ、雪南は腰に手を当てて踏ん反り返った。
「円眞に何かあってもらっては困るからな。殺すのはワタシなのだから、しっかり頼むぞ。今だって……」
「どうした、何かあったの!」
円眞の即応に、雪南は少し驚く。
日を経れば解るが、逢魔街へ住めば危険の匂いには敏感になっていく。円眞が特別なわけではなく住めば身に付いていく習性である。
「大丈夫だ。店の前に不穏なヤツらがいたのだが、ワタシが片付けておいた。お疲れの円眞に面倒はかけられないからな」
それはありがとう、と円眞の言葉に、雪南はさらに胸を反らした。
「いや、なになに、礼には及ばんぞ。ワタシもここで働く身だからな。昨日はすっかり弱くなったのかと不安になったが、そうでないと分かって良かったということもある」
殺人が不問になる『特定地域における危機管理特例法』浸透している俗称『黄昏法』の適用寸前に襲撃してきたらしい。
珍しいことではない。敢えて時間外を狙って犯行へ及ぶ者たちだっている。『逢魔ヶ刻』と定められた十五時から十九時以外は一般の法が適用されるものの、他地域より悪徳を行う者は多く集う。通常とされる時間帯でも街外とは較べものにならない危険で満ちていた。
逢魔ヶ刻とされる時間は迫っていた。襲撃犯は境目のどさくさを狙ってきたか。
円眞が悪夢を思い起こせば、寝落ちしている間の襲撃に対応できたか怪しい。もし相当の手練だったら危なかっただろう。
「あ、ありがとう、雪南。ところで……」
円眞が襲撃者について訊きこうとした矢先だった。
クロガネ堂の入り口を潜る者たちがいた。ジィちゃんズと呼ばれる三人の老人並びお供と自称する壮年の寛江である。
ほぼ毎日訪れてくるお得意さんだ。ただし今回は円眞の方から連絡を入れていた。損壊した商品の今後における目処について知らせたい。
ほっほっほぅー、と内山爺が笑いながら雪南の姿に目を細めて言う。
「なんだか、かわいい格好をしておりますな。エンくんに買ってもらいましたか」
ぱっと顔を輝かせた雪南だ。
「そうか、変な格好ではないか。円眞は何にも言ってくれないから、ダメかと思ったんだ」
言われて円眞はまじまじと雪南を見た。確かにぼろぼろのフード付きコートではなく、淡いピンクのブルゾンを羽織っている。
「ご、ごめん、ぜんぜん気づかなかった」
「本当か、円眞。これだけ変わったのに分からなかったなんて信じられないぞ」
「まぁまぁ、お嬢さん。雪南さんと言いましたかな。エンくんはこんな男の子です、許してあげなされ。で、その服はどうしたのですかな」
雪南を往なした内山爺が尋ねてくる。
雪南の説明によればである。どうやら円眞を店に残して彩香と出かけた際に購入したらしい。店頭へ立つうえで、あまりに粗末な格好は宜しくないとする判断からだ。
彩香の配慮に、さすがと感心した円眞である。けれど早々に大家でありアドバイザーの只では済まさない性格を報されることとなる。
「ワタシが気に入ったのにしてくれてな。なかなか彩香はいいヤツだ」
嬉しそうに話す雪南である。
女性の気持ちは女性に任せるべきだな、などと円眞が考えていたらである。
「ただ自由に選ばせてくれる代わりに天引きすると言っていたが、あれはどういう意味だ?」
えっ? と洩らした円眞だ。やはり彩香はがめつい。
「べ、別に気にしなくていいよ。それ、あげる」
社員にしろアルバイトにしろ、働く者の制服くらい店で用意して当然だろう。円眞は彩香と話しをしなければならないようだ。
「いや、円眞、それはいけない。店に迷惑をかけているわけだし、働く代金として八百円ももらえるそうだ」
八百円か、とこちらは受け入れるかどうか悩む円眞だ。相場より低いが、まだ見習い期間ではある。但し弁済へ当てられるわけで、支払われるわけではない。むしろ高めに設定してもいいくらいだろう。
甘いかもしれないのは、円眞だって承知している。しかし続いた雪南の報告には慄いた。
「なに一日八百円も稼げれば、ユニフォーム代なんて、あっと言う間だろう」
ええっ! さすがに円眞も驚きの声を止められない。時給かと思っていたら、まさかの日給だ。彩香は剣の能力もさることながら、商売のほうはもっと恐ろしい。
慌てて円眞が相場を伝えれば、雪南の目許はみるみる険しくなっていく。
「おかしいとは思ったんだ。けれども彩香があまりに普通にしゃべるから信じてしまった。許せんな」
円眞としては最後の言葉が聞き逃せない。彩香が店へやってきたら一悶着は避けられないだろう。やってくる前にフォローが必須だ。
だが先に華坂爺が、雪南へ訊く。
「おい、小娘。その袖裏に付いてるシミは、血か」