第七話・小悪魔な笑顔
駅へと続く並木道には銀杏の木が青々と葉を広げ、歩道に色とりどりのレンガが敷き詰められていた。森で人が迷うのは、まっすぐ歩いているつもりでも、右か左に少しずつ傾いていってしまうからだ。結果大きな円を描いて同じ場所に戻ることになる。いつの間にか僕は同じ所を回っていたのかもしれない。不幸な生活に留まる事で、そんな自分自身に酔っていたのかもしれない。一晩かけて出た答えはコンビニエンスストアで働いてみようという事だった。そして地道に借金を返し、彼女とどこかに出かけて、もっと人生を楽しむべきだと思った。息を弾ませて僕は彼女とどんな話をしようかと考えながら駅に急いだ。
駅前に着くと彼女が先に来ていた。お団子を作った髪型は昨日とは違い、昔の気の強い彼女を思い起こさせる。黒ワンピに赤いハイヒール。おはようと機嫌の良さそうな彼女の隣りにいたのは40代ぐらいの男だった。茶色いスーツと黒い眼鏡を掛け、くわえ煙草で空を見ている。僕の事など気に掛ける様子もない。勿論二人で出かける物だと思っていたので僕はたじろいだ。
「ごめん、この人弁護士の鷲巣さん。今日お世話になる人」
思わず僕はその人と挨拶をするが、男は軽くうなずくだけで目を反らした、一体何のためにこの人がいるのかわからない。悟ったかのように彼女が言う。
「まず先にコウちゃんの借金を少しでも減らして貰おうと思って来て貰ったの。コウちゃんいいよね」
もちろん目の前にその弁護士が立っているのだ。拒否できる訳がなかった。
「まあ、借金が減るのは嬉しい事だけど……」
曖昧に言葉を濁すと、じゃあまずは信用会社でコウちゃんの借金の明細を調べに行くからねと改札の方に歩き始めた。考えてみればそもそも駅に集合という時点でおかしな話だった。携帯灰皿に吸い殻を捨て男も彼女のあとを付いていった。仕方なく僕も付いていく事にした。
信用会社で調べた結果、僕は5社から借り入れを行っていて、合計で523万円だった。お陰で五社の消費者金融の会社を回る事になり、都会に馴れていない僕にはバイトを一日に二つ掛け持ちするより辛かった。町を歩く人の視線がまるで僕を責め、嘲笑しているように見えて仕方なかった。本社での交渉は気の悪い弁護士に任せてあったので、暇を持て余し、時間は金太郎飴のように長くずっと同じ形だった。彼女に聞けば、利息というのは二種類あるそうだ。1つは出資法で定められている29.7%。もう一つは利息制限法で定められている14.8%。でも実際使われているのは出資法による利息で、利息制限法は意味のない物になっている。その理由は利息制限法には罰則がないからだそうだ。しかし、法律上では利息は14.8%以内でなければならないので、訴えれば利息制限法の金利に直すことが出来る。
五社目が終わってさすがに男も疲れたようで猫背になっていた。
「とりあえずこれで後はATMに行けば終わりだ。金は後で口座に振り込んでくれ」
ATM? どういうことだ?
