エピローグ:少女と魔族と聖剣と
「ごふ」
奇妙な声を聞いて少女は目を覚ました。
何度か瞬きをした後、ゆっくりと上半身を起こすといつもと変わらない自分の部屋だった。
少女は首を左右交互に傾げながら何かを思い出そうとする。
とても楽しい夢を見ていたような気がする。
それなのに目を覚ましたら忘れてしまった。
それもこれも先ほどの奇妙な声のせいだろう。
なんの声だったのかと周りを見ると、同じベッドの隣でお腹を抱えながらこちらに背中を向けて震えている人がいる。
誰だろうと思ったところで、赤い髪と頭の角が目に入り、色々と思い出した。
昨日は家に泊まって欲しいと駄々をこねた。さらには一緒に寝ようとも駄々をこねた。
一ヵ月は毎日ちゃんと勉強するという多大な犠牲を払ったが見返りは大きかった。
そのおかげで昨日は幸せな一日だった。
少女は祖母に一週間かけて魔王の日記を読んで貰った。そして祖母の親友でもある魔族の少女から素敵な犬のぬいぐるみをおみやげとして貰った。さらにはたくさん遊んでもらった上に、ベッドの中では寝る直前まで色々な話を聞けた。
人生で最良の一日だったと断言できる。
そして夢の中でも楽しかったのに、それはきれいさっぱり忘れてしまった。
「おはよう、フェル姉ちゃん。変な声を出した責任を取って。だいたい、なんでお腹を抱えて震えてるの? お腹すいた?」
フェル姉ちゃんと呼ばれた十五、六くらいの少女は腹を押さえながら上半身を起こすと呆れた顔で少女を見た。
「お前の頭突きがみぞおちにいい角度で入ったんだよ。殺す気か」
「記憶にないことを言われても困る。そんなことよりもフェル姉ちゃんが変な声を出すから、せっかくの楽しい夢を忘れちゃった。だから勉強しないでいいようにおかあさん達を説得して。武力行使も可」
「こっちだってそんなこと言われても困るぞ。まあいい、早く着替えて朝食にしよう。さっきからパンの良い匂いがするし、これじゃ拷問だ」
「うん。なら、いっぱい食べてから説得しよう」
「いっぱい食べるが説得はしないぞ」
少女とフェルは、のそのそとベッドから下りて着替え始めた。
オリン魔法国の東にある小さな町。
特に名所もなにもない場所だが、この町をたずねる人は多い。それは少女の家であるパン屋が影響している。
王都にある名店よりも美味しいと評判で、ここのパンを買いに遠くから来る人がいるほどだった。
そんなパン屋兼自宅に少女は家族と住んでいる。
少女とフェルは着替えた後、朝食のために部屋へと向かった。
廊下には食欲をそそるパンの匂いで満たされている。
その匂いを発生源となっている部屋の扉を開けると、一人の老婆が朝食の準備をしていた。
少女の大好きな祖母だ。
その祖母は笑顔で二人を迎える。
「おはよう。二人ともよく眠れた?」
「おはよう、おばあちゃん。うん、よく眠れた。でも、楽しい夢を見ていたのにフェル姉ちゃんが変な声を出すから忘れた。だから一ヵ月勉強の約束はなかったことにして。これはフェル姉ちゃんの責任」
「おはよう。それを言うならもっと寝相を良くしろ。そんなことよりも朝食だ。おすすめのパンを食べさせてくれ」
フェルがそう言って椅子に座ると、さも当然のように少女はその膝の上に座った。
いつもそうなのか、フェルは呆れた顔をするが特に嫌がることもなく、少女を膝にのせたまま、どのパンを食べるか吟味していた。
「フェルはあんこが入った魔王パンが好きだったかしら? それともクリームの入った勇者パンにする? うちの売り上げトップツーだけど――負けないわよ!」
「勝手に勝負するんじゃない。というか、そのネーミングはなんとかならないのか?」
「え? どっちも最高でしょ?」
「うん。おばあちゃんのセンスにほれぼれする。でも、魔王パンを食べると勇者パンも食べてっていうからちょっと大変。常に両方食べるのが我が家のルール」
「セラ、お前……」
「負けたら悔しいでしょ!」
どこにでもあるような朝食の風景。だが、その日だけはちょっと違った。
部屋に三十代くらいの女性が入ってきた。
少女の母親だが、なぜか首を傾げながら眉間にしわを寄せている。
「おかあさん、どうかしたの? まさか近所のパン屋が攻めてきた?」
「そんなわけないでしょ。お客様が来ているのだけど要領を得ないのよね。パンを買いに来たわけでもなく、この家にいる人に会いたいとしか言ってくれなくて。魔族っぽい人だから、フェルさんに会いに来たのかしら?」
「私に? そんな予定はないんだが、なら会ってみよう」
フェルがそう言って立ち上がろうとすると、少女の母親は笑顔で首を横に振った。
