05. ひとつ屋根の下
「それで、どうにかなりそうなんですか?」
オフロちゃんが、パンをちぎりつつ聞いてきた。
「なんとかね。大体はジイさんの思い通りになるんじゃないかな。結局は、思い描けさえすれば発動するっていう、魔術の簡単すぎる仕組みが問題なんだ」
俺はじゃが芋をつつきながら答える。今日の晩飯はポトフ。我が家ではポトフと言えば粗挽きのウインナーで、コンソメ味が定番だったけれど、オフロちゃんの作るポトフは塩漬けの豚肉を使っている。味付けは、肉から染み出す塩味とハーブだけだが、共に煮込まれているじゃが芋や人参、玉ねぎ、白いんげん、ポロネギなどの野菜の旨味がぎゅっと詰まっていて、シンプルなのにとても美味しい。添えられたパンは固めだが、小麦の味がしっかりしていて、ポトフのスープによく合った。
そう、俺は今、オフロちゃん宅にいるのである。
俺がこの世界に留まる間、どこに身を寄せるかは、必然的に俺の魔力覚醒を知る4人のうちの誰かの家、ということになった。しかし役職付きのジイさんは貴族階級扱いとなるため、自宅には王宮派遣の使用人がいる。イカズチは妻子持ち、トゲムチは寮住まいということで、一番適当なのが実家暮らしのオフロちゃんだったのだ。
オフロちゃんは、寝たきりの父親と2人暮らしだ。父親がいるとは言え、年頃の男女が一つ屋根の下に暮らすなんてどうかと思うのだが。
「お主が何かしようと思うたら、もうそれを止められる者などこの国にはおらんわ。ゆえに対策など無用じゃ。わしゃ無駄なことはせん」
ジイさんは、そう言ってカカカと笑っていた。オフロちゃんにはいい迷惑だろうと、俺はそう思っていたけれど。
——泉の客人の処分を王から任された魔術師団は、彼を見習いとして共同生活させ、更生と魔術覚醒を試みた。しかし客人は生活魔術すら発現させることができず、元の世界に返還されることとなる。その後、共同生活していた見習い魔術師の報告書を読んでいた上級魔術師(トゲムチ&イカズチである)が、客人との会話からヒントを見つけ、魔術団総出で見事救国を果たす——。
それが、ジイさんの描いた表向きの筋書きだった。つまり、それでジイさんたちの召還は一応成功をおさめたことになるし、彼女は彼女で、「罪人身柄引き受け」「更生支援」等の功績を納めたことになるのだそうだ。
利点があるのなら、まあいいか。
そう思って、数日前からお世話になっているのだ。
「簡単すぎる仕組みって言いますけどね、皆、それがなかなかできずに苦労してるんですよ」
ポトフの旨味を含ませたパンを頬張りながら、オフロちゃんはぷくっと唇を尖らせる。その割には、もぐもぐごっくん、の瞬間に、まるで「美味しくて幸せ〜」とでも言いたげな顔をするのだから面白い。
俺は考えるふりで視線を反らし、笑い出しそうになるのを隠した。
「きっと、想像の仕方が下手なんだよ。要は、過程が大事なんだ」
「どういうことです?」
「例えば、オフロちゃ……オフロさんが、攻撃魔術を使う時、どんな風に想像してる? 何でもいいから言ってみてよ」
「攻撃魔法の時……例えば炎弾を飛ばす時は、熱い炎がぐっと固まって、早く飛ぶ様子を想像します。——こんな風に」
ポロネギを上品に口に運んでいたオフロちゃんは、ゆっくりフォークを置いてから、じっと右手を見た。すると、人差し指と中指を揃えた先の辺りに、ぽっと小さな火が灯る。そのまま振り払うように手を動かすと、炎は指先から離れてしゅっと壁に向かい、だが途中でゆるやかに失速して壁際で消えた。熱くも早くもない。
「……ね。これじゃあ、使い物になりませんよ」
お恥ずかしいところをお見せしました、とオフロちゃんは肩をすくめた。そんな風にだから、想像の限界を超えられないんだと思う。
「過程を大事にしないからだよ。熱がどうやって固まるか、どうやって早く飛ぶか、そこをちゃんと考えなきゃ」
俺は手のひらに空気を圧縮し、窓枠に向けて放った。オフロちゃんの家の窓は縦軸の回転窓なので、窓枠の片側を押せば、枠に対して垂直に開く。
「ロウソクを想像して。いい? 蝋の代わりに魔力を食って燃える炎だよ」
「それは生活魔術の基本です。それくらいは——」
ほら、と微笑むオフロちゃんの指先には、先ほどと同じような炎が灯っている。
「ここから熱くする。熱くする、って考えるだけじゃだめだ。どうやって熱くするか、そこを考えるんだ。例えば、ロウソクは外側の黄色い炎が一番熱いから、そこだけ残して集める」
「炎を——集める!?」
「そう、思い込みに捕らわれないで。発想を飛躍させるんだ。想像すれば、なんでもできる。——ほら」
