暴走
ラーファの魔力で作られた鎖が玉座の間を覆いつくす。
その鎖が私だけじゃなくて、全員に向かって攻撃を開始している。
心配はしていない。皆は強い。狙われている人が多い分、一人に対する鎖の量は少ないから対処するのも問題はない。
問題は私だ。ユニークスキルを使った反動が体に出ている。気絶するほどじゃないけど、身体が少し重い。それに私を狙っている鎖は他の人よりも多い。
当然と言えば当然なんだけど、これはどうすればいいだろう。
ラーファの魔力切れを狙う……それはダメだ。ダズマとノマはここから逃げた。すぐにでも追わないといけない。でも、今の私に鎖を躱してラーファを倒すのは難しい。防御するので精いっぱいだ。
ラーファの方を見ると視線が合った。
「アンリ。神に愛されし、全てを持つ者よ。持たぬ者から見たらお前は眩しすぎる」
いきなり何を言っているんだろう? 神に愛されし……?
「何の話?」
「嫉妬の話じゃ。最初はお主の母、マユラじゃ。誰からも愛され、誰をも分け隔てなく愛した。この妾でさえもな。だが、それが妾の心を嫉妬で蝕む。女として、人として何一つ勝てない。勝てない者の気持ちなど、お主には分かるまい」
「私にだって勝てない人はいる。気持ちは分かる」
話をしながらチャンスを待とう。少しでも隙を見せたら斬りかかる。
でも、嫉妬の話?
私だって今はフェル姉ちゃんに逆立ちしたって勝てない。勝てない人の気持ちは分かる。
「分からぬよ。お主はそれを憧れや羨望に変えることができる。さらに追いつくこともできるだろう。妾は違う。妬み、嫉妬。どす黒い気持ちしか生まれぬ。追いつくことも叶わぬ」
それは……よく分からない。フェル姉ちゃんに憧れているのは間違いない。でも、嫉妬することはない。嫉妬するのもおこがましいほどに差があるからだ。
「お主とダズマが生まれたことで決定的じゃった。お主は祝福されているというほどのスキルを持って生まれ、ダズマは体に疾患を抱えて生まれた。その時に思ったのじゃ。妾はマユラに何一つ勝てないが、我が子をお主に勝たせてやると」
「そんな理由で娘を殺したのか!」
おじいちゃんの叫ぶような声が背後から聞こえた。
そう。私やおじいちゃんから見たらそんな理由だ。そんな理由で私を暗殺しようとして、結果お母さんを殺した。そんなことを許せるわけがない。
「そんな理由? ならどんな理由があればいいのじゃ? 一生、マユラに劣等感を抱えたまま生きろと? アンリとダズマを比較しながら、さらには息子にもそんな気持ちを抱かせながら生きろと?」
そう言ったラーファは溜息をついた。
お前達は何も分かっていない、そう言っているような呆れ顔だ。
「そんな人生なら死んだほうがマシじゃ。だが、それではタダの負け犬。だから殺してやった。王も殺した。我が子の邪魔になりそうな奴は全員殺してやったわ」
ラーファの顔が醜くゆがむ。そして声を出して笑った。
「そして! お前達も! 殺してやる! 邪魔をする奴は皆殺しじゃ!」
鎖の量が増えた。私はまだ大丈夫だけど、皆は――
「ぐっ!」
おじいちゃんの声……? まさか!
振り向くとおじいちゃんの足に鎖が絡まっていた。
その鎖をフェル・デレで斬る。これで大丈夫――いけない!
ラーファの方を見ると大量の鎖が私の方へと向かってきた。
捌ききれない。急いでユニークスキルを――直後に体が吹き飛ばされた。
一瞬何が起きたか分からなかったけど、フェル姉ちゃんが私を突き飛ばしてくれたみたいだ。でも、代わりにフェル姉ちゃんが鎖の攻撃を受けている。
すぐに助けないと……! でも、身体が……!
「捕まえたぞ!」
ラーファの声が部屋に響く。
捕まえた? 私じゃなくてフェル姉ちゃんを?
私達を襲っていた鎖がフェル姉ちゃんとラーファを覆っていく。そして巨大な球体になった。
フェル姉ちゃんが閉じ込められた?
でも、なんでフェル姉ちゃんを?
