充実した日々
アンリは九歳になった。
あと一年経てば、アンリの年齢も二桁。それにぐんぐん強くなってる。フェル姉ちゃんにはまだ遠く及ばないけど、徐々に差は縮まっていると思う――けど、やっぱり全然縮まってないかも。
つい最近、フェル姉ちゃんが冒険者ギルドの建物を破壊した。
あの時は勉強中にものすごい音が聞こえたからびっくりした。おじいちゃんが勉強を中断して外に出たくらいだったし。アンリも勉強を中断して窓の外をみたんだけど、広場に倒れている人と、その人に近寄っていくフェル姉ちゃんが見えた。
フェル姉ちゃんが建物を破壊した理由は、服を馬鹿にした冒険者がいたから。ルハラの貴族で、三男とか四男とかの冒険者だったみたいだけど、その態度が横柄。見た目十五、六のフェル姉ちゃんに絡んだ。
ネヴァ姉ちゃんの話だと、フェル姉ちゃんは最初相手にしてなかったんだけど、執事服についているニャントリオンのマークを見て笑ったとたん、烈火のごとく怒ったとか。
あとはもう想像ができるというか、フェル姉ちゃんがその冒険者を殴り飛ばしたら、建物の支柱ごと吹き飛ばしちゃって、建物が崩壊しちゃった。
普通ならその時点でフェル姉ちゃんは我に返るんだけど、その時は全然怒りが収まらなかったようで、吹き飛ばした冒険者に殺気をまき散らしながら近寄っていった。アンリ達はそれを見たわけだ。
たまたまダンジョンから戻ってきていたユーリおじさんとウェンディ姉ちゃん、そしてゾルデ姉ちゃんが三人がかりでフェル姉ちゃんを止めようとした。全然止められなかったけど。
冒険者を守るように三人がフェル姉ちゃんの前に立ち塞がったんだけど、三人ともほぼ瞬殺。もちろん、本当にそんなことをする訳じゃないんだけど、ほぼ一撃で三人をそれぞれ弾き飛ばした。
「死ぬかと思いました」
「三途、川、半分、渡った」
「あのフェルちゃんと戦うのは無理」
後で話を聞いたら、三人ともちょっとトラウマになってた。たしかにあのフェル姉ちゃんは怖いと思う。
今度は騒ぎを聞きつけたディア姉ちゃんとリエル姉ちゃん、それにメノウ姉ちゃんが立ち塞がると、途端にフェル姉ちゃんの怒りは収まったみたいだった。怒りが収まったというか、冒険者に対する殺気がなくなった、かな。
「アイツ、この執事服を馬鹿にしたんだ。撤回するまで許す気はない」
フェル姉ちゃんはそんな風に言って怒ってた。反対にディア姉ちゃんはちょっとだけ嬉しそうに涙ぐんでたかな。リエル姉ちゃんとメノウ姉ちゃんは笑ってたけど。
そして、吹っ飛ばされた冒険者が土下座して撤回したら、フェル姉ちゃんも許した。そこでようやく我に返って状況を理解したみたい。今度はダラダラと汗をかいて皆に謝罪を始めた。
一応、冒険者ギルドの建物が崩壊したときに、ネヴァ姉ちゃんが結界の魔法を使ったみたいで、怪我人はいなかったから大丈夫だった。でも、建物はものの見事に崩壊。一部は残ってたけど、ほとんど使えなくなってた。
もともと手狭になってたから建て替えの予定があったってことでフェル姉ちゃんへのお咎めはなかった。ギルドカードにも犯罪歴とかはつかないみたいだ。
というわけで、今、冒険者ギルドは建て替え中。ロンおじさんが獣人さん達と一緒に新しい建物を作ってる。ロンおじさんがトンカチで木材を打つ音ってなんというかリズム感があって好き。
そしてフェル姉ちゃんはそのお手伝いみたいなことをしてる。木材を亜空間に入れて運ぶくらいのお手伝いだけど。
「アンリ、勉強は終わったのか?」
「うん。フェル姉ちゃんは大丈夫? 最近、この世の終わりみたいな顔をしてたけど」
「……怒ったとはいえ、ここまでのことをしてしまうとは、私も修行が足りないな。もっと感情を抑えるようにしないと。ディアやリエル、メノウが来なかったら危なかった」
「そうなの?」
「まあな。私には魔王の呪いみたいなものがあって、やってはいけないことが多いんだ。魔王様がいない今の状況ならもっと注意するべきだった。でも、アイツが悪いんだぞ、この執事服を馬鹿にしたんだ」
「うん、理由は知ってる。アンリだってフェル・デレを馬鹿にされたら怒り狂うと思う」
「分かってくれるか。ディアは『そんなことで怒らないで』って言ってたけど、そんなことじゃないのにな。それ以上の理由のほうがないくらいだ」
フェル姉ちゃんはディア姉ちゃんが作った執事服をすごく大事にしてるんだろうな。たしか状態保存の魔法を永続的にかけてるって聞いたことがある。
