07. 突然の夕食会
オフロちゃんを見ていて、身に染みてわかったことがある。
残された者の、辛さだ。
こちらへ転移してきた俺は今、向こうでどういう扱いなのだろう?
死んでいるのか? 行方不明なのか? わからない。わからないからこそ——俺は戻らなければならない。
彼女のような思いを、自分の家族にさせないために。
——死ぬとわかっている元の世界へ戻るのは、馬鹿なことだろうか?
何度も何度も考えた。死を覚悟したあの瞬間。もしもあの後に受ける痛みを、一瞬でも覚えていたなら、臆病な俺は戻ろうなどと思わなかったかもしれない。あるいは、この世界へ来た方法が、召喚による転移ではなく、転生なら。
俺が戻りたい理由はただ1つ、俺の最期を、家族に見届けてもらいたいという、ただそれだけなんだ。
オフロちゃんの痛々しい姿に、父が、母が、妹が、重なる。
彼女と同じ辛い思いを、残してきた家族にさせたくない。
だけど、目の前にいるオフロちゃんの力になりたい。
俺はどうすればいいんだろう。
矛盾する二つの思いを抱えて、胸が痛む。
もしも今、彼女の父親が目覚めたら——そこまで考えて、愕然とした。
俺はきっと素直に喜べない。
今のこの生活を終えたくないから。
オフロちゃんのことが、好きだから。
そう、俺は。
オフロちゃんのことが、好きなんだ。
ずっとこのままでいられたらと、そう願わずにはいられないほど。
だけど……。
彼女の悲しみの上に成り立つ恋など、したくない。
俺はふと、彼女の背後にある扉を見つめた。
その部屋の奥には、妻の死に打ちひしがれ、こんこんと眠り続ける彼女の父親がいる。
ただ、まだ死んでいない。なぜか。娘を、気遣っているからじゃないのか?
死にきれないのなら、もう起きてもいい頃だ。
きっと、何かきっかけさえあれば。
彼女の言葉をどうにか届けたくて、何か方法がないかと考える。
糸電話のような……だめだ。それではオフロちゃんに気づかれてしまう。
イカズチ達に使った同期魔術や、部屋の透視などはできなかった。俺自身がまだ父親の部屋へ入ったことがなく、本人とも会ったことがないからだと思う。この世界では十分チートな俺の能力も、残念ながら万能という訳ではないらしい。
けれど、このオフロちゃんの心を絞り出すような言葉を、震えながらも紡ぐ彼女の思いを、伝えてやりたくて。
——震える……。
俺はふと思いついて、彼女の声が揺らす自分の鼓膜に集中してみる。その震えを、体から床へ、扉へと伝えるイメージ。震えの波は父親の部屋に侵入し、家具を震わせ、ベッドに寝ているであろう父親へと到達する……そう、骨伝導だ。
静かな夜だった。遠くの山の端に、半月が光っていた。俺は目を閉じて、彼女の抱き心地を胸に焼き付けながら、彼女の声を、振動に変えて父親の元へと送り続けた。
上手くできたかどうかはわからない。
やがてオフロちゃんは、顔をあげて涙を拭き、俺にごめんねと囁くと、静かに自室へと戻っていった。月はいつの間にか窓を外れ、高く昇っている。
父親の部屋の扉が、開くことはなかった。
そしてまた、週末がやってくる。
改革への取り組みは計画通り進み、準備の段階はほぼ終わったと言っていい。
この日、打ち合わせに訪れたイカズチは、腰に下げた筒の一つから黒い粉末を取り出すと、水に溶いて指に付け、テーブルに大きな円を描いた。
「魔術師長からの差し入れだ。順調な仕事ぶりを評価して下さったのだぞ」
そう言いながら、円にその手を差し込んだイカズチは、ぐっとそこから大きな木箱を引っ張り出した。
「すげえ! 四次元!! イカズチが、イカえもんにー!!」
衝撃に震える俺に、「また変な名付けを……」と眉をしかめつつ、取り出した木箱は全部で3つ。中にはぎゅうぎゅうに食材が詰め込まれていた。
「……こんなに食えなくね?」
「料理で使わなかった分は、この家で引き取って構わない、とのことだ」
「料理って?」
「今晩こちらで夕食会をしよう、と。計画の第一段階を終えたことへの慰労だそうだ。また、本来なら王宮で行う予定だったナイト殿の歓迎式も、結局できず仕舞いだったので、それも兼ねて」
ふっとダンディな笑みを浮かべたイカズチは、今度はオフロちゃんに向かって言った。