「ようこそ、我が鎖の結界へ」
念話用のイヤリングから声が聞こえてくる。フェル姉ちゃんのそばでラーファが話しているんだろう。
……ううん、それはどうでもいい。まずはフェル姉ちゃんを助けないと。不老不死だから大丈夫だろうけど、そんなことを言っている場合じゃない。
鎖の球体をフェル・デレで斬りつけた。
……ダメだ。硬すぎて剣が弾かれる。
スザンナ姉さんの水による攻撃やお父さんの紫電一閃でも斬れないなんてどれほどの魔力が使われているんだろう。
「なぜ私を捕まえる?」
また声が聞こえてきた。これはフェル姉ちゃんの声だ。
「それはお主が妾の切り札だからじゃ」
「何を言っている?」
「なに、アンリを殺すのに一番いい手段ということじゃよ」
「なんだと?」
切り札……? 私を殺す一番いい手段?
「ゴハッ」
え? ラーファの苦しそうな声が聞こえた。一体何を……?
「ま、魔王フェル……! ノ、ノマから、き、聞いておる……ま、魔王は人族を殺すと、ぼ、暴走するのじゃろう……?」
フェル姉ちゃんを魔王と知っている? それに暴走……?
そうだ。フェル姉ちゃんはそれがあるからこの戦いには参加できないって言ってた。でも、なんでそんな話を……?
「せ、正確には、し、死にゆく人族に、ふ、触れているだけで、ぼ、暴走、する、とか……」
「なに?」
え?
「は、はは! ほ、本人も、し、知らぬか……ノ、ノマが言うには神の情報に、あった、そうじゃぞ?」
「暴走させる気か!」
まさか、ラーファは自分の命を使ってフェル姉ちゃんを暴走させようとしている?
「き、気付いたところで、も、もう遅い……こ、この鎖の結界からは、わ、妾が死ぬまで、ぬ、抜け出せぬ! 魔王フェルよ! 妾に代わり、アンリを殺せ!」
まさか、そんなことできるわけが……!
「あ、ああ、ダズマ……私もようやく――」
ラーファの声が力を失っていく。でも、ようやく? 一体なにを言っているんだろう?
直後に鎖の玉が徐々に光の粒子となって消えていく。魔力の供給がなくなって形を維持できないんだろう。ということはラーファが命を落とした……なら、フェル姉ちゃんは?
鎖の球体から二人が出てくる。出てくると言うよりも、中から滑り落ちて二人とも床に倒れた。
フェル姉ちゃんがふらつく身体で起き上がろうとしている。
「ガッ! アアアァ!」
フェル姉ちゃんが叫んだ。こんな声は初めて聞く。これはどう考えても痛みを感じている声……!
「フェル姉ちゃん!」
そう叫ぶと、フェル姉ちゃんが四つん這いのままこちらに顔を向けた。
「来るな!」
フェル姉ちゃんが左手を広げてこちらに向ける。その鬼気迫る顔に驚いて止まってしまった。
これは暴走が始まっている……?
いけない。なんとかして助けないと。
近づこうとしたらスザンナ姉さんに止められた。私を背後から羽交い絞めにしている。なんで?
「スザンナ姉さん! フェル姉ちゃんが危ない! 助けないと!」
「待って! 今のフェルには近づかない方がいい!」
「そんなこと――! いいから離して!」
「ぐっ!」
フェル姉ちゃんの口からそんな声が漏れると、部屋があっという間に濃高度な魔力に覆われた。フェル姉ちゃんの身体から溢れているみたいだ。
「フェル姉ちゃん!」
その言葉に反応してくれた。フェル姉ちゃんは苦しそうにしながらもこちらに顔を向けてくれる。顔には汗がいっぱいで、口元からは血が流れている。
「アンリ! こっちには来るな! 私は今、暴走しかかってる! 急いでこの場を離れろ! 遠くに! どこでもいいから遠くに逃げるんだ!」
「そんな……!」
そんなことできるわけがない!
「スザンナ! アンリを連れて逃げろ! 他の皆もすぐに逃げるんだ!」
スザンナ姉さんは迷っているのか、私を羽交い絞めにしたまま動かない。でも、少しづつ後退を始めた。
「ガ、アァアア!!」
フェル姉ちゃんがまた叫び声を上げた。今まで聞いたことがない声に恐怖を感じる。自分が死ぬことよりもフェル姉ちゃんがこんな状態になることの方が怖い。
直後にフェル姉ちゃんは床に頭を叩きつけた。しかも三回。痛みを紛らわせているのか、他に何かあるのか分からないけど、額から血が出ているほどだ。
それに目が髪と同じような色の赤で染まっている。暴走と言っているけど、これって一体……
でも、そんなことはどうでもいい。早く助けないと!
