閑話01. 彼らの後始末
聖泉の客人と呼ばれた青年が、光の奔流に飲み込まれていく。
その一瞬の表情に、見送る立場の魔術師が一人、微かに眉を寄せた。
彼の名はロイ。
国の筆頭魔術師である師を補佐する栄誉ある2名、その2番手に抜擢された若者である。
現出を維持している魔法陣への監視がおろそかにならぬよう、彼は細心の注意を払いながら周囲を確認する。
師は、すでに客人より目線を切っていた。
陣組成の維持と外部との調整、それはこの帰還陣を成立させるために最も重要かつ繊細な部分だ。
一切の揺れを見せずに感情を切り替え、現在は風の速さで外部とのやり取りを行う師に、彼は改めて尊敬の念を抱く。
一方、相対する位置で彼と同じ任を担う第一補佐は、ただひたすらに何もない上空を睨み上げていた。
情に厚い一補のことだ、きっと早い段階から涙をこらえていたに違いない。
兄弟子と慕う彼の、頑強な見かけからは想像もつかない人間臭さに、ロイは自らの口角が緩むのを感じた。
家の住人である父娘の姿は、未だ見えない。
けれど、もう間もなく奥の部屋から出てくるだろう。
だからそう、彼だけが見ていたのだ。
かき消える間際の青年が、帰還に喜ぶそれではない、惜別の表情を見せたことを。
それは本当に一瞬だけのことだったが、ロイは思わず魔力を差し向け、青年が消えた周辺を探った。
そうして掴んだものは、ひとしずく。
床の上の丸い落涙である。
魔術師の悲しい性で、咄嗟に感情解析した彼は、途端、腹の底を冷やした。
「ぼんやりするな! 次じゃ!」
「はっ」
師からの叱咤で我に返り、改めて任務へと集中する。
今は大事。
ロイは気を取り直し、先ほどまで楽しく過ごしていた室内を見渡した。
***
宙高く漂うままにされていた料理を回収し、兄弟子の4次元へと収容する。
痕跡と匂いを消去して、椅子を戻し、部屋の温度を下げていく。
室内を整えていくのは、客人との良好な関係を、決して悟られてはならないからだ。
慌ただしく物が浮遊する中、第一補佐が一部の空間を隔離し、部屋から顔を出した父と娘を招き入れた。
父親は元々王城魔術師を経て、当時の魔術師長第二補佐を務めあげた男ゆえ、王城からの信頼も厚い。
娘もまた大きな魔力を秘めているが、制御に苦労して未だ見習いに甘んじている。
今回はそれを逆手に取り、王城へ応援を要請したのである。
『見習いは、魔力暴走のお咎めを受けない』
そう、本来用意した客人帰還の筋書きは、聖泉の客人たる青年に説明したそれとは少し違う。
ロイ達は、客人の魔力が暴走したのではなく、見習い魔術師の力が暴走したことにしたのだ。
なぜなら、客人に魔力があることが分かれば、彼はこの国に留められてしまうから——。
ただそれをかの青年に説明すれば、彼は見習いを思いやって賛成しないだろう。
そこで娘の申し出により、その一点だけは彼に伏せられることとなった。
お互いを思いやるがゆえの配慮——そこには、深い愛情が見て取れる。
なのに、本人たちだけがそれを認めない。
そのもどかしさに、歯がゆさを覚える魔術師たちだったが、いくら周囲がそれを気にしたところで、当の本人たちが認めないのだから仕方ない。
せめてあの青年が守ろうとした、見習いの娘を我らで守ってやらねば——。
魔術師たちは、そんな思いの元に、それぞれの任務を遂行した。
***
渦中の娘は、隔離空間の中で意図的に魔力暴走を起こしていた。
父親がブースターの役割を担い、その力を最大限にまで引き上げる。
響く爆音も舞い上がる粉塵も、被害の全てを静かに飲み込んだ空間は、次にそれらの座標と威力を正しく測られ、整えたばかりの室内に転写を始めた。
無音で形状を変えていく室内。
ひと時の静寂の中、ロイの視線は、自然と客人が最後にいた場所へと向かった。
