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11. あの日をもう一度


 俺がその四つ角を、ろくな注意も払わずに曲がったのは、そこが歩行者専用道路だからな訳で。

 あんな暴走軽トラックが走って来るなんて、想定外だったんだ。


 出会い頭に見た、あの勢いで、この距離。

 これ死んだわ、と思った瞬間、けれど誰かに引き戻されて。


 勢い余ってよろめき、しりもちをついた俺のすぐ鼻先を、トラックが唸りをあげて走り抜けていった。

 その迫力にビビり過ぎて、声も出ない。


「大丈夫ですか?」


 覗き込んできたのは、幼馴染のつばさちゃんだ。

 幼馴染とは言え、6つ年下の妹と同い年。俺のもう一人の妹みたいなもんだ。

 ふんわりセミショートがよく似合う明るい子。表情をくるくる変えて、それがある時ぱっと晴れやかな笑顔になるところなんかは、見ていて本当に気持ちがいい。彼女を見ていると、可愛らしいってこういうことだな、とわかるような気がするのだ。中学に入ってからぐんと背が伸びたことは、妹と並んだところをよく見ていたのでなんとなく知っていたが、こうして久々に見ると、本当に大きくなったなあと感じた。


 ちなみに俺の妹は、人見知りのせいで初対面の人間には物凄く無口だ。ちびなのでどうしても辛気臭い上目遣いになってしまうし、鉄仮面かと言いたくなるくらい、笑顔もたまにしか見せない。ただ、家族のひいき目を抜きにしても美人なのと、相手如何に関わらず毒舌なところが一部のマニアに人気らしいと、母親が保護者会で聞いてきた。

 何の話してんだ保護者会。


 そんな訳で、見た目も性格も、真逆とは言わないまでもかなり対照的な2人。

 しかし昔から仲良しで、中二になってからは高校受験を視野に入れ、一緒に勉強しているところもよく見かける。

 俺はそんな2人に、難問の解説を頼まれたり、今日みたいにおやつの買い出しを頼まれたりしている訳なのだが。


「……っは、怖え。死にかけた」

「ちょっと待ってて下さいね」


 つばさちゃんは、少し先で急ブレーキを踏んで止まったトラックの元まで行って、助手席側の窓から何やら話しかけている。しばらくすると戻ってきて、「大通りへの道を教えてきた」と微笑んだ。


「結構お年寄りでした。曲がるところを間違えて、迷ったって。この辺、一方通行ばっかだから出られなくて、焦っちゃったみたい。立てますか?」

「ああ、うん、ありがと。助けてくれた、よね? あれ?」


 四つ角を曲がったら、迫っていたトラック。

 俺の背後にいて、元の道に引き戻してくれたつばさちゃん。

 俺は、ふと違和感を覚えた。


「トラックが来てたこと、よくわかったね?」

「車の音がしてたんで。結構大きい音でしたよ」

「そうなんだ。全然気づかなかった。俺、マジで轢かれるかと——」


 その時。


 どくんと心臓が嫌な音を立てた。

 ふいに蘇るのは、迫りくるトラックを、もっと間近で見た記憶。


 轢かれる直前。

 耳をつんざくブレーキ音。

 ゴムが焼けたような匂いと共に、舞い上がる土煙。

 汚れたガラスの向こうに見えた、運転手の焦った顔——。



 ——なに、これ。


 鋭い痛みが、こめかみを襲う。

 見たことないはずの光景を、前に一度、確かに見てる。

 


 俺、マジで轢かれて——違う、直前で、転移した——。


 ふいに溢れる、異世界の記憶。

 デジャヴよりも、もっとクリアでリアル。

 魔術を使えるあの国を、今はっきりと思い出した。

 なのになぜ、俺は今、轢かれず無事でここにいるのだろう。


 ——違う。

 戻してもらったんだ。

 事故に遭うより、前の時間へ——。


 時系列が重複し、混乱のあまり頭痛がする。

 かすむ目を眇め、目の前の女の子を見た。

 さっき助けてくれたばかりの、命の恩人とも言える彼女は——。


「だれ……?」


 思わず口にしてしまった問いに、彼女は目を丸くする。

 やばい、何言ってんだ俺。


「や、ごめん、なんか、ぼーっとしてて。ショックが大き過ぎたのかもしれない」

「立てますか?」


 そう言われて初めて、まだ尻餅をついたままの態勢だったことに気づく。

 本当、どうかしてる。


「平気、ありがと。うわ、落としちゃったけど、つぶれてねーかな」


 俺のポテチはいいとして、問題は2つのプリンだ。潰れて中身がぐずぐずになってたりしたら、きっと妹はうるさいだろう——なんて、手にしたコンビニ袋の確認をしたのは、とっさの現実逃避だったかもしれない。

