幸せにする権利
「私はそろそろ宰相を辞するつもりだよ。もう結構な歳だし、後継も育ってきたからね」
私の自室へやって来たおじいちゃんがそう言った。
とうとうこの日が来た。
予想通りあれから三年。どんな結果になるのか見届けよう。でも、その前におじいちゃんには感謝の言葉をかけないと。
「おじいちゃん、今までありがとう。多くの人の助けで私は王になれた。でも、王になれたことも、ここまで国民に支持されるようになったのもおじいちゃんの貢献が一番大きいと思う。本当に感謝してる」
「そう言ってもらえるのは嬉しいよ。でも、孫のために頑張るのは当然だからね。もちろん宰相を辞するとはいっても引き続き力になるからいつでも相談してほしい」
「うん。頼りにしてる」
おじいちゃんは頷くと柔らかく微笑んだ。
その姿はまだまだ若いと思う。背筋もピンとしているし、足取りも軽やかだ。でも年齢はかなりのもの。色々と体にガタが来ているんだと思う。
私ももう二十八。そしておじいちゃんは七十五。それだけ長い時間を私のために頑張ってくれた。これからは私がおじいちゃんを支えないと。
「それで次の宰相なんだが――」
「待った。それは明日、玉座の間で私に紹介して」
そう言ったのに、おじいちゃんは思案顔だ。目をつぶって腕を組んでいる。
二十秒近く黙ってから口を開いた。
「アンリ。これから言うことは独り言だと思って欲しい。決してあの場にいた人達から聞いたことではない。もちろんフェルさんやスザンナ君達からでもないよ。だから約束をなかったことにする必要はない」
「え?」
「次の宰相は能力と性格、そしてアンリへの忠誠心で決めた。そこにはなんの忖度もしてない」
「おじいちゃん、それって――」
「ただの独り言だよ。アンリはたとえどんな結果になったとしてもそれを受け入れなさい。一度決めたことはどんな結果になったとしても後悔してはいけない。それが王だからね」
おじいちゃんは私とアーヴェスの約束を知っているってことか。
誰かの口からこのことが私の耳に入ったら約束はなくすって言った。だからそんな前置きをしてから言ったんだ。
でも、これはどう取るべきなんだろう。
後悔をしちゃいけないってことはアーヴェスを選んでいないってこと?
それともなんの忖度もしてないっていうことは選んだ?
どっちにも取れるような言い方をするのはちょっとどうかと思う。
「アンリの希望通り、明日、玉座の間で私の後を継ぐ相手を紹介しよう。それじゃまた明日」
おじいちゃんはそう言うと部屋を出て行った。
ああいう意味深なことを言われたらかなりモヤモヤする。
でも、モヤモヤしていたのはこの三年間ずっとだ。極力アーヴェスの情報は聞かないようにしていた。それに会ってもいない。会ったとしても式典とかで見かけたくらいで話はしてない。
どんな結果になるか怖いような楽しみのような複雑な気持ちだ。
うん。今日はもう仕事は手に付かない。日課の素振りをしてから寝てしまおう。
翌日。玉座の間。
スザンナ姉さん達幹部が勢揃いしている場所で私だけが玉座に座っている。
そしておじいちゃんが宰相候補のメンバーをつれてやって来た。
そこにはもちろんアーヴェスもいる。
以前よりもいい服を着ているし、肌や髪の艶も良くなったような気はするけど、色々と苦労しているんだろう。目の下にうっすらと隈があるし、少しやせた気もする。表情からはよく分からない。もしかしたら本人も知らないのかも。
おっといけない。あまり見すぎるのはダメだ。
「アンリ国王陛下。本日は私の方から検討いただきたい報告がございます」
「聞こう」
「はい。宰相の職を辞する許可を頂きたく思います。私も七十も半ば。あとは若い者に任せたいと考えております」
周囲から驚いた声が聞こえた。
実際に正式な場所でそう聞くとちょっと寂しい。でも、こればかりは仕方ないと思う。
「受け入れよう。いままでよく尽くしてくれた。この国を建て直すことができたのは宰相であるシャスラのおかげだ。感謝する」
「もったいなきお言葉です」
「とはいえ、簡単に隠居させるつもりはない。これからも私に尽くしてほしい」
「はい。命ある限り、アンリ国王陛下に尽くします」
「期待している」
ここまでは特に問題なし。問題はここからだ。
「私の最後の仕事として次の宰相を推薦させていただきたく思います」
「……聞こう」
事情を知っている人は皆でつばを飲み込んだと思う。私なんか喉がカラカラだ。おじいちゃん、早く言って。
おじいちゃんが少し笑った?