「手間だが頼む。報告会の度に、自分たちがあまりにここの料理をほめるので、魔術師長様がご興味を持たれたようで、ぜひにと申されてな。足りない物があれば、午前中に思念鳩を飛ばしてくれれば調達する手はずになっているから、遠慮なく言ってきてもらいたい」
「急すぎるだろ! しかもただジイさんが食いたいだけじゃねーか」
「ふぁっ! 私の料理を、ほめて下さったんですか……!」
「そこなの!?」
赤らむ頬を両手で押さえて喜ぶオフロちゃんに、突っ込みを入れながらも、可愛いなあ、と思ってしまう。ひとしきり照れた後、彼女は木箱の中身を確認しながら、メニューを考え始めた。その様子を微笑ましく眺めていたら、ふいに横顔へイカズチからの視線を感じて。それが真剣なものだったので、怪訝に思う。
「……なに?」
「ナイト殿も、料理なされよ」
「は?」
「魔術師長様は、異世界の料理も賞味されたいと」
「いやいやいやいや、俺の歓迎会だよね?」
「兼ねているだけだ」
「そんでも、慰労会だよね?」
「ナイト様の料理で、皆が癒される——慰労会だ」
「そうかなあ? そうなのかなあ??」
「その通りですよっ! 楽しみーっ」
「オフロちゃん、余計な相槌打たなくっていいってば……」
それでも、皆で食卓を囲むのは初めてのことだ。楽しそうだ、と思ってしまった俺は、ジイさんたちの思惑に乗ることにした。料理なんて大したことはできないけれど、料理上手なオフロちゃんがいればなんとかなるだろう。
「ナイト様、せっかくですから、故郷の衣装をお出しましょうか? その方が、雰囲気が出ると思うんですよね!」
いつも以上にはしゃぐオフロちゃんに、イカズチが渋面を作っている。
「俺は別に構わないけど。——なんだよイカズチ、なんかまずいことでもあるのか?」
「いや、特に決まり事などあるわけではない。だが見習い、お前は——」
「大丈夫です! 料理の後に着替えれば、汚したりすることもありませんしね! 万が一食べこぼしても、ちゃんとお洗濯で綺麗にしますよ?」
「こぼすかよ! ガキじゃねえんだぞ!?」
「万が一破れても、元より綺麗にしてみせます!」
「いやいや、メシ食うぐらいで破らねえから」
「見習い、本当にいいのか」
「ええ、お任せください!」
「なんだお前、心配されてんなあ。イカズチ、平気だよ。オフロちゃんの生活魔術、案外すげえんだから」
「もー! 案外は余計ですぅ」
故郷の衣装っつっても、ただの近所歩き兼部屋ぎのよれよれジャージだけどな。
わいわい騒ぎながら大まかな段取りを付けた後、イカズチは一旦魔術省へと戻っていった。俺はオフロちゃんのメニュー構成案を聞きながら、そこへ俺の知る料理をどう組み込もうかと悩み始める。
楽しい時間だった。ちょっとこういうのイチャつくって言わね? なんて勘違いしそうになるくらい、楽しい時間だった。
***
「では、我らの出会いと、計画が順調に進んでいることを祝して、乾杯じゃ!」
「「「「乾杯——!」」」」
めいめい掲げ持ったグラスを、右隣に座る人の頬に押し付ける。それから一口飲んで、左の人の頬に押し付けてまた一口。それがこの世界での乾杯の仕方だ。うん、意味不明。
とはいえ、郷に入れば郷に従え。俺はまず、右隣のイカズチの頬へと炭酸水のグラスを押し付けた。
……びくともしねぇ。
それもそのはず、普段は魔術師のローブで隠れているが、イカズチは中年ゴリマッチョなのだ。筋肉に支えられた太い首は、多少のことではびくともしない。そのことを自慢したいのだろうか、こちらを見下ろす目がやけに得意げなんだけど……いや、張り合う気は全くないから。
引きつらせた俺の左頬へ、そっとグラスが当てられる。オフロちゃんだ。耳元で光るのは、俺が贈ったイヤリングだ。金で編まれた花弁のふちに、朝露みたいに緑色の粒が光っている。トゲムチ、グッジョブ! 俺もなんだかドキドキしながら、自分のグラスに口を付け、それを彼女の頬に押し当てた。
「……!」
何この柔らかさ。グラスに押されてぷにっと頬っぺたが盛り上がる。ほんのり赤くなったオフロちゃんが、俺を軽くにらんできた。何これ楽しい。この乾杯最高!
