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06. 魔が差す瞬間

 新しい教育課程を作る。

 それが、俺に課せられた使命のひとつだった。


 この国の問題とは、一部の若く有能な者たちが、ある日突然、命を落としてしまうことである。昔は奇跡に近かった魔術行使が、体系化され実用化されるにつれ、少しずつ増えてきた問題らしい。

 世の中が安定してくると、別の問題が浮上するのは、どこの世界でも同じだ。この国の魔術の在り方だと、ふと魔が差しただけのことも、術者が優秀であればあるほど簡単に実現してしまう。一見贅沢にも思えるそんな現象が、魔術に支えられているこの国では社会問題となり、ここ数年は国の存続が危ぶまれるほどの危機なのだそうだ。


 思春期の心はナイーブだ。失恋したから、テストの点が悪かったから、友達とケンカしたから。きっかけがどんなに些細なことでも、本人にとったら自分が、自分の可能性が否定されたことと同じ。襲ってくる無力感は半端ない。それが鬱症状と似たような心境にさせ、命を落とすことに繋がってしまうのだろう。

 だとすれば、思春期真っただ中を抜けてきたばかりの俺の助言は、きっと役に立つはずだ。


 日中、俺は資料や報告書を読んでは思いついたことをまとめ、夕飯時にオフロちゃんへと経過報告する。週末にはトゲイカコンビのどちらかがやってきて、詳細な打ち合わせを行った。


 優秀な者たちの落命をできるだけ防ぐこと、より簡便に発動する治癒魔術を開発すること。それが救国へと繋がる一助となる。そのため、魔術学校の教育課程も合わせて練り直しを行い、改定するのだ。


 オフロちゃんは夕方に帰ってきて、掃除洗濯を生活魔術で一瞬にして終えた後、夕飯の支度に取り掛かる。彼女は、夕飯の支度にだけは魔術を使わない。ご飯作りは好きなので、時間がかかっても自分で作る派なのだそうだ。

 俺はと言えば、居候の身なので、家事を何もしないまま世話になるわけにもいかないと主張して、朝食を作らせてもらっている。


 と言っても、休日にオフロちゃんが作り置きしているパンをスライスして焼き、バターとジャムを添え、適当な果物を剥くだけだ。その他、裏庭で野菜の収穫があれば、塩や味噌を付けて食べる。キジが卵を生んでいれば目玉焼きにしたり、市場でハムと交換してそれを焼くこともある。


 朝食の後、仕事に向かうオフロちゃんを見送って、俺も自分のやるべきことに集中する。自宅での仕事は気が緩みがちなので、学生のように時間を決めて行う。と言っても、時計などないので、太陽の位置を目安にする程度だ。


 昼食は俺一人だけで、多めに作っておいた朝食の残りを食べる。時々はご近所さんから差し入れを頂けたりもする。山あいにあって豊かな農地を有したこの村は、人も皆、温厚で人あたりがいい。


 オフロちゃんの父親を診に、時々顔を出すアリッサさんもそんな一人だ。30代、元王城魔術師だという彼女は、現在この村で、薬師と医師の中間のような立場にある。この若さで王城務めを辞したことを、出世競争で弾かれたのよと彼女は笑うが、実はかなりの実力者で、調合の腕はジイさんも一目置くほどであるというのは、トゲイカコンビから聞いた話だ。引退の真相は、激化する出世競争に嫌気が差して、という所らしい。ジイさんなどは、彼女の引退とオフロ父が倒れたのが同時期だったことから、初恋の君を看病したくてやめたんじゃろ、などと下世話なセリフを吐いていたが。


 「おはよう! あの子の様子はどう?」


 3日置きにやって来るアリッサさんは、いつも真っ先にオフロちゃんのことを気に掛けてくれる。時に無理して頑張り過ぎてしまう彼女のことを、わかってくれる大人が傍にいてくれるというのは心強い。


「貴重な木の実が手に入ったの。滋養成分を抽出したオイルを作ったから、朝夕のマッサージに使ってみたらどうかと思って」


 手際よくテーブルに薬瓶を並べていくアリッサさんは、亜麻色の艶髪に空色の瞳をした知的な美人さんだ。往診用に誂えたというシンプルな黒のワンピースに、まとめ髪。目立つ恰好でないにも関わらずなんとなく目を引かれるのは、立ち振る舞いが毅然として美しいからだろう。

