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詩、あるいは詞

僕たちはこんな日々を嘆いてみてもいいですか

作者: 志賀飛介

例えば僕らがどんなに悲しんでいたとしても

僕らより不幸な人からすれば皮肉になってしまうだろう


だからといってこの涙はただの水じゃないんだぜ

悲しいときに悲しいと思う

それは間違ってなんかない


僕たちの生きるつらさを誰かと比べないでくれ

死にたい気持ちをくだらないなんて笑い飛ばすのは止めてくれ

幸せそうに見えたとしてもそれなりに不幸なことはある

その大きさが小さいとかで人生を測らないでくれ


例えば僕らがどんなに苦しんでいたとしても

今より苦しい時代もあったから苦しんでいいのか分からない


だからといって飲み込んでばかりもいられないだろ

苦しいときに苦しいと綴る

駄目なことでは決してない


僕たちの生きる強さをあなたと比べないでくれ

あなたにできて僕らに出来ないこともたくさんあるだろうから

僕らにも出来るやり方を僕らなりに見つけなくちゃな

その方法が昔と違うとかで全てを否定しないでくれ


どんな時代も場所だってそう

悲しいことは悲しくて

苦しいことは苦しいから

僕たちも彼らも彼女らも比べることは出来ないから


悲しいことも苦しいことも誰かが間違ってるわけじゃなくて

正しさが違うだけ

だから僕たちはこんな日々を嘆いてみてもいいですか?


僕の中のロックがこれを書きました(笑)


自分の中には自分に対する評価というものがあります。自分はこういう性格だとか、こういう人間だとか。でも、ひとたび集団の中に入ってしまえば、それらは全て客観的視点、すなわち人と比べてどうかという話になってしまう。平均値や基準と比較されてしまう。それは感情的な面でも同じで、自分では辛いと思っていても、他人からは『お前は幸せそうでいいな』なんてことも言われたりする。


でも本来、感情的なそういうのは個人の感覚によって決まるものだから、他人と比べることは出来ないと思うのです。ショートケーキと炊き込みご飯はどっちが美味しいのか考えるようなものですよ。


だから、もし仮に自分よりも苦労している人がいたとしても、自分の人生がイージーモードであるわけでは決してない、と、いうことを書きたかったわけです。僕の中のロックはね。

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