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閑話04. 薔薇の記憶 〜種を蒔く〜


 夢を見ているのだとわかっていた。


 幼い手が杖を握りしめ、魔樹と対峙している。

 震えて定まらぬ杖先。

 ガチガチと合わぬ歯の根。


 目の前で、魔樹はそのつるで捕らえた上級生を、容赦なく締め上げていた。

 鋭いとげが彼女のローブを切り裂き、高貴な白い肌を傷つけようとしている。

 

 これは夢だ。

 これはロイが一年生の時、暗い森で実際に起きた出来事。


 今のロイには、初心者用の杖どころか、呪文すら必要ない。

 狂暴化したとて野生バラなど一瞬で消し炭に——いやその前に、向こうが近寄って来ないだろう。


 けれど夢の中のロイは、あの時と同じように非力で、なすすべもなく怯えている。

 まだ魔術の、初歩中の初歩しか知らなかったあの頃。


 ロイは意識を閉じて、夢の中の自分に同化していった。

 今の自分を形作る、きっかけになったあの出来事に対峙する自分に——。


 ——どうしてこんなことになってしまったんだろう。


 ロイは狂暴なララ・ローズを前に、魔法杖をぎゅっと握り込んだ。



***




 校外学習のパーティが無作為に組まれるのは、学年を超えた交流をはかるため、らしい。


 ——それにしても。


 初日こそ、ロイはため息をつきたい気分だった。

 なぜなら、彼と組むことになった二人は、あろうことか貴族の娘と英雄の娘。

 いずれも学校で、知らぬ者などいない程の有名人だったからだ。


 一方、ロイはと言えば平民の中でも下位と蔑まれる、貧乏村キクストンの出身である。

 それを知られるたび、心ない言葉や扱いを受けてきた彼としては、平民同士でもこうなのだから、有名どころと組まされようものなら、一体どれほど惨めな思いをしなければならないのだろうと思うのも無理はなかった。


 けれど、それは初日だけの杞憂で。


 彼女たちは、身分や出身をまるで気にせず、公平にロイを扱ったのだ。

 そしてさも当然のように「校訓にもあるしねー」「『身分を問わず交流を深めて己を磨くべし』ですわ」などと言ってくれる。


 彼女らの振る舞いが、どれほど彼を勇気づけたことか。 

 ただ魔力があるというだけで、貧しい村の将来を託されて王都へ送り出されるということが、身寄りのない6歳の少年にとってどれほど重いことか。


 一度はくじけそうになった心がなんとか持ち直したのは、彼女たちのおかげだ。

 もうすでに、何度目かの校外実習を終えたが、皆、平和的な性格で相性も良い。

 実践を学ぶ場でメンバーに恵まれたことを、ロイは嬉しく感じていた。 


 


「わたくしの採取課題は、ゆめユリの蜜と、ララ・ローズの実、擬態のしずくですわ。あなた方は?」


 探索魔術を使いながら先頭を行く貴族の娘が、柔らかな声を風に乗せながら振り返った。

 五年生のフィリグリオ子爵家令嬢、フィリグリオ=ミチャレイである。


 子爵家ながら、フィリグリオ家の4兄妹と言えば、成績優秀・眉目秀麗で有名だ。

 兄二人は揃って王城の高官を務め、妹たちはどちらも目を見張るような美人で、いずれは有力貴族へ嫁ぐことになるだろうという噂だった。

 尤も、ロイからすれば子爵も公爵もない、貴族は貴族である。


 彼女の長い金髪が、淡く光に透けるさまに見とれながら後に続いていたロイは、ふいに愛でていた陽だまり色が視界から消えたことではっと我に返る。


 気が付けば、令嬢がロイを見つめて微笑んでいた。

 年の割に背のひょろ長いロイは、彼女の身長とほぼ同じだ。

 だからなのか、いつもとても近くに感じられる彼女の顔は——。

 