 ちなみに、この国の医療従事者は主に白を着用しているのになぜ黒ワンピなのか問うと、返事は「汚れが目立たなくて楽だから」というものだった。実にさっぱりした人なのだ。


「一回につき、垂らしてこのくらい使えば効果的」

「了解です」


 大さじ一杯分くらいを示しつつ、三日分のオイルを量りながら、彼女は目線を父親の部屋へと振る。何が聞きたいのかは、わかっている。


「……まだなんです」

「そうよねえ。年頃の娘が男を連れ込んでるとなれば、慌てて起きてくるかと思ったけど、やっぱりそう簡単にはいかないか」

「ちょ、人聞き悪いですよ!」


 慌てて抗議する俺を横目に、アリッサさんは「えー? その反応、なんかまんざらでもなくなーい?」などとヘラヘラ笑っている。畜生、顔が熱い。


「俺のことより、アリッサさんはどうなんですか? オフロちゃんのお父さんがよくなったら、また王城へ戻るんです?」

「うーん……あそこは疲れんのよね。でも集まる素材は一級品だし、悩むところ。新しい学校の授業にも興味あるし、1/3ずつくらいで丁度いいんだけどなあ」

「学生が自営業しつつ王城でアルバイト、ってやつですね」


 何それ? と瞳を輝かせるアリッサさんに、日本のパートタイム雇用についてざっくり説明する。ものすごい食いつきだったから、意外と需要はあるのかもしれない。


「ふー。客人の知識は貴重よねぇ。ほんっと上は頭固いったら。あ、今のはここだけの話ね」」


 魅力的に片目をつぶるアリッサさんに、全力で同意する。


「俺、城では完全に能無し扱いでしたから、その気持ちよくわかりますよ。もう今更、訂正する気ないですけど」

「あーもー、勿体ない! 欲がないよねえ。あの王城の小うるさい奴らを黙らせるには、覚醒した君とあの子が所帯持つのが一番なんだけどなあ」

「……オフロちゃん、なんか言われてるんすか? 俺のせいで」


 所帯、という言葉に再び顔から火を噴きつつ、俺は気になっていたことを問う。


「ああ、いやいや。そっちじゃなくてさ、父親の方ね。王城ってやっぱ、競争の激しい世界だから。魔術師登録を残したままの父親のことを、いろいろ言う人がいるのよ」


 数年の不労で登録廃止になるってのに、その数年も待てない奴らがあそこには溢れてるってわけ。そう言って、アリッサさんは肩をすくめた。


 王城魔術師は優秀な者ばかりが選抜される狭き門だ。つまりは、空席を待ちわびる輩の心ない言葉があるのだろう。

 その登録廃止は、特別な理由があれば身内からも申し出ることができる。だけど、オフロちゃんのことだ。きっと、いつか父親が目覚めると信じて待っているに違いない。心ない誹謗中傷を、笑顔でスルーする彼女が容易に想像できて、俺は唇を噛んだ。


 何もできない自分が歯がゆかった。

 彼女の力になりたい——けれど。


 オフロちゃんは、父親のことを話したがらない。何かできることがあれば、という俺の言葉に、彼女は首を振り続けているのだ。俺が聞いたのは、その原因が病ではなく気力の問題だということ、妻を亡くしたことによる心因性ショックらしい、ということだけだ。


「いいんです。命と感情には干渉してはならない。それはこの国の魔術師が、最初に叩き込まれる心得です。自分の力で乗り越えられない生など、重荷でしかない」


 これが、その時の彼女の言葉だ。

 厳しい横顔で語る彼女は、誰をも寄せ付けない。普段とは違う一面に、俺はそれ以上なにも言えなかった。

 

 思わず考え込んだ俺の背を、アリッサさんがポンと叩く。


「ま、気にすることはないわ。言いたい奴には言わせておけばいい。こっちはこっちで、心に恥じないことをすればいいだけなんだからね。大事なのは自分。相手に惑わされてはだめ。いい? 少年。大事なのは自分よ」

「え? 俺?」

「あの子をよろしくね」


 アリッサさんは、そう言ってにっこり笑うと、いつも通り父親の部屋へと施術に向かった。




***




 今週末、やってきたのはトゲムチである。仕事の後、俺は、先日のオフロちゃん魔力暴走の一件を報告して、それを予防する道具を作ってくれるよう依頼を出した。トゲムチは手先が器用で、装飾品を模した魔術具の作成が得意なのだ。


「要するに、余剰魔力を吸収する機能を備えればいいんですよね。色や形のご希望はありますか?」

「そうだなあ……イヤリングがいい。緑の石で。普段使いできるよう、派手すぎないやつね。開発許可も出すよ」


 開発許可とは、依頼した物の複製・改良を、魔術省へ許可することだ。見返りは依頼品の費用一切。魔術具の作成には、希少な材料や高度な能力が必要となることが多く、この制度は大変ありがたい。もしも開発許可を出さないものを頼むとなると、トゲムチは勤務時間外に材料調達から始めねばならず、仕事場も使えない。費用も膨れるし依頼達成にも時間がかかってしまうのだ。


「では、書類を作成します」


 トゲムチの申請手続きを眺めながら、俺は浮かれていた。装飾品だけど魔術具だし、あんな魔力暴走があった後だ。大げさにならずに、オフロちゃんに上手く贈ることができるだろう。




***




 精力的に仕事を進めながら、日々は過ぎていく。


 ある日、オフロちゃんが落ち込んだ様子で帰ってきたことがあった。どうやら職場でトラブルがあったようだ。その日彼女は、いつものように掃除洗濯を一瞬で終わらせたあと、いつもより簡単な食事を、いつもより静かに終えて、その後、なかなか父親の部屋へ向かおうとしなかった。

