10. さよならの代わりに
「オフロちゃん?」
静かに席を立った彼女は、父親の部屋へと続く扉の取っ手を握ったところで、やっとこちらを振り向いた。その瞳は涙で潤んでいる。訳が分からずにいる俺へ、彼女がふっと微笑んだ。
「ナイト様、色々ありがとうございました。私は、ここで。ここまでです……さよならっ」
「何、どういうこと? 待ってよ、オフロちゃん!!」
焦る俺には何も答えず、彼女は父親の部屋へ滑り込む。なんなんだよ、説明が足りない!
立ち上がって追おうとした俺をジイさんが制した。眉を寄せて思わず見やれば、同じくらい厳しい顔で首を振る。トゲムチとイカズチもこぶしを握り締め、視線を落としたままだ。
「どういうことだよ。さよならって何だよ? 何か知ってるなら説明しろよ!」
激昂する俺の魔力が、暴れてうねる。でもそんなの知るか、そう思った矢先、行き場のない思いが室内を乱しかけたのを見て、慌てて制御した。こんな時に冷静になれる自分が嫌になる。
「説明、してくれよ。頼むよ……」
意識して深く呼吸した後、ようやく絞り出した俺の声は、情けないくらい震えていた。小さな竜巻を起こしていた周囲の空気が凪ぐ。なぜか涙が込み上げてきて、俺は慌てて目じりをこすった。俺を囲んで警戒態勢を取っていたジイさんたちが、ふっと肩の力を抜いたのがわかった。
「あの子の父親を、起こしてやったじゃろ」
「……え?」
「先週末か。あの子の声を、父親に届けたそうじゃの」
ジイさんの問いかけに、ゆるゆると頭が働き出す。寝たきりだった彼女の父親に、声を伝えようとした夜のことだ。
なんだ、届いていたのか。
そっか、起きたんだ。
「良いことじゃんか。別に悪いことじゃないだろ。それがなんなんだよ」
「……取られると思ったんじゃ。娘を、お前に。あ奴はあれでも、倒れるまではワシの右腕を担っておった優秀な術師じゃからの。我らの行いを知り、その手伝いを申し出てきた。少しでも早く救国を急ぎ、お主の気が変わらぬ内に、元の世界へ戻そうと思ったらしい」
「……別に、それで何の問題もねえよ」
「ふん、言うと思ったわ。目途は立った。お主はもう、いつでも戻れるぞい」
「——え?」
突拍子もない話の流れに、思考が停止しかける。
ジイさんは、そんな俺を探る目つきを寄越す。空気が張り詰め、それからふっと緩んだ。
ジイさんの口元が、ほんのわずかに弧を描く。
「救国の目途だけで十分じゃ。これから先はワシらの仕事——いつまでもお主に迷惑を掛けるわけにはいかん。戻るなら、今じゃて」
「え? は? 今? 今!?」
突然の話に、俺は言葉を失った。今、この場から、去れって言うのか? こんな唐突に?
ジイさんの足りなすぎる説明を、トゲムチとイカズチが交互に補う。
「召喚ですら、王城の特級魔術師7人分もの魔力を使ったのです。帰還にも同じだけの力が必要になります」
トゲムチが、微笑む。なんだよお前、笑うならちゃんと笑えよ。そんな泣きそうな顔で笑うんじゃねえよ。
「しかし、魔術師長様がおひとりで3人分。従者の我らが2人で3人分。あの見習いは魔力にムラがあって1人前には数えにくい上、あまりにも魔力的にぎりぎり過ぎるのも、突発的な事故への対応が難しくなる。そこへ、あの父親が目覚めたのだ」
詳細を説明するイカズチの視線は、俺の向こうに固定されたままだ。なんだよ、目を見て話せよ。泣きそうになってんのはお前だけじゃないっつうの。
「それだけなら、お主を返すのはいつでも良かったんじゃが……。あ奴は、召喚術にかけては第一人者での。帰還計画を精査し、更なる魔力を用意できれば、お主を死の直前より少し前の位置に戻せると言った。死なずに済むなら、その方が良かろう」
なんだそれ。ジイさん、そんな菩薩みたいな笑み浮かべるキャラじゃないだろ。やめろよ。やめてくれよ。
「ただそれには、更に特級魔術師10人分もの力が必要となるのです。それで、今日、今この時に、ということになりました」
「王城魔術師たちの手を借りるのだ。そうとは知られずにな。見習いの合図であの父親が、自宅で魔力が暴走したと、王城へ連絡する手筈になっている。ナイト殿の身柄をこちらへ移してあることはすでに報告済みなので、王城の者は皆、ナイト殿の魔力が覚醒したと思うだろう」
「さすれば、ワシへと一報入る。そこで10名総攻撃の指示を出せばよい。それを帰還の魔法陣へぶつけるのじゃ」
「帰還のための上質な魔力、大量ゲットです」
「我らのことは案ずるな。『国へ帰属しない客人は、生きて帰還させなければならない』――この決まり事ゆえに、暴走に巻き込まれる前に帰還していただいたと説明すれば、こちらの面目も立つ」
「と、言うわけじゃ。すげーじゃろ」
「待て待て、話が急すぎる!」
矢継ぎ早に話をされて、俺の頭は混乱を極めた。突然の帰郷話に戸惑う程には、俺はこいつらを気に入っている。けれど、覚悟はしていたはずだ。いつかはサヨナラする相手だってこと。そこへ今、降って湧いたように生まれた希望。生きて帰れるかもしれないんだ。そうだよ、これ以上ないハッピーエンドじゃないか。
——なのになぜ、俺は今、こんなやるせない気持ちになる?