 俺はプリンを軽く振りつつ立ち上がった。まだ混乱が収まらない。


「そう言えば、つばさちゃんはどうしてここに? 何か用事があるんなら、俺は一人で平気だよ」

「あ……えっと、ちょっとお話があって」

「俺に? あ、サクの奴まさか、やっぱり豆乳プリンやめてアイスに、とか言ってんじゃねえだろうな」

「え? あの店、卵不使用のアイスなんて置いてました?」

「ないんだよ、だから俺が作らされんの」

「わあ、アイスも作れるんですか?」

「うん、なんちゃってアイス風、だけどね。生クリーム泡立てといて、このプリンくずしたのに混ぜて冷やすだけ。簡単だろ? いい加減自分でも作ってみりゃいいのに」


 俺が顔をしかめながらぼやくと、つばさちゃんは小さく微笑んだ。


「作ってほしいんですよ、大好きなお兄さんに」

「いやいや、いい様に使われてるだけだろ。で、話って何?」

「あ、えっ……と」

「なんか言いにくいこと?」

「いえいえ! ええっと、あのですね、つまり……」


 つばさちゃんは、少しだけ迷うそぶりを見せた後、俺を見上げて儚げにほほ笑んだ。

 伸びた前髪を右耳にかけるその仕草が、誰か似てる気がして心臓がはねる。


「アイスを作れるのは今知ったけど、マヨネーズを作れることは、もっとずっと前から知ってましたよ。葱焼も、それから、茶わん蒸しもね。作り方が結構複雑なのに知っていることが不思議だったんですが、咲耶ちゃんのためだったんですね」

「……え? 何、言っ——」

「卵アレルギーのある妹のために、いろいろ作れるようになったんですよね? 共働きでお母さまが忙しくて、卵料理の時は別の物で済ましていたのを、みんなと違うおかずが嫌だって咲耶ちゃんが泣いちゃって、それでナイト様がキッチンに立つようになったって。あ、これは咲耶ちゃんから聞いたんですけど」

「な、え……?」

「話があるというかね、助けに来たんです、さっきの軽トラに轢かれるはずだったナイト様を。で、無事に助けられてよかったです。ギリギリじゃないと、思い出してもらえない可能性があったんで。でも、思い出したんですよね? 私のこと、わかります?」


 今はもうあの頃の面影も何もないですけど、などと言いながら、一歩距離を詰めた彼女が、じっと俺の目をのぞき込む。

 その真っすぐな視線が、緑の瞳のあの子と重なった。

 まさか、まさかまさかまさか。


「つばさちゃん? え? え? つばさちゃん、きみ——」

「ふふっ。お久しぶりです、ナイト様。ご無沙汰しております。その節は私どもの国をお救い頂き、ありがとうございました」


 そういってつばさちゃんは、両手を組んであの国の正しい礼の姿勢を取ってみせた後、瞳をきらめかせて微笑んだのだ。

 会いたかったですよ、と。




***




 それから、どうしてこうなったのか。

 つばさちゃんは今、俺の部屋でプリンを食べている。


 妹は、間違った気の使い方をして外出した。というのも、突然の展開に呆然としたままの俺が、つばさちゃんに腕を取られているのも気づかずに帰宅してしまったからだ。


 俺たちを見るなり妹は、「あ、上手くいったんだ、良かったじゃん」とつばさちゃんに笑って見せ、「大事にしなよね」と俺を軽く睨み上げた。

 何か誤解されている、とはっとなったが時すでに遅し。加えて肝心のつばさちゃんが下手くそなウインクを披露しつつ、「ありがとー!」などと返すものだから、妹のあやしい笑みはますます深くなるばかりだったのだ。


 これが純粋に妹分のつばさちゃんだったなら、そんな冗談にだって幾らでも乗ってやるのだが、彼女の中には別の人がいるかもしれないことを知ってしまった俺の心中は、非常に複雑かつ混乱中だ。加えて、今どきの女子中学生を2人も相手にして、かなうわけない。本当勘弁してほしい。


 まあ、積もる話もあることだしな、と自分を無理やり納得させて、リビングに案内してみれば、さっとコンビニ袋を奪ったつばさちゃんは、勝手知ったる我が家のキッチンでお茶を用意し、妹の咲耶の分の豆乳プリンを冷蔵庫に仕舞い、俺のポテチを器にあけて、俺の部屋へ行こうと言い出した。聖泉の客人たるナイト様の生まれ育った環境をこの目で、などと言われたら、頑なに拒否する方がどうかしている気になるわけで。別にこっちは構わないよと開き直ってはみたけれど、この後の展開がさっぱり読めない。一体どうしたらいいんだろう。助けて母さん。