 代わりに行こうかと申し出た俺に、その時はゆるく首を振っただけだった、けれど。


 行くのにも戻ってくるのにも時間をかけて、ようやく父親の部屋から出てきた彼女は、リビングで資料を広げている俺の向かいへ座った。

 初めてのことだ。普段なら、台所仕事をしたり庭の手入れをしたり、何かしら家事をしてから決まった時間におやすみを告げて、自室へと戻っていくのに。


 いつもとはまるで違う様子が気になって、俺は手早く仕事を切り上げ、資料を片付けた。そして一度は拒絶された彼女の父親への干渉を、もう一度提案してみる。しかし返ってきた言葉は、やはり拒絶でしかなくて。しかもそれが、彼女には似つかわしく強い言葉だったので、俺はもう一歩、踏み込んでみたんだ。


「言いたいことはわかるよ。でもそれだと、今俺たちがやっていることさえ否定することにならない? 本当なら死に至るはずの人を、助けるプログラムを俺たちは作ってる」


 木のテーブルの上で、オフロちゃんが、ぎゅっと両手を握りしめた。その心はわからない。背の低い彼女が俯いてしまえば、その表情はまるでわからなくなってしまうのだ。

 いつもより少し固い声で、オフロちゃんは話し出す。


「……魔がさすことは、誰にだってありますよ。ただ、それを実行するか否かの葛藤や推考が、まるでなされないままに魔術として発動してしまう、そのことが問題なんです。それを解決することは、死するはずの人を全て助けることにはならない。本当にどうやっても死にたい人は、魔術発動がなくても自害できますから」

「まあ、そうだけど……」

「現に、そのプログラムは一定の期間、一定の度合い以上の自殺願望には動作しないのでしょう? 死にたい人を引き留め続けることもまた残酷なのだと、ナイト様もおっしゃっていたではありませんか」

「でも、君のお父さんはまだ生きてる。それはつまり、死にたくないことの証じゃないかな?」

「……あれじゃ死んでるのと同じですよ」


 そう吐き捨てたオフロちゃんの声が余りにも冷たくて、俺は酷く狼狽えた。俺の言葉は、所謂その場しのぎで。それはオフロちゃんの心を、酷く傷つけてしまったようだった。


「そんなこと言うもんじゃ——」

「ううん。皆、言うんですよ。君の父親は奥さんのことを本当に愛していたんだねって。それじゃあまるで、元気な私が、母さんを大事に思ってなかったみたいじゃないですか」

「そんなこと……」

「そういうことですよ。まるで寝込むことが、本当に愛してた証拠みたいに。私だって、出来ることなら、そのまま寝込んでしまいたかったですよ。このまま死んでしまえれば楽なのにってくらいに悲しみましたよ!」


 どん、と叩きつけられたこぶしは震えていた。ぽつりとテーブルが濡れる。ぽたぽたと落ちるしずくが、木目の色を変えていく。思わず伸ばした俺の手を、固く握り込んだ小さなこぶしで拒絶したまま、オフロちゃんは俺を睨みあげた。


「でも、帰ってきた父さんがあんなで、母さんは死んでて。私までおかしくなったら、そこで終わりじゃないですかっ。だから頑張るしかなかったのに! なのに……!」

「わかるよ。誰もオフロちゃんのこと、そんな風に思ってない」


 濡れて色を濃くする緑の瞳が痛々しい。震えているのは嗚咽を我慢しているからなのに、その時俺は、なぜか彼女が寒がっているように思えて。

 だから、立ち上がらせた彼女に肩掛けを巻き付け、そのまま抱き寄せてしまった。

 彼女のおでこが、そっと俺の胸に寄りかかる。


「こんなこと思うの嫌なんです。でも、考えてしまうんです。いつまで甘えてんのって、私だっていつまでこうしていられるかわかんないのにって、寝顔を見ては、時々酷く腹立たしくなって……」

「うん」

「ずるいんですよ、あの人は。母さんが死んで、この世の終わりみたいに思ってるのは、私だって同じなんです」

「うん」


 父親や周囲に対する思いと、こうありたいと願う自分。そのギャップに、オフロちゃんは苦しんでいる。悩むことなんてないんだと、そう言ってあげたかった。でも、口にすると嘘っぽくなりそうで、俺はただ彼女の言葉に、馬鹿みたいに頷くことしかできなかった。


 ドジなのに世話焼きで心優しい。それが彼女の本質だと、俺は思う。投獄された俺にも、手を抜くことなくきちんと仕事をしてくれた彼女の存在は、異世界に戸惑い、心細さに押しつぶされそうになっていた俺の心を、少なからず救ってくれたから。

 自分に余裕がない時に、何かを許せなかったり、優しくなれなかったり、弱音を吐いたり、愚痴をぶつけたり——いったいそれが、なんだって言うんだ?

 そんな弱さは、きっと誰にでもある。


 腕の中のオフロちゃんの背中は、小さく震えていた。我慢して、我慢して、怒って、泣いて。そんなオフロちゃんが愛おしくて——俺は彼女を囲い込んだ腕に、ほんの少しだけ力を入れた。


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