「余剰魔力を吸収して、持ち運びができる魔術具です。こちらに攻撃を閉じ込めて、魔法陣へと移し替えます」
トゲムチが、玉の連なった腕輪を掲げてみせた。聞き覚えのある言葉に目を見張る。やつが申し訳なさそうに目をそらした。
ジイさんが、腕輪へと顎をしゃくる。
「娘っ子の魔力はもう徴収済みじゃぞい。力が安定せん者にも使えて、便利じゃわい」
「ナイト殿に、よろしくと。見送れなくてすまないと言っていた」
「そっ、そうだよ。なんであいつはこの場にいないんだよ?」
「……」
「……」
「……暴走が、怖いんじゃと」
沈黙を押しやって、ジイさんが言葉を紡ぐ。
「妄信系の自分が、引き留める方向へ魔力を放出してしまわないかが心配なんじゃと言うておった。お主の希望である帰還を、邪魔するわけにはいかんと」
「……」
俺は目を閉じて、深く息をついた。オフロちゃんらしいや。最後まで世話焼かせちゃったんだな。最後。最後だ。そうか、俺、帰るのか。皆、知ってたんだ。俺だけが知らなかった。俺だけが除け者に、
——違う。
マイナスに陥りそうな思考を、必死で食い止める。
そんなはずはない。
そんな人たちじゃない。
俺のためだ。
俺のために、皆、言えなかったんだ。
反逆罪に問われかねないことをしようとしているのを、俺に気づかせないために。
すべては俺を、生かして帰すために。
感情を押さえつける。思いに蓋をする。それらを切り離すことだって、俺ならできるはずだ。なんせ俺は、異世界チートを手にした男なんだから。
「——貸せよ」
俺はトゲムチへと手を差し出した。戸惑い顔の彼へと、言葉を重ねる。
「それを貸せよ。壊さねえよ。前にも言ったけど、俺の世界に魔術はねえんだよ。このまま帰ったって、消えてなくなる力だからさ。どうせなら、それにありったけ込めといてやるよ」
「……ありがとう、ございます」
ほんの一瞬、くっと眉を寄せたトゲムチは、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「あの、でも、転移するのに本人の魔力は使えないので……すみません、しばしお待ちを」
そう言って、魔法陣用の腕輪を一旦宙に留め、何やらごにょごにょと詠唱を始めた。
間近に浮かぶ玉の腕輪は、中の一粒だけが乳白色に色づいている。これが、オフロちゃんの魔力だろうか。切ない思いで腕輪を見つめていたら、やがてトゲムチがローブをひるがえし、「お願いします」と、別の腕輪を出してきた。というか、腕輪の詰まった箱を出してきた。それも山積み。ケース単位かよ!
この野郎、いい根性してやがる。だが、いい。餞別だ。俺ならこれくらいの量、どうってことないしな。苦笑しながら、連なる透明の玉のすべてを乳白色に変えてやった。そうだよ。こんな風に軽いノリで、歩き出すのは別の道、っていうのが俺らしいじゃないか。
ふっと息を付いた俺は、オフロちゃんが消えたドアをもう一度眺めた。心の中で、強く強く呼びかける。
——これで終わりかよ。
なんか言えよ。
最後ぐらい、顔を見せろ。
行かないでって、連れてってって、言ってみろ……!