「アーヴェスを推薦したいと思います」
心の中でガッツポーズをした。本当は大声をだしたいところだけど、それは我慢。部屋に戻るまで我慢だ。
そしてアーヴェスの方も目に少しだけ涙を浮かべている。やっぱり知らなかったんだ。
なにかおじいちゃんがアーヴェスの良いところを言っているみたいだけどあまり頭に入ってこない。
そんなことは聞かなくても分かっている。それに、やってくれただけで十分。アーヴェスは私のために証明してくれた。ならあとは私が約束を守るだけだ。
「――ということですので、どうでしょうか?」
「……え? なに?」
おじいちゃんがわざとらしい咳をしてから、もう一度言ってくれた。
「アーヴェスを宰相にどうかという話です。任命権はアンリ国王陛下にあります。問題がなければお認めください」
「分かった。認めよう」
「では、正式な手続きなどは後日に――」
「待った。言っておきたいことがある。アーヴェス、前へ」
「ア、アンリ国王陛下、それは後で――」
「シャスラ。王の命令は絶対だから止めないように」
おじいちゃんが天を仰ぐような仕草をした。さすがにここで何かを言うとは思っていなかったんだろう。でも、こういうのはちゃんとした場所で言って、約束を守ると言っておかないと。
アーヴェスも色々と迷ったみたいだけど、前へ出てきてくれた。そして跪く。
「アーヴェス。顔を上げるのを許可する」
顔を上げたアーヴェスはちょっと目を潤ませている。
どれだけ努力したのかは分からない。でも、それは後で聞けばいい。今はやるべきことがある。
「アーヴェス、貴方を次の宰相として任命する」
「謹んでお受けいたします」
「うん。これからも一層トラン王国に尽くすように」
「ご期待に添えるよう粉骨砕身の思いで臨みます」
ここまでは通常の挨拶のようなもの。ここからは私とアーヴェスの会話だ。
「私との約束は覚えている?」
事情を知らない人は少しだけ驚いた顔をしている。いきなりこんなことを言えば当然だろう。
アーヴェスも驚いた顔をしたけど、すぐに真剣な顔に戻った。
「忘れたことなど一日たりともありません」
「あの時から心変わりはない?」
「ございません」
よかった。ここでやっぱりなしとか言われたら暴れるつもりだった。
「なら今度は私が約束を守る番」
形としては歪だろう。他の人達の恋愛のように、会って、話して、出掛けて、遊んで――そういう形で愛を育んだわけじゃない。
会って話した時間なんて一ヵ月もないし、お互いに知らないことの方が多いだろう。
でも、私は結婚する条件を出してアーヴェスはそれに応えてくれた。言葉ではなく行動で証明してくれた相手にちゃんと応えなければ女が廃る。
アーヴェスは私が落ちぶれたとしても一緒にいてくれるだろう。なら私もアーヴェスがどんなことになっても一緒にいる。今、そう決めた。
一度、心を落ち着けてから玉座の間全体を見渡した。
「皆、聞いて欲しい。私はアーヴェスと結婚する。これは宰相になれたら結婚すると三年前に約束したこと。異議があるなら武器を持って私に挑んできて。必ず返り討ちにして認めさせる」
周囲から驚きの声が上がる。スザンナ姉さん達は笑っているけど。
「アーヴェス」
「は、はい」
「貴方には宰相という立場のほかに、私を幸せにする権利を与える。これからは私と国民の幸せのために頑張って。できれば私を優先」
「命に替えましても」
「そこまでしなくてもいいけど、かなり期待してる。これから共にトラン王国を良くしていこう」
そう言うとアーヴェスは「必ず期待に応えてみせます」と言って跪いたまま頭を下げた。
今度はちょっと呆れ気味なおじいちゃんの方を見た。
「シャスラ。宰相としての最後の仕事を追加する。私とアーヴェスの結婚を国民に伝えて。あと結婚式の準備も」
「まあ、仕方ないですね。最後の仕事として頑張りましょう」
ちょっと素が出てるけどまあいいや。
そうだ。まだ仕事があった。これは最重要な仕事だ。
「それと聖人教のリエル殿を説得するように」
「それは無理です。アンリ国王陛下の方からお願いします」
「王様の命令は絶対――」
「無理です」
ものすごく真剣な顔で言われた。
やっぱりだめか。仕方ない。頑張ってくれたアーヴェスのためにも、ここは私が頑張ろう。
でも、結婚するのにリエル姉さんの許可がいるってどうなんだろう? 普通親を説得するとかだと思うんだけど。
ここは対リエル姉さんの最終兵器であるフェル姉ちゃんに応援を要請しよう。
さあ、これから忙しくなるぞ。