 しかしドギマギしている俺とは裏腹に、つばさちゃんは落ち着いたもので、自分のプリンの封を切りつつ、時々は俺のポテチをつまみながら、かの国の近況報告を始めた。

 いや、まあ、そういうの要るよな。俺も思わず話に引き込まれる。 


「ナイト様のご助言により始動した救国計画は、無事に軌道に乗せることができました。魔術師の数と共に国力も徐々に回復傾向で、私たちも一安心したところです」

「そっか、よかった。俺も呼ばれたかいがあったってわけだ」


 国王の印象は最後まで最悪のままだったが、今、彼女の嬉しそうな様子を見て、じんわりと達成感のようなものがこみ上げてくる。役に立ててよかった、心からそう思う。


「あ、そうそう。伝言を預かっていますよ。魔術師長さまからは『だましてすまんの』だそうです」

「……なんのことだ?」

「夕食会だ慰労会だと言って、実は送別会だったことをおっしゃられてるのだと思います」

「うわあ、どうでもいい。超どうでもいい。そういう思わせぶりなとこ、あのジイさん本当うざい」


 俺の悪態に、相変わらずですねえ、とつばさちゃんが微笑む。


「魔術師長さまは、魔術省を退職され、現在は魔術師学校の用務員と特別講師を兼任しておられますよ。でも授業より、顧問となられた菜園クラブの方に力を入れておられます。野菜の巨大化を研究して、収穫量を上げたいんだとか」

「勝手にしろ」


 カボチャだろうがナスだろうが好きなだけ大きく育てとけ。


「一補様からは、『わが人生ここに極まれり』とのことです」

「第一補佐っていうと、イカズチか。相変わらず暑苦しい奴だなあ」

「一補様は、魔術師長の次に師長となられました。ですが2番目のお子様ができた時に奥様が体調を崩されて……その時に、より深く関わった子育てを通して、幼児教育の重要性に気づかれたとか。現在は王城魔術師の任を退き、国内初の幼児園を開設、初代園長をされています」

「まじか……ゴリマッチョのくせに園長先生とか、似合わなさ過ぎるわ!」


 脳筋園児ばかり育つんだろうか。むきむき幼児……嫌すぎる……。


「二補様からは、『これが僕の集大成です!』と」

「トゲムチは、安定の爽やかボーイだな! でも意味わかんないのはさすがあいつらの仲間というかなんというか……」

「ナイト様が力を残した数珠を元に、数々の魔術具や魔法陣の開発に貢献した彼は、現在の魔術師長ですよ」

「まじか! 大出世じゃん! おめでとう!」


 ある意味、唯一まともだった奴だもんな。当然の結果だろう。


「お陰様で、うちの父も第二補佐に返り咲きました」


 嬉しそうに微笑む彼女に、俺も嬉しくなる。父親と和解できたのだろう。本当に良かった。


「それはそれは、おめでとう。確か以前も第二補佐をされたことがあったって話だっけ? その時は奥さんが第一だったんだよな?」

「ええ、過去には私の母が努めていたこともありました。今の第一は、ナイト様はご存じない方なのですが……でもその前は、私が務めておりましたよ」

「へ、ええっ! オフロちゃんが!? あ、いや、ごめ、あの……」


 なんとなく呼ぶのを避けていた彼女の元の名をつい呼んでしまい、ドギマギする俺とは対照的に、つばさちゃんは余裕たっぷりのいたずらっぽい目つきで見上げてくる。


「意外でしょ? 私もびっくりでした。新しいカリキュラムを学ぶために学校へ行きなおしたんですが、そこで修練を積むうちに系統が変化して……私、特殊系になったんです」

「お、それって珍しいやつだっけ?」

「ええ、なんでも、私の母親が特殊系だったらしくて。その力を受け継いだんじゃないかって言われました」

「へえ〜。才能が開花したってやつだね。あの後ろ向き発言ばっかしてた見習いがなあ」

「ふふっ」


 緩む頬を抑える仕草から、本当に嬉しそうな様子が伝わってくる。


「頑張ったんだな、オフロちゃん」

「ええ、夢を叶えるために必死でした」

「そっかそっか。みんな元気でやっているようで何よりだよ。俺、こんな大事なことをなんで忘れてたんだろ。本当にあの瞬間まで、全然思い出さなかった……ていうか」


 俺は不思議なことに気づいて、オフロちゃん——今はつばさちゃんの姿をした女の子を見た。


「なんか、時の流れが違わない? 向こう、どんだけ経ってんの? っていうか、そもそも君は——」


 その問いかけは、先程も俺の頭をよぎり、でもなぜか怖くて聞けなかったことだ。

 聞いてもいいんだろうか。

 俺は束の間、逡巡する。


 オフロちゃんなのは、わかってる。

 でも、彼女はつばさちゃんでもあるのだ。

 

 ——いつから?


 思わず眉を寄せた俺を気遣うように、つばさちゃんは申し訳なさそうに口を開いた。


「混乱させてしまい、申し訳ありません。実は——ナイト様の帰還に、一部手違いが発覚しまして」


 しばらく見つめ合った視線は、再び手元に落とされる。

 彼女が言葉を紡ぎ出すのに苦労しているのがわかった。 


次話で最終回です

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