「フェルさんもそんな予定はないんですね? ならパン職人を目指してウチの人に会いに来たのかしら……? まあ、せっかくだし入ってもらいましょう。そうだ、ちょうどいいから朝食も一緒に食べてもらいましょう!」
少女が良く分からないうちに色々なことが決まったようだ。
しばらく経つと、額に一本だけ角がある大きな男性と四人の少女達が部屋に入ってきた。
「朝早くから申し訳ありません」
男性がそう言って頭を下げた。
だが、少女の目にはそれが映っていない。
男性の背中にある大きな剣、そして一緒に入ってきた四人の少女達を見た瞬間に不思議な感覚にとらわれたのだ。
見たことも会ったこともないのに、なぜか懐かしいと感じる。それに胸の辺りがじんわりと暖かくなった。
「あら? アルベルト君じゃない。久しぶりね。元気だった?」
「え……? セラさん……? ここはセラさんのお宅なのですか?」
「知らずに来たの? そういえば言ったことはなかったかしら……?」
「あらあら、まあまあ! アルベルト君なの!? こんなにイケメンになって!」
「えっと……? 前に会ったことがありましたか……?」
「あらやだ、忘れちゃったの? 迷宮都市であんなにパンを食べさせたのに。おばさん、悲しいわ」
セラと少女の母親が盛り上がっている中、四人の少女達の一人が震える手でフェルの膝に座っている少女を差した。
「この子、です」
「なに? この子が? 魔族の少女の方ではなく?」
「はい、こっちの子だと言ってます。魔族には近づけるなと言ってます」
その言葉にフェルは眉間にしわを寄せた。
「なんの話だ……? というかアルベルトは私のことを覚えていないのか……あんなに頬を突いてやったのに」
アルベルトと呼ばれた魔族の青年はフェルを見て首を傾げた。
そして同じように少女も首を傾げる。
自分に会いに来たようだが、いまいち状況が分からないのだ。
「ちょっと、アルベルト君。ウチの孫がどうしたのかしら? 何か問題?」
「セラさんのお孫さんでしたか……実はこの子達は聖剣の声を聞けるようなのです。その声に従ってここまで来たのですが、ここにいる人物――つまりセラさんのお孫さんが聖剣の正統な持ち主だと言って――」
「ぶほっ」
いきなりフェルがむせた。そして驚愕の表情で膝の上にいる少女を見る。
「い、いや、確かに名前はそうだけど、そんなはずは……」
「さっきからなんの話をしているの?」
何を言っているのかよく分からないが、自分が話題の中心であることは理解した。
アルベルトが半信半疑の表情を見せながらも、少女の前にしゃがみこむ。そして背中の聖剣を横にして少女に良く見えるようにした。
「この剣は君が正当な持ち主だと言っているんだ。剣から何か声が聞こえるかい?」
剣がしゃべるなんて何を言っているんだろうとは思いつつも、少女はフェルの膝から降りて、その剣をジッと見つめた。
すると頭に言葉が浮かんでくる。
「サプライズって言ったような気がする。確かにサプライズは好きだけど、どういうこと?」
アルベルトが不思議そうな顔をしつつ、四人の少女達の方へ顔を向ける。
少女達は驚いた顔で頷いた。
「そうか……」
アルベルトはそうつぶやいた後に、跪いたまま剣を両手で抱えるように持ち、献上するかのように差し出す。
「この剣は昔、簒奪王と呼ばれた方が使っていた剣だ。名を聖剣フェル・デレ」
「フェル・デレ……?」
少女の大好きなフェル姉ちゃん、そして少女の母親の名前もフェル。その名前が付いている聖剣に少女はかなりの好感を持つ。
名前も気に入ったが、それ以前になぜか少女はこの剣を昔から知っているような気がしていた。
「大きすぎて持てないだろうが触ってあげてくれないか? セラさん、構わないですか?」
「……ええ」
いつの間にか真剣な顔をしているセラ。そしてフェルもまた同様に真剣な顔をしている。
皆が見守る状況で少女は剣のグリップを握った。
そして聖剣を片手で軽々と持ち上げた。その剣は少女にとって羽のように軽い。
その場にいた全員が驚く。
アルベルトもそれを見て驚いたが、徐々に優し気な顔になった。
「その剣は君の物だ。大事にしてあげてくれ」
「くれるの?」
「ああ、聖剣が君を持ち主として認めている。他の人には使えないだろうから遠慮なく受け取って欲しい」
「うん。ありがとう、大事にする――え? フェル姉ちゃんを倒そう?」
「ぶほっ」
少女の言葉にフェルがまたむせた。
「な、なにを言って……」
「フェル・デレがそんなことを言ってる。でも、安心して。倒さないから」
「当たり前だ」
「フェル姉ちゃんは私と一緒に人界を征服する大事な部下だから倒さない」
