外子の家
赤いトタン板の屋根は瓦屋根の山を見上げた時に一番目立つ。|外子≪そとこ≫は、それをクラスメイトにからかわれるのが嫌で猛ダッシュで家に帰る。手提げかばんや縦笛の入った袋が身体と平行になるほど走る。まるで電車の車窓からのぞいたように風景が出来の悪い水星絵の具のように流れて木々と混ざる。
真瀬外子は小さなドアを開けると餌を求める猫のように素早く入って片手で閉めた。奇妙な音を立てて不格好に空気を分かつ音がする。家の中では幼い妹がぬいぐるみのクマの腕をしゃぶっていた。可哀そうなクマの右手は色が抜け落ちて黄ばんだ白いやつれた毛がほつれていた。
「ほら手を洗いなさい」
母のジュズコがせいいっぱいの柔らかくした声で外子に話しかけた。外子は柔らかい外皮に隠された棘のような物をキャッチ。無言で洗面所へ向かう。洗面台には水道から赤茶けた水の線が残っていて、排水溝付近で欠けたホーローの黒い部分と対決していた。そう、みすぼらしさの。
外子は冷たい小さな手をもっと冷たい水にさらす。ご存知の通り外子の家は貧乏でお湯は出ない。骨まで染みそうになる冷たい水で手を洗う。チビた石鹸が網の袋から身を乗り出してこぼれ落ちそうになる。そこに木の葉のような手を重ねて無理矢理こする。石鹸はぬるぬるするだけで、泡を立てない。
父がいた。酒も飲まないしギャンブルもやらないし、女遊びもしない真面目なのに働けない父がいた。父は痩せた体でひたすら外国語の辞書を読んでいる。外子は父の邪魔をしないように父のごぼうをおもわせる細い足をまたいで部屋の隅にうずくまった。手提げカバンから教科書を取り出して読んでみた。頭の中でうちのクマとごぼうマンが決闘してる場面が面白くて、教科書の中身は頭に入らなかった。
「じゃあ私はお店に行ってきますから留守番お願いね」
いつのまにか念入りに化粧したジュズコが見違える美人に変身して出ていった。夕食は父が作る。父の料理はまずかった。思い付きで手順を無視した創作料理。妙にしょっぱいオムレツ。味噌の匂いのするカレーライス。ただの崩れたひき肉になるハンバーグ。
父は黙って台所に立ち。コンロに火をつけた。ガスが勢いよく燃える音がした。
「面倒だうどん。面倒だうどんは人気者♪ 今日もわかめとランデブー」
父の上手いんだか下手なのかわからない不思議な歌が聞こえてくる。甲高い声は時々ひどく低音になったり
二人の人物が歌っているようだった。
外子は父を手伝うことにした。台所に行くと父がうどんの上にピザ用チーズを乗せている所だった。そばにはトマトケチャップのチューブ。
やる気を失った外子はさっきの居場所に戻る。太陽は斜めに傾いて頬を真っ赤に染めていた。外から石焼き芋屋の声が聞こえた。外子は生唾を飲み込んだ。頭の中の味覚が想像上のサツマイモに舌鼓を打っていた。外子の努力で焼き芋屋は通り過ぎる。今日も財政的危機を乗り越えた。
父の料理が出来た。ピザ風うどんの出来上がりだ。泣き出す妹をなだめつつ、外子は重い箸を持ち上げた。重苦しい胃袋をなだめすかしてチーズ味のうどんを口に含む。
「まずい」
その声をかき消すように父は大声ではしゃぐ
「ほら美味いぞ! 栄養もあるぞ! たんと食え!」
悪夢のような晩さん会は始まったばかり。