けれど彼女は出てこない。何がチートだ。肝心な時には、ちっとも役立たない。
舌打ちしたい気持ちを押さえて、ジイさんへと向き合った。
覚悟を決めて頷く。
ジイさんが、疲れたように細く長い息を吐いた。
「……帰らぬとは、言わんのじゃな」
「——悪いなジイさん。そこは譲れないんだ」
吐くほど悩んで出した答えだ。そこを違えることは、意地でもしない。
なぜか脳裏に「大事なのは自分」と片目をつぶってみせたアリッサさんが蘇った。
そうだ、嘆くな。
俺が自分で決めたことだ。
ジイさんはふっと慈愛の笑みを浮かべ、次の瞬間にはそれを一切消し去って言った。
「さて、やはり焼き付け刃は疲れるのう。晩餐からこっち、ずっとこの家の隔離と時間停止をしてきたんじゃが、もうそろそろ限界のようじゃ。慌ただしくてすまんの。お前たち、首尾は」
「万事恙なく」
「はい、完了しています」
うむ、と頷いたジイさんは、ローブを翻して腕を振る。繰り出されたのは、いつかこの世界にやってきた時、泉から城へと転移させられた魔法陣と似たやつだ。あの時と違うのは、ジイさんがそれを5つも出したこと。
5つの陣は空中で丸く連なり、ゆっくりと俺の頭上で回転を始めた。
それは、まるで梅の花をかたどった風に見えた。花弁の内部がゆるやかにうごめき、やがてカチリと音を響かせ、それぞれの魔術を完成させる。5つの魔術の発動、そして展開——。
術の構成が幾重にも重なり、作用し合い、魔力が増幅して花の中心に流れ出す。描かれた術式が急激に複雑化し、もう理解も追いつかない。
ジイさん、やっぱすげえな。
それは繊細な芸術品のようだった。
まばゆく光り始めた魔法の花を、俺はただただ見つめていた。その中心が、大きな輪になり、最後の発動に向けてゆるやかに動き始める。
イカズチがさっと腕を振り、天井を透かせた。トゲムチが腕輪を操り、陣の中心に位置させて頷く。
「来よるぞい」
ジイさんの合図と共に、上空に白いローブ姿の魔術師たちが表れた。奴らは陣の向こう側で、ひゅんひゅん飛び回りながら、少しずつ数を増やしていく。
「なんかやばくね?」
「なんの、心配無用じゃ」
構える俺たちの元へ、彼らの方角から白い鳩が飛び込んできた。魔術師の業務連絡に使われるもので、本物ではなく思念体である。ジイさんのこめかみ付近で掻き消えた鳩は、次の瞬間、再び現れ、瞬く間に飛び去る。
今度はジイさんの思念を乗せているのだ。
鳩を受け取った上空の魔術師たちが、整列し、術を紡ぐ。力をみるみる膨れ上がらせ、次の瞬間屋根の中心に向かって集約し——撃つ!
間近で放たれた強力な攻撃にも関わらず、それは少しの衝撃をも生まなかった。
彼らの攻撃魔力は、余すことなく腕輪に吸収し尽くされ、陣へと流し込まれていく。イカズチとトゲムチもそれぞれに力を注ぎ、それを助けた。そして仕上げにジイさんが、全てをまとめ上げるように力を隅々まで行き渡らせると、陣は白く発光し始め、徐々に回転速度を増しながら近づいてきた。
「お主のおかげで、我が国は救われるじゃろう。泉の客人へ感謝を捧げ、帰還への道をお助けする。お主の行く末に、幸多からんことを——さあ、これで本当に最後じゃ」
「ナイト様、どうかお元気で」
「ナイト殿、達者で暮らされよ」
「……みんな、ありがと。あいつにも、そう言っといてくれ。俺、こんな急に——」
「口を閉じろ小僧。舌を噛むぞい」
聞けよジジイ!!
そうだ、お前はそういう奴だよ。人の話を聞かねえんだよな。勝手にいろいろ決めやがって。ああもう、すっげえ眩しい!
降りてくる魔法陣の余りの眩しさに、俺は目をつぶった。
眩しくて目が痛てえよ、痛すぎるんだよ。
涙が出るほどなのは、やりすぎだろうが。
痛くて痛くて……温かい。
白く塗りつぶされた視界の中で、乳白色に輝いていたオフロちゃんの魔力を思った。
泣きそうな気持と、優しい気持ちが入り混じる。
涙が止まらない。
でもその感覚はもうない。
懐かしくて切なくて、愛しいものがこぼれていく。
大事なのは自分——自分の気持ち、だったのに。
ああ、俺、思いっきり間違ってんじゃん。
でももう、何もかも遅い——。
最後にもう一度だけ、顔を見たかった。
声を聴きたかったよ。
さよならオフロちゃん。
さよならみんな。
なんだかんだ言って、すげー楽しかったよ。
国が救えるといいな。
救えるよう願ってるよ。
だから、頑張れ。
本当にありがとな。
そんでオフロちゃん、俺、君が好きだったよ。
言えなかったけどさ、言わなくて正解だよな。
親孝行しろよ。
俺も、ちゃんと……帰……
家族と……だからさ……——。
そんなあやふやなモノローグが、俺のあの国での最後の記憶なんだ。