「な、なに?」
フェルは目を見開きながら少女を見つめる。
「前に約束したでしょ。一緒に人界を征服するって。いつだったか覚えていないけど」
少女の言葉にフェルは驚いた顔をしていたが、徐々に下を向いた。
そして「そうか」とつぶやいた後に目元を拭い、ゆっくりと顔を上げて少女を見つめた。
「そういえばそうだったな。いつだったかは忘れたが、そんな約束をしていた気がする」
「うん。ウチのパン屋を人界一のパン屋にして人界を征服するからよろしくお願いします」
「……パン屋で?」
「うん。ウチのパンを食べられない日はアンニュイって感じになるくらい美味しいパンを作って支配する感じ。まずは、勇者パンと魔王パン、そして禁断のチョコレートたっぷり魔神パンを新たに作って、この三本柱で各国のパン屋に戦いを挑む。フェル姉ちゃんとおばあちゃんは突撃部隊としての活躍を期待してます」
「おばあちゃん、頑張るわ!」
「パン屋に突撃させるつもりか……?」
少女は次にアルベルトと四人の少女達の方を見た。
「計画を聞いたからにはお兄ちゃんとお姉ちゃん達も手伝って。それにうちは年中アルバイト募集中。まかない付きだし、試作品は食べ放題だからおすすめ。まずは朝食のパンを食べてみて。ほっぺたが落ちるから」
四人の少女達は驚いたが、そうすることが当然だと言わんばかりに全員が笑顔で頷いた。
そんな中、アルベルトは何かを思い出したように、少女を見つめた。
「その前にお嬢ちゃんの名前を聞かせてもらえないかな?」
少女は頷いた。そして聖剣をもったまま、小さな台によじ登って、その上に立つ。
そしてふんぞり返った。
「私はアンリ。五歳。いずれ人界を統べる女」
その名前に驚いたアルベルトをよそに、アンリは聖剣を両手で掲げた。剣先が天井にぶつかりそうなほどだ。
「そして人界征服のために、まずはこのパン屋を人界一の――ううん、魔界、天界も含めて世界一のパン屋にするって約束する。この聖剣フェル・デレに誓って!」
聖剣は何も言わないが、ぴかーと光を放った。
「こら、アンリ。家の中で暴れちゃだめっていつも言ってるでしょ。あとまぶしいから光らないの」
「ごめんなさい、おかあさん。でも、こうするべきだって聖剣が言ってる。それに光ったのは聖剣個人の演出だから私のせいじゃない」
「剣のせいにしないの。それじゃアルベルト君も皆さんもウチのパンを好きなだけ食べてってね。アルバイトの最初の仕事はウチの味を覚えることですからね!」
皆が席に着き、それぞれが自己紹介をしながらパンを食べ始めた。
いつもと変わらないパンなのに、皆と食べるだけでさらに美味しくなる。
なら世界中の人とウチのパンを食べたらもっと美味しくなるはず。
それにこれからきっと楽しいことが起きる。
おばあちゃんに読んでもらった魔王の日記のような楽しいことが起きそうな予感がする。
いつもより騒がしくも楽しい朝食で、大好きな魔王パンを食べながらアンリはそう思うのだった。
少女が本当に生まれ変わりなのか、それは誰にも分からない。
だが、あらゆることがその可能性を示している。
悠久の刻を生きる者にとって、それは偶然ですませたくない願望――そして希望だ。
出会いがあれば別れがある。
でも、いつかきっとまた会える。
そう信じたいのだ。
それは正しいと証明するかのように、少女のもとにはこれからも多くの者が集まるだろう。
勉強好きな音楽家、熱魔法が得意な魔術師、城すら斬れる騎士、根性だけは人一倍ある男の子、そして最強で最高のダンジョンや、少女をボスと崇める魔物達――多くの仲間が少女のもとへと集い、そしていつか世界一のパン屋になる。
でも、それはもっと先の話。
少女と魔族と聖剣と――そして仲間達との物語は、いま始まったばかりなのだから。
少女と魔族と聖剣と 完
「少女と魔族と聖剣と」はいかがでしたでしょうか。少しでも楽しんで貰えたのなら幸いです。
アンリはこれから世界一のパン職人となって、人界中のパン屋に戦いを挑むことでしょう。聖剣を携え、魔王と元勇者を従えた最強のパン職人として世界に平和と笑顔を届けるような物語があると思ってもらえたら幸いです。
本編の補足として書こうと思ったときはもっと短くするつもりだったのですが、思いのほか長くなってしまいました。それに休みも多かったので完結まで時間がかかってしまいました。
そんな状況だったにもかかわらず、最後までお付き合いいただきまして本当にありがとうございます。
魔王様観察日記のシリーズもこれにて完結となりますが、また別の作品でお会いできることを楽しみにしております。
ぺんぎん