「スザンナ姉さん! 離して!」
「それは……ごめん。逃げるよ。フェルに言われた通り、皆を連れて遠くへ逃げる」
「そんなこと――!」
できるわけがないと言おうとしたところで、フェル姉ちゃんが震えながら右手を目の前にかざした。
「【転移門】」
巨大な門が現れる。それがゆっくりと開いた。
フェル姉ちゃんはどこかに転移しようとしている?
そうか、私達に被害が及ばないように別の場所へ行くつもりなんだ。でも、一体どこに?
フェル姉ちゃんは立ち上がることもできないのか、床を這うように動いた。苦しそうな顔で必死に門をくぐろうとしている。
フェル姉ちゃんがこんな姿になるなんて、私はなんてことをしてしまったんだろう。
私が弱いからフェル姉ちゃんに助けを求めた。結果、こんなことになってしまった。フェル姉ちゃんはこうならないように気を付けていたのに。
弱い王になんて誰もついてこない。それにそんな人が王になれば皆を不幸にする。私にも王の器は――
急にフェル姉ちゃんが何事もなかったように立ち上がった。そしてこちらを見る。
そこに感情らしきものが一切ない。道に転がっている石ころを見ているような目。そんな目で見られると胸が苦しい。
でも、立ち上がったってことは暴走は終わった……?
「フェ、フェル姉ちゃん?」
『アンリ! 聞こえるか!』
念話? フェル姉ちゃんから?
『フェル姉ちゃん?』
『アンリ! よく聞け! 今、私は自分で体を動かせない! 頼む! 近寄らずに私をこの転移門の中へ入れてくれ!』
近寄らずに……? 吹き飛ばせって意味だと思う。でも――
『それはフェル姉ちゃんに攻撃しろと言う意味? そんなこと……!』
『私は不老不死だ! 攻撃を受けても死にはしない! 頼む! 急いでくれ! もう時間がない!』
フェル姉ちゃんをそんな風に攻撃することはできない。でも、フェル姉ちゃんが頼んでいる。正しいかどうかは分からないけど、フェル姉ちゃんが間違うはずなんてない。
「スザンナ姉さん! 私が吹き飛ばないように後ろから支えて! これからあの魔法をフェル姉ちゃんに当てる! 早く! お願い!」
「アンリ……? 状況は分からないけど、正しい事なんだね? 分かった」
スザンナ姉さんはフェル姉ちゃんに近づきさえしなければ許可をくれるみたいだ。
よし、まずはフェル姉ちゃんを転移門へ吹き飛ばせる場所へ移動だ。
その位置へ移動してから、スザンナ姉さんに体を預ける。
スザンナ姉さんの背中から水の触手が伸びて地面に突き刺さった。これで私とスザンナ姉さんの体は固定される。踏ん張りがきくなら吹き飛ばされることもない。
フェル・デレの剣先をフェル姉ちゃんに向けた。
「【二色解放】【赤】【緑】」
二色以上は相乗効果がありすぎて私自身が吹き飛ばされる。でもスザンナ姉さんが体を支えてくれている今なら大丈夫だ。
「行くよ! フェル姉ちゃん! 【炎嵐】!」
炎を纏った小さな竜巻がフェル姉ちゃんを襲う。
かなりの風圧がこっちにも掛かっているけど、フェル姉ちゃんに比べたらこんなもの大したことじゃない。
フェル姉ちゃんは徐々に後退を始めた。動かないように踏ん張っているけど、少しづつ転移門の方へと足が動いている。
直後に耐えきれなくなったフェル姉ちゃんは門の中へ吹き飛んだ。
その後、ゆっくりと門が閉まる。そして背景に溶け込むように消えていった。
これで何とかなったとは思うけど……でも、まだ終わりじゃない。
門の奥に見えたのはアビスのエントランス。フェル姉ちゃんは私達に害が及ばないようにそこへ転移したんだ。
急いでアビスちゃんに状況を確認しないと……!