……と思った俺の右頬へ、ぐいと冷たいビールグラスの感触。イカズチてめぇこの野郎、俺の楽しみに水差しやがって。
そんな感じで一風変わったこの国の乾杯を楽しんだ後、オフロちゃんからまわってきたパンかごを受け取った。中には焼きたてのパン、クラッカー、ミートパイなどが入っていて、皆、腹具合に合わせて取り分けるのだ。
「オフロちゃ、オフロさん、それだけ?」
「他にもいろんな料理があるから、全部食べてみたいと思って。パンでお腹いっぱいにするのは勿体ないですから!」
クラッカーを2枚だけの彼女の皿に目を付けた俺に、そう答えたオフロちゃんは、その後、薄っすら頬を染めつつ口を尖らせて呟いた。
「……ちゃん付けで、いいですから」
「え?」
「ちゃん付けして下さって構いません。っていうかナイト様、今更です。話が弾んでくるとほぼ、ちゃん付け呼びになってますよ?」
「え、そうなの? あはは、ごめん。それはそれは失礼なことを……」
「もうっ、絶対思ってないでしょ! そんな訳で今更ですから、呼びやすい方で呼んで下さって構いませんからっ」
「じゃあオフロちゃんでお願いします」
「わかりました」
「親近感を込めてってことで」
「了解です」
「決して君が年上に見えないとか思ってるわけじゃなくて」
「ぐっ……はい」
「……本当に大丈——」
「いいって言ってるじゃないですか! なんでそんなに引っ張るんです?」
「いやあ、なんか話せば話すほど真っ赤になってくから面白いっていうか」
俯いた白い肌、赤くなった耳、涙に潤む緑の瞳。染まった頬に柔らかそうな栗色の髪が、くるりと癖を主張してるところもまた、可愛いっていうか。
そんな幸せ気分の俺を、再びイカズチがぶち壊した。
「あまり見習いをいじめてくれるな。早くそれを寄越せ」
イカズチは俺の手からパンかごをかっさらうと、自分の皿にミートパイとパンを取った。そして卓の中央へとカゴを戻す。するとパンかごは、ふわりと宙に浮き上がった。
魔術師の食事会では、このように大皿を浮かせておくのだそうだ。お代わりしたい料理があれば、魔力で取り寄せる。
そのことを知らなかった俺は、料理より先に魔術を駆使して木工し、中華料理店で見かけるターンテーブルを作り上げ、得意げにオフロちゃんに披露して笑われたのだった。
「早く言ってよオフロちゃん!」
「だってまさか、お皿を置くための台だなんて思わなかったんですもん!」
遊具か何かだと思ったらしい。なんでこのメンツで遊ぶんだよ。勘弁してくれ。
配膳を待つ間に披露されたその話に、イカズチが真剣な面持ちで頷く。
「ナイト殿の故郷に魔術がないというのが、よく現れているな」
おいおい、ここは笑ってくれなきゃ俺がマジで馬鹿みたいだろ。
「いや、これ面白いです! あの、このテーブル、頂けませんか?」
トゲムチ、お前も真面目か。え? 貧しい村の特産にしたい? なんだよ、いい奴だな。どうぞ幾らでも持ってってくれ。
「ふぉっふぉっふぉっ、要するに大バカ者じゃの」
ジジイ、お前はもうちょっと弟子2人を見習った方がいいぞ。
軽口をたたきながらも俺は、頭上を料理が舞うなんてと落ち着かない気分だった。けれど、そもそもこのメンツで失敗など起こるはずもないのだ。やがて、自分だけが頭上を気にしていることが馬鹿らしくなった俺は、心配するだけ損だと開き直り、空飛ぶ料理を堪能したのだった。