「わかりました。どうも今日はありがとうございました。あの事はちゃんと黙っておきますから」
「そうしてくれ」
男は力ない笑顔を浮かべると階段から降りていった。彼女は丁寧に礼をして男を見送った。僕も一応彼女のまねをしてお辞儀をする。どうもあの男は彼女に何か秘密を握られているようだ。
「さあ、お楽しみの時間だね」
彼女も疲れていたはずなのに急に元気になっていた。
「僕の口座にはお金なんて無いですよ」
「それはどうかな?」
彼女は不適に笑う。服に似合った小悪魔な笑顔だった。
サバンナの象をイメージさせるような西カゴメショッピングセンターから出たときには、もう夕日も落ちかけていた。両手に買い物袋をぶら下げて重い重い。明日からコンビニで仕事を始めると思うと早く帰りたかった。
「ねえねえ、せっかくだからさ、ファミレス寄ろうよ」
彼女はどこまでも元気な声で言う。
「まだよってくのかよ。詩杏も本当に元気だよな。明日仕事じゃないの?」
「お祝いなんだからいいじゃん」
彼女は口をとがらせて言う。仕方なく僕は彼女の要求を受け入れた。彼女はパフェが好きらしく、席に付くとすぐにストロベリーパフェを頼み、僕はグレープフルーツジュースを頼んだ。
「いやー結構買っちゃったね」
彼女は自分の買った服を出しながら言った。
「まあ、でも商品券だからいいんじゃない? 俺ちょっとトイレ行ってくる」
彼女の要求を聞いたのは自分の買った服に着替えたかったからだ。買い物袋を持って僕は席を立つ。彼女は「はい、はーい」と僕を見ずに答えた。
トイレの個室に入るととりあえずと思い、自分の服を脱いだ。ポケットの中の紙切れが落ちた。ATMから打ち出された、引き出し記録だった。ATMの残額は372万円。もちろんもう借金は無い。しげしげと僕は残額の欄を見てにやけた。でもわざとらしく首を振る。手放しで喜びたい気持ちもあったが、母親が寝ずに仕事をしてた日のことを考えると母親の死は何だったのかと思う。彼女を待たせているわけにも行かず、僕はそそくさと服を着替えた。一応手を洗い洗面台で自分の顔を見て髪を整える。川の上流のように流れる髪型。これからは毎日ワックスをつけなきゃいけないと美容師は言っていた。入る時は苦痛の連続だった。エレベータに入るとカップルや家族連れは嫌みな視線を向けてクスクス笑う声まで聞こえた。店員には相手にもされず、ゴミを漁るカラスのように見られた。
でもお洒落な服を着て、髪を綺麗に切って、詩杏と一緒に歩く姿を考えると何とか耐える事が出来た。あとは彼女にこれを渡すだけだと僕は内緒で買った物を買い物袋からポケットに移し替えた。
席に戻ると彼女はすでにストロベリーパフェを食べていた。顔を上げると満足そうな顔をする。
「着替えたんだ。いいじゃん。似合ってるよ」
僕はどぎまぎしながら席に着いた。
「今日は本当にお疲れさま。ゴメンね。勝手に弁護士よんじゃって」
前髪を払いながら言った。
「本当だよ。訳が判らなかった」
「でもそうしないと言うこと聞いてくれなかったでしょ?」
「ああ、たぶんね」
もし先に言われていたら、やっぱり面倒だし、母親の事で悩んでいたと思った。彼女はそんな事まで考えていたのかと僕は心の内で関心した。スプーンがガラスの中で踊った。テーブルを見ると彼女はすでにパフェを食べきっていた。僕も慌ててグレープフルーツジュースに口をつける。その間に彼女はバッグの中から紙を出した。
「これが明日からのシフト表だからよろしくね」
グラスをテーブルに置き、シフト表を受け取る。 朝の六時から夕方5時までがずっと続いている。
「これは今日はもう早く帰った方が良さそうだな」
僕は苦笑いを浮かべて彼女にいった。
「まだ序の口かもよ」と彼女は笑い伝票を手に取った。それが帰る合図だった。
外は暗く、昨日もここから一緒に帰った事を思い出した。外灯の光が反射して鏡状態になったガラスに自分の姿が映る。茶色いストレートのチノパンにシワ加工された赤いTシャツ。まるでツギハギのロボットみたいに思えた。服を脱いだら、僕は昔の自分に戻ってしまうんじゃないかという予感が頭を駆け抜けた。
不安を打ち消すように僕はそっと彼女の手に触れた。「どうしたの」と彼女は僕の方を向いて、さりげなく手を握り返してきた。だから僕は何でもないよって笑顔を見せた。後ろのポケットをさすりながら、もし彼女がコレを受け取ってくれれば、僕は現実感を取り戻せると思った。