それにアンリも一緒だ。フェル・デレや九大秘宝、それにその候補はすごく大事にしてる。それを馬鹿にされたら戦争だ。想像しただけでもちょっと怒りたくなる。
いけない。アンリも感情を抑えよう。ここは話題を変えるべき。
「フェル姉ちゃん、この話はおしまい。考えただけではらわたが煮えくり返る。ところで、さっき言ってた魔王の呪いってなに? やってはいけないことがあるの? アンリはピーマンを食べちゃいけない呪いがある」
「それはただの好き嫌いだろう。というか、呪いの話もあまりしたくない。もっと楽しい話をしよう。そういえば、ルノスに勝てたのか?」
話題がさらに変わっちゃったけど、確かにそのお話のほうがいいかな。でも、楽しくはない。
「ルノス姉ちゃんに勝つのは無理。これまでの魔物さんに比べたら強さの桁が違う。アラクネ姉ちゃんの状態ならまだ何とかなったと思うんだけど、人型のルノス姉ちゃんに勝てるわけがない。魔物さん達のトーナメントが開催されて階層が入れ替わるまで先に行けないんじゃないかな」
ルノス姉ちゃんは城下町エリアを縦横無尽に飛び回る戦術だ。そもそも攻撃がまったく当たらない。アンリは接近戦だから言わずもがな。スザンナ姉ちゃんの水やクル姉ちゃんの魔法でも当てるのは不可能。
そんな状態なのに、ルノス姉ちゃんは全然本気を出してない。むしろ、笑いながら飛び跳ねてる。
それに厄介なのはスキル――それともあれは魔法なのかな? 糸を出す攻撃に変わりはないんだけど、糸の性質が変わるみたいで、ねばねばしているだけじゃなくて、金属みたいに固くなったり、意志を持って動くようになったりしてる。最初に戦った時なんて、アンリ達は何もできずにその糸に捕まって終わった。
あれってディア姉ちゃんの戦い方みたいだった。最近は仕立て屋一本だから、そういうことはしなくなったけど、以前、ディア姉ちゃんは糸を使った攻撃をしてた。それがルノス姉ちゃんに引き継がれている感じだ。もしかしたら、チューニ病的な物も受け継がれた可能性が高い。
それをフェル姉ちゃんに説明したら、ちょっとだけ関心を示してくれたみたいだ。
「進化の前にやっていたことが進化後に影響するという話は聞いたことがない。でも、そう聞くと、可能性はありそうだな。ルノスってちょっとチューニ病っぽいところが増えたし、進化前、ディアと裁縫で色々やってたから接触は多かっただろうしな。人型になったのもその影響かもしれん」
「人族と色々やってたら人型に進化するってこと?」
「可能性の話だ。そもそも魔物の進化ってよく分かってない。まあ、狙って進化出来る訳でもないからな」
「そうなんだ? あれ? でも、大狼のナガルちゃんは? 進化を目指して修行の旅に出たんだよね? 狙って進化しようとしてるんじゃないの?」
「大狼の場合はまた別だな。アイツはすでに進化済みだ。さらなる進化の手がかりを見つける修行に出たから、もっと大変なことをしている。そもそもそんな進化があるのかどうかも分かってないからな。私も昔の文献でその可能性があるかもって話を見ただけだし……そういえば、ロモンへリエルを取り返しに行ったとき以降、見てないな。元気だといいんだが」
そっか、あれからもう四年が経ったってことだ。アンリが言うのもアレだけど、毎日が充実してるから時の流れが早いのかな。勉強の時間はすごく流れが遅いのに。
「フェルちゃん、アンリ、ここで何してるの?」
スザンナ姉ちゃんがやってきた。いけない、これからダンジョンへ行くんだった。でも、ちょっとアンニュイ。どうあがいてもルノス姉ちゃんに勝てない。
「いや、ちょっと話をしてただけだ。これからアビスへ行くのか? なら気を付けてな」
「うん。今日こそはルノスちゃんに一撃当てる。まずはそれを目標にする」
スザンナ姉ちゃんは諦めてないみたいだ。ならアンリも諦める訳にはいかない。
「ちょっと落ち込んでたけど、スザンナ姉ちゃんのポジティブ発言でちょっと元気出た。まずは一撃当てよう」
「うん、今度は広範囲に攻撃する方法を思いついた。結構隙が大きいからアンリは私も守って」
「任された。よーし、クル姉ちゃんとマナちゃんを誘って出撃だ!」
ルノス姉ちゃんがいくら強くてもフェル姉ちゃんほどじゃない。アンリはいつかフェル姉ちゃんを倒して部下にする。時間の流れは早いんだから、こんなところで足止めされている場合じゃない。
うん、燃えてきた。今日は無理でも、近いうちにルノス姉ちゃんに勝つぞ。




