第五話・一生で一番忙しい午後
西カゴメショッピングセンターは象のように巨体を空に伸ばし、行き交う人々は皆忙しそうだった。ファミリーレストランに着いたのは六時半過ぎぐらいだったが、予約された席にはもう男が座っていた。三十代ぐらいの背広を着た男は辺りの家族連れとは異質な空気を放っていた。僕に気がつくと陽気な顔をして手を挙げた。男の前まで行くと男は席に手を向け僕を座らせる。
「初めまして。チケットセンターの田代です。よろしく」
僕より二回りぐらい大きい男は小さい名刺を礼儀正しく渡してきた。どう受け取れば良いのか判らず慌てて受け取ると男は値踏みするように何度か軽く頷いた。
「原田君だっけか? 君は大学生かな?」
田代と名乗る男は水を飲みながらそう聞いてきた。僕が黙っていると男は続けた。
「いや何、気にしないでくれ。さっき対応していたお客さんも大学生だったんだ。なんせお年寄りやサラリーマンなんかはコーラなんか飲まないからね」
気の利いた事を言えないでいると男はアタッシュケースをテーブルの上に乗せて書類を出した。
「ま、そんな前置きはいらないって顔だな。じゃあ、早速、書類に入ろうか。書きながら聞いてくれればいいよ」
目の前に出されたのはパンフレットと三枚の書類だった。一枚目は本人確認と申込書のようなものだった。
「まず聞いていると思うけど、チケットはペアチケットになってる。簡単な話。家族なんかはNG。ここはいつも何故かって聞かれるんだけど、宇宙に行った写真をコークの広告