 透き通るような肌。

 ふわりと色づいた頬と唇。

 薄茶色の大きな瞳。


 その儚げな美しさと洗練された所作は、いつになっても見慣れることなくロイの胸をときめかせた。

 ドギマギして赤い顔で俯くロイの後ろから、英雄の娘が元気よく答える。


「えっとあたしは、ヘビガエルの粘膜と、赤土! です!」


 それが三年生のリエル、焦げ茶色のくるくるくせっ毛に緑色の目をした、小柄で愛らしい女の子だ。

 どんな状況にも物怖じせず、ハキハキと明るいパーティのムードメーカー的存在。

 一応平民ではあるが、彼女の出身は山あいの自然豊かなカルメス村で、ロイのそれとは大きく違う。

 何より、彼女の両親は共に優秀な王城魔術師で、その功績から王より苗字を賜った特別な存在なのだ。

 飛び抜けた魔力量を自由奔放に放出する母親と、それを丁寧に修正・操作して最大の威力を引き出すという父親。

 その仲睦まじさは、全魔術師の憧れでもある、らしい。

 当然、彼女もその才能を高く期待されている注目人物であった。


「ぼ、ぼくは、モイラの苔、です」


 リエルが令嬢とやり取りをしてる間に、どうにか態勢を立て直したロイは、自分もようやく返事をすることに成功した。

 貴族との会話は緊張が走るものだけれど、少しずつ慣れてきたように思う。

 ただ、この令嬢が美し過ぎるせいで、つい見とれてしまってなかなか思うように言葉が出てこないのが困りものなのだけれど。


 ミチャレイは、そんなロイとリエルに優しく微笑むと、ほっそりした腕をすっと持ち上げて目の前に広がる森の西側を指した。


「それでは、暗い森をこちらからまわって、沈黙の湖の手前まで参りましょう。今回は簡単な採取になりそうですけれど、皆さん最後まで気を抜かないでやり遂げましょうね」

「はい!!」

「はい!」


 そうしてにっこり笑い合うと、三人は再び一列になって歩き出した。

 だが森へと踏み込み、しばらく経った時、それは起こったのだ。


「あっ、ララ・ローズ! あたしが採ってもいいですか?」

「ええ——いえ、待って。移動中だわ。定植が済むまで——」

「平気です! やったことあるから!」


 あっという間に飛び出していったリエルは、身軽に森の下草を抜け、その実に手を伸ばしたところで——地面に叩き付けられたのである。


「リエル!」

「下がって!」


 ひゅん、と枝が空を切る音にいち早く気づいて駆け寄ろうとしたロイはしかし、ミチャレイの制止にたたらを踏んだ。

 尚もリエルを狙う枝へと、令嬢が牽制の魔術を放つ。

 だが、通常ならそれで逃げるはずの魔樹は、微塵も後退する素振りを見せなかった。


「な、なんで……?」

「かなりの老齢樹ですわ。もしかして、代替わりするところだったのかも」


 だとすれば、リエルの防御が効かなかったのも頷ける。そうでなくても根をさらす移動中は気性が荒くなるララ・ローズだ。それが数百年に一度の代替わり期なら、魔力も攻撃力も最も高まる時期で。


 ——それに確か……。


 守られるばかりの立場であるロイが、どうにか二人の役に立てればと通い詰めているのは図書室だ。

 持ち出し禁止の魔樹魔草図鑑、そのずっしりとした重みとほこり臭い紙の匂いを思い出しながら、そこで得た情報を口にする。


「魔力を……代替わり前のララ・ローズは、相手の魔力を吸うようになる、って」

「まあ、よくご存じですのね。その通りですわ。ですからロイ、わたくしの後ろへ」


 敵を見据えたまま令嬢が問う。

 時おり牽制をはさみながら、慎重にララ・ローズとの距離を保っているのだ。


 ロイは後方支援として、魔力を地に走らせ、広範囲の防御壁を立ち上げながら彼女の背後につく。

 できるだけお荷物にならぬよう、やるべきことをやらなければならない。

 ぎりぎりの攻防だからこそ、下級魔獣など、雑魚の横やりは避けたかった。


 リエルはまだ伏したままだ。

 ミチャレイが徐々に圧され始める。


「……ロイ、リエルの覚醒をお願いできます?」

「はい、でもあの、直接触れなければ」

「ええ、意識覚醒の遠隔操作は二年次から学ぶことですものね——それで結構。わたくしが入れ替わって時間を稼ぎますから、その間にリエルを起こして下さい。その後、三人で一斉攻撃を仕掛けましょう」

「き、危険過ぎます! リエルを移動させて——」

「いいえ、それをすればララ・ローズが付いてきてしまうわ。そうすれば貴方が狙われます」

「でも」

「大丈夫、わたくしを信じて。これでも防御は得意なのです。けれど万が一、リエルの覚醒の前にわたくしの拘束率が50%を超えるようなら、その前に救命信号を打って頂きたいの。ロイ、救命信号は打てます?」

「はい、でもあの、それじゃあ、フィリグリオ様が——」


 任務失敗は、最上級生が全体の責任を負うことになる。そのペナルティは決して軽くない。

 けれど彼女は、美しく微笑んで毅然と言い放った。


「ロイ、命の方が大事ですわ」


 そう、確かにそうだ。けれど、彼女は貴族の娘で——。


「頼みましたよ!」


 ロイの返事を待たず、彼女は魔術を位置転移に組み替える。

 攻撃の手がゆるんだとみてリエルを狙ったララ・ローズは、その寸前で彼女と位置を入れ替えたミチャレイの反撃を受けて触枝を切り落とされた。


 ビイイィィィー! と鼓膜を震わせる音が響き、やったと思った瞬間、切り口から新しい枝が二本、物凄い勢いで伸びる。

 枝は低くしなりつつ、令嬢の足に絡みついた。


「フィリグリオ様!」


 ぎゅるぎゅると伸びる枝は、鋭いとげで衣服を切り裂きながら這い上り、腰から胸へと締め上げて肩を極め、彼女の利き腕を捕縛した。

 乱れたローブの襟ぐりから、血を滲ませる白い肩が見える。

 突然のことにロイは、痺れた様に動けなかった。

 

 震えて定まらぬ杖先。

 ガチガチと合わぬ歯の根。


 ——どうしてこんなことになってしまったんだろう。


 ロイは狂暴なララ・ローズを前に、魔法杖をぎゅっと握り込む。


「ぐっ……! リ……ルを……」


 苦痛に歪む令嬢の顔に泣きたくなった。

 どうしよう、どうすれば。

 気持ちだけが焦り、心の臓の音は走り、なのに身体はじんわりと冷えていく。

 どうにかして落ち着かなければと、ロイは戦闘時の基本を思い出し、まずは自分の状況を俯瞰して見るように努めてみる。


 校外実習中のトラブル。

 三人のうちの二人が戦闘不可に陥っている。

 自分のみが攻撃可能だが、非力。

 そうだ、攻撃してはならない。

 代替わり間近の魔樹は聡い。

 力量をはかられたら終わりだ。

 牽制を続け、どうにか二人を——。


 そこで、ロイはようやく令嬢の指示を思い出した。


 脇で伏すリエルを、起こさなければならないのだ。

 けれどロイは、目の前の老木から杖先を外すことをためらった。

 それは攻撃対象から外すことと同義。

 嫌な予感がするのだ。

 目をそらせば、杖をそらせば、ララ・ローズは一気に畳みかけてくるかもしれない。

 それでも、なんとか彼女に触れなくてはならない訳で——。


「ごめんリエル! 『朝ですよー!』」


 ロイは倒れたリエルの背を踏みつけ、覚醒魔術を送り込んだ。

 手も杖も使えないんだから、ごめん許して、と心で謝り倒す。


「っててて……失敗失敗! ってかロイ呪文だッさ! なんで朝……げ! レイさま!」

「応戦中です! フィリグリオ様は3人一斉攻撃か、もしくは50%以上拘束される前に救命信号を打てと!」

「だめだめ! 救命信号なんて打ったらレイさまのせいになっちゃうじゃん!」

「でもフィリグリオ様は、命の方が大事だとっ!」

「ばかねロイ、そんなことになったら、あたしたちの命が何個あったって足んないわ! 絶対助ける!」

「どうやって!」


 悲鳴のような声が出る。

 リエルの暴走は今に始まったことではないけれど、こんな危機的状況の最中にも、彼女はぶれないのだなと、ロイは頭の隅で思った。

 なんて言うか、いろいろ泣きたい。


「今考える! えーっとえっと、拘束率はどうなってる?」

「42パーセント!」

「えーっとそれなら、あと8%だから〜」

「240秒! 200秒以内になんとか」

「わかってる! でもそれには、あの右手の拘束を解かないと……! どうしようロイ、あたし、細かいコントロール苦手なんだよね」


 知りませんよ!と突っ込みたい気持ち満々ながら、知ってます、とも思ってしまう自分の物分かりの良さが嫌だ。

 ロイは冷静に効果的な対策を練った。


「枝じゃなくて根っこは? 枝みたいに素早く動けないし、ララ・ローズの弱点ですよね?」

「あ、そっかそうだ! じゃあもう一斉攻撃は諦めよう! ていうか攻撃そのものをやめよっか。あたしが土から魔力を送るからさ、それで見逃してもらおうよ」

「はあ!? そんなこと——」

「できるはず! 代替わり中なら、十分な養分があればレイ様から手を放すはず。やってみるね!」

「あっ、ちょっ」

 

 待たんかい!!

 ロイは思わず、足をひっかけてリエルを止めた。先程一度足蹴にしたのだ、今更である。


「ったあ! 何すんのよっ」

「落ち着いてください! さっきもそれで失敗したでしょ」

「だから挽回するんじゃん! 大丈夫、魔力送るだけだよ?」

「送るだけじゃダメなんです! それだと先に奴の力が増して、フィリグリオ様が危険です。そうじゃなくて、もっと一気に飽和状態へと持って行かなくてはなりません」

「……どうやるの?」

「できれば向こうを威嚇しながら、時間いっぱいまで溜めてください。量をたくさん、濃度を濃く……! その間に僕は、下準備します。あと120秒!」

「やって、みる……!」


 集中し始めたリエルを横に、ロイは改めて捕らわれた令嬢を視た。

 ララ・ローズの触枝は、相変わらず彼女をぎゅうと締め付けている。が、傷を負っているのは最初の一撃を受けた箇所だけで、後の部分は薄く風をまとった防御が効いているようだ。

 これなら令嬢は、まだ十分にその余力を残しているのではないかと思われた。


 一斉攻撃も可能か——ロイがそう思案しかけた時、ふいに彼女からの思念鳩が飛び込んでくる。


『ロイ、指揮を任せます』

 

 はっと顔を上げれたロイを、意志ある瞳で見据える彼女。

 ロイの心臓がどくんと鳴った。


 儚げな微笑みの中の、強い瞳。それらを淡く包み込む、陽だまりのような金の髪。

 なめらかな白い肌を傷つけようとする、とげとげしい薔薇のつるだけが、どうしようもない異物としてそこに在る。

 彼女の美しさを拘束する、圧倒的な存在——。


 ロイは頭を振り、陥りかけた思考の闇を散らす。

 そういうことは後でいい。

 今は何よりも、彼女の安全を優先しなければならないのだ。


 となれば、やはり一斉攻撃は無しだ。

 何より自分とリエルの力量が不確定すぎる。


 ロイは足元の土を大きく掘り上げてかき混ぜた。空気を含ませ、虫や木の根を取り除く。

 頭の中のカウントダウンが、30秒を切った。


「リエル、準備はいいですか?」

「ばっちし! ていうかちょっと暴走しそう! もう飛ばしちゃっていいかな?」

「待って、まずはこの土へと吸収させて下さい。それから土ごと奴の根元にぶつけるんです」

「了解了解! 魔力の元肥って感じだね! あ、レイさまが汚れちゃわない?」

「大丈夫です、あの方は避けられます」

「わかった! それじゃあ、いっくよー!」


 リエルは大きく両腕を振り上げ、練り上げた魔力を土へとぶっこんだ。

 土は勢い良く練り上がり、その反動で玉になったかと思うと、魔樹に向かってなめらかに転がり始める。

 

 ほんの一瞬、警戒を見せたララ・ローズはしかし、すぐに魔力の匂いを嗅ぎつけて根を伸ばす。

 令嬢への拘束が緩んだ。


「これってチャンス!?」

「ダメです、待機!」

「うー! 了解……!」


 皆が見守る中、魔樹の根がゆっくりと土玉を囲い込む。

 木全体が大きく震え、そのままその場へゆっくりと根を差し込み始めた。

 ハラハラと葉が落ちる。

 リエルが眉を寄せた。


「枯れた……?」

「定植と違って、代替わりは葉を落とすんですよ。ほら、あそこ」


 ロイの目線を辿れば、鈴なりになっていたララ・ローズの実の中でも、とりわけ大きな一粒が見える。


「あっ! 収穫は?」

「待って、リエルは待機です! フィリグリオ様はその実が落ちた瞬間にこちらへ」


 ロイの指示に、小さく口角を上げて了解の意を返す令嬢。


 そして3人の見守る中で、艶やかに実った一粒がぷるりとふるえ、地に落ちた。

 令嬢が、ララ・ローズの拘束をすり抜け転移する。


 無事脱出できたことにほっと息をついたのもつかの間、落ちた実からはうっすらと新しい魔力が漂い始める。

 やがて——新しい緑が芽吹いた。

 新生ララ・ローズだ。


 その小さな姿に似合わぬ驚異的な進展力で、するすると枝を伸ばして若木に成長したララ・ローズは、ひときわ長く伸ばした一本をひゅんとしならせ、隣の親木の枝を次々払い、最後に主幹を真横に薙いだ。

 そうして、そこへ生々しい切り口を晒す切れ込みを入れたかと思うと、自身の幹をも同じ角度で切り出し、ゆっくりと親木の切れ込みへと差し込んだのである。


 やがて、徐々に接合されていく親と子の切り口。

 ララ・ローズの代替わりは、植物で言うところの接ぎ木なのだ。


「暴力的……」

「乾燥に弱い魔樹ですもの、時間との勝負なのですわ。ロイ、お待たせしました」


 魔力と体力を回復させた令嬢が、戦線復帰を告げた。

 ロイは慎重に最後の指示を囁く。


「リエル、落ちた枝から実を回収。フィリグリオ様は離脱準備願います」


 こうして、彼らはようやく難を逃れたのだった。

 ただ、リエルだけはお約束のように、最後の最後にやらかしたのだけれど。


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