他の者たちも、吸い寄せられるようにそれに習う。
思い浮かべるのは、投げやりで尊大で、なのに性善を備え持つ青年。
魔術のない異界から来たにも関わらず、規格外の魔力と思考を持つ男だ。
長とその補佐2人が、並みいる王城魔術師たちをこうも鮮やかに欺けるのは、異界の彼からその知識や思考のコントロール、想像の明瞭化のための思考プロセスを手ほどきされたからであった。
『これを世に出せば、国が覆るじゃろのう』
師の言葉が、思い出される。
そこに頷き、また微かな不安を感じた3人は、以降、命運を共にする誓いを立てた。
救国に関するもの以外、客人から知り得た知識のほとんどを己らの胸の内に封印することにしたのだ。
——これでよかったのです。やがて魔術力の系統分類が浸透すれば、我らは自力で道を拓くことができるでしょう。
理解の追い付かないものは、手に負えないと同義。
そこに手を出すことを、ロイは好まない。
神の采配——そこに手を出していいのは、自分にとっての神を手に入れる時だけだ。
ロイはゆるりと頭を振った。
それよりもまず、今しなければならないことがある。
皆が位置に着いたことを確認した彼は、ゆっくりと戸口へ向かった。
国を守り、王を欺くための一歩を踏み出すのだ。
それが独りよがりの暴走となるか、影の功労となるか——はらむ危険を承知で、命を懸ける。
聖泉の客人、王寺騎士を失ったことを正当化し、国王を納得させなければならない。
客人の恩義に報いるためにも、必ずやり遂げる。
ロイは意識して淡く微笑むと、目の前の扉を開いた。
***
夕暮れが、深く辺りを包み込み始めた。
沈みゆく陽を背に、30名ほどの魔術師が整列して浮かんでいる。
灰色のローブを着用する彼らは主に、戦闘・攻撃に特化した一団だ。騎士団と連携して事に当たることも多く、魔力のみならず身体能力にも秀でた者たちが選抜されている。
「魔術師長様、よくぞご無事で!」
民家から出てきた魔術師長とその補佐達を出迎えたのは、さすが灰色団隊長と思える大柄で頑強そうな男だ。
次いで出てきた父娘を見て微かな驚きを見せた彼は、しかし一瞬のちにそれを収め、説明を求める視線を第二補佐へと送った。
「魔力が暴走したと聞いたが?」
「ええ。原因はこの家の娘で、見習い魔術師です。事態は急を要するものと判断、客人への危害を避けるためと、暴走した魔力を収束させるため、我々は、彼を帰還陣に通しました」
ピクリと眉を上げた隊長の反応は、だが想定内である。ロイは笑みを崩さず、淡々と説明を続けた。
「先程、外から受けた魔力は、彼女の力を抑え込むために使わせて頂きました。ご助力感謝します」
「……」
納得はいかないがそれを口にする訳にもいかず、唸るような息を吐いた男へ、魔術師の最高権力者は呑気な声を掛けた。
「元より、あれの処分はワシに一任されておったからの。客人は命欠けさせれば国家繁栄100年を失うと言う。死なすより帰す方がまだマシじゃろう」
「は、いや、ですが……」
「心配せんでも、救国の目途は立っておる。それは後ほど王城へと出向き、ワシから直接王へとご説明しよう。……問題はあの娘っ子じゃが」
あからさまにほっとした様子の隊長は、魔術師長の最後の言葉に、さっと表情を引き締める。
「早速こちらで状況調査を致します。問題がなければ、すぐに釈放となるでしょう」
「その結果も併せて王へと報告できるよう、迅速に頼むぞい。調査対象にはワシら3人も含めるが良かろう」
「は、すぐに」
一旦下がった隊長は、隊員の中から2名選んで残りを城へ戻した。
次に、民家よりやや離れた4本の木立を柱として、不可視の盗聴防止幕を張る。
その間に部下たちは、審議の場を整えた。
その間も、娘のこぼし続ける嗚咽が止まない。
そのせいか、肌寒い夕暮れはどこか陰鬱な気をはらんでいるようにも思える。
隊員たちは魔灯をともし、証言者たちに椅子を勧めた。
「そう泣かなくてもいい。故意でない証を立てればすぐ終わる。娘、早く座れ」
なかなか動こうとしない見習いの娘に、隊長自らが声をかけると、それにかぶせるように娘が絞り出すような声で叫ぶ。
「ごめ、なさいっ、わたし……!」
そのまま崩れ落ちて震える娘の涙が、床を濡らすごとにぼうっと青白く光っては消えてゆく。
魔力を帯びているのだ。
暴走の前兆とも取れるその現象に、皆は眉をひそめた。
一日のうちに、まさか2度もと思いながらも、王城魔術師たちが臨戦態勢をとる。
十分に警戒した隊長が問いかけた。
「何をそう泣く? まさか、客人に怪我でもさせたか?」
「違っ! わたしはただ、さよならを……!」
『……客人を還したこと、その際に声を掛けられなかったことを悔いているのだと。彼女は親身に世話をしておりましたから』
見かねたロイが思念鳩を飛ばすと、隊長は不快の形に眉根を寄せた。
『……懸想していたということか』
『身も蓋もなく言うならば』
『さすがジル様の娘と言うべきか』
『……聞かなかったことに致しましょう。一つ貸しですよ』
当時の第二補佐を務めていた娘の父親が、伴侶の死に伴い心神喪失という失態を犯したことは、王城でも有名な話だ。
その彼が元灰色団の者ともなれば、現隊長のこの男も相当叩かれたはずで、いろいろと手厳しいのも致し方ないことであった。
ただそれでも隊長は、思念でのやり取りに徹しただけ、まだ理性的な方であったらしい。
思念を共有していた隊員たちの方は、忌々しげな舌打ちと共に、あからさまな嫌味を口にする。
「ちっ、色恋沙汰とは」
「客人様も気の毒にな」
その途端——。
びくりと震えた娘の背に、陽炎のようにゆらめく濃い魔力が立ち上がった。
「いかん!」
「まずい!」
「なんだ!? 何が起こっている?」
咄嗟に防御を展開したのは、魔術師長とその第一補佐。だがその防壁を抜けて、娘の力は広がっていく。そして警戒する者たちの足元を、ただ静かな水のように浸した。
無害であることから、取り合えずの危険はない、と悟ったロイは、けれどこの状況を招いたであろう灰色団員たちを一瞥し、こめかみを押さえて嘆息する。
「あなた方のせいですよ」
不安定な彼女を刺激するような言葉を吐くからこうなるのだ。
ましてや彼女は、魔力暴走後の設定だ。もう少し配慮されてもよいものを——しかし、自分の上司二人はそれらを不問にするらしい。
「害はないようじゃの」
「というか、むしろ守りのような……」
さっさと状況を確認すると、灰色団の臨戦態勢を解除させた。
「娘、聞こえるかの」
魔術師長からの問いかけにも、娘からの返答はない。
いつの間にか嗚咽も止み、石像のように固まり微動だにしない女。
彼女が広げた魔力溜まりは、審議の場を包み込むように上部で閉じた。
いわゆる空間の分離である。
閉じられた空間は、魔術師を何人も内に抱えたまま、不気味なほどにしんと静まり返っていた。
「……まずいな」
一年前の、娘の父親を彷彿とさせる状況に、第一補佐のつぶやきが漏れる。
灰色団隊員の一人が、咄嗟に飛ばした救助要請の思念鳩は、行先を見失ってぐるぐると旋回した。
「思念鳩が飛ばない!?」
「なるほど。見事な分離ですね」
「どういうことだ?」
「外部との関係が絶たれているのです。こちらから連絡はできず、きっと外からの認識もされないでしょう。やはり、術者をどうにかするしかありませんね」
「……!」
灰色団員たちは言葉を失った。
状況把握が追い付かないのだ。
彼らにとって、空間分離は未知の概念である。
王寺騎士に接していたロイ達とは理解度が違う。
彼らには、ただ、閉じ込められたことと、脱する方法が一つしかない事だけがわかった。