俺の指先で揺らめいていた炎は、次第に外炎だけで球体を作り、明るく輝き出した。
「早くするのだって同じ。どうやって速くするか考える。または、速い物と重ねて考えるんだ。俺の場合は、拳銃を思い浮かべる……俺たちの世界にある、武器なんだけど——こんなふうに」
パァン! という音がしたかと思うと、100mほど先の楠に似た木の枝が弾け飛んだ。
「やっべ! ごめんオフロちゃん、すぐ直すから! あああ、拳銃じゃなくてゴムパチンコとかにすりゃよかった」
「待って、待ってください。炎の外側が一番熱いって、なぜです?」
「え? ——ああ、そっか。俺たちの世界では、みんな知ってることなんだけど。どんな物事も、なぜそうなのか、って考える人がいるだろ。そして長い年月をかけて、あらゆる方法を駆使して真実を解明し、後の世代に伝えていく。俺たちは、そんな学びの場を子どもの頃から与えられるんだ。炎のことも、習うんだよ。もう細かいことは忘れちゃったけど、それでも——外側になるほど温度が熱いっていうのは覚えてる。それがこうやって異世界で役立つんだから、何が自分を助けるかはわからないよね」
俺の説明を聞きながら、静かに自分の指先へと集中していたオフロちゃんだったが、しばらくするとふうっと大きく息を吐き出した。
「……ダメ。私には、できないようです」
そりゃそうかもしれない。いきなり自分の常識外のことを言われ、すんなりと受け入れる方が難しいだろう。
「じゃあさ、オフロちゃんの得意な料理ならどうかな? 炎を、そうだね、煮込んでみるとか。実際に煮込んでも温度が上がるわけじゃないけど、煮詰まって、濃くなって、温度も上昇する……そんなイメージの助けにならない?」
「ろうそくの炎を、煮込む……」
真剣になる時、頬にはねるくせっ毛を耳にかけるのはオフロちゃんの癖らしい。苦戦していたオフロちゃんだったが、ふっと息をついて髪をかき上げ、再び挑戦し始めて間もなく——炎がぼこぼこと泡立ったかと思うと、ぎゅっと収縮して白っぽく輝き始めた。うん、きっと成功しているはずだ。
「いい感じじゃん。そのままそのまま。指はそのままで、今度は速く動くものを何か考えてみて。何かある?」
「速いもの、速いもの……ええと、何も思いつきません!」
「生活魔術で役立ちそうなこと、ない?」
「掃除、洗濯、えっとえっと、速いものなんて何も!」
「今まで見たことがあるものとか、何でもいいんだけどな。他にも例えば、あっという間だったこと、瞬間的だったこと、気づけば終了していたこと、とか」
「私が今まで見たことのあるもので、一番速いと感じたのはナイト様の防御壁展開です。私には無理です」
「ネガティブだなあ。そういうとこ本当、もったいないよ。俺のやった事でも、自分でもそれくらいやってみようって思わないと、この魔術の性質上、成功しないんじゃない?」
「……確かにそうかもしれないですが……」
オフロちゃんは、指先に白く輝く炎を維持したまま、眉根を寄せて考え込んでいる。炎を維持しつつ出来ないと悩むってことがもう、凄いことなんだけどな。だから後は、心掛けだけの問題のはずなんだ。
「あ、こういうのはどう? 例えばあの窓の向こう、遠くに見える山の頂上に俺がいるとする。で、君の炎弾を俺が全力で引っ張ったとしたら——」
その途端、シュッ! と空気を裂くような音がしたかと思うと、オフロちゃんの炎弾が山を目掛けて窓から飛び出した。慌てて時間停止を念じようとするが、炎弾のスピードが速すぎて捉えきれない。まずい!
焦って山頂一帯に防御を張ると共に、点ではなく面で捕らえるイメージを立ち上げた。
包み込んで消せ! 消去消去消去!
もうほとんどやけくそである。
「あっ……ぶねえ……」
「すみま……せ……」
危機一髪、なんとか寸前で止めることができた炎弾。
冷や汗をかいてへたり込んだ俺の前で、オフロちゃんも顔面蒼白で腰を抜かしていた。オフロちゃんのイメージする、俺の万能感が凄すぎる。しかも俺が一発で止められなかったことを考えると、オフロちゃんの潜在能力はかなり高いのだろう。
「……心理的なロックを掛ける方法を先に学んだ方がいいな。教育課程の練り直しが終わったら、新しいカリキュラムだけでも追加受講しなよ」
「えええっ、見習いは、魔力暴走のお咎めを受けないっていう決まりがあるんですよ!」
「いやいや、そりゃ『故意でなければ』だろ? 暴走するかもしれないとわかっててやるのは故意と同じ。絶対ダメ」
自分の尻拭いができるようになってからじゃないと、これ以上の魔術指導は危険だと告げると、オフロちゃんはがっくり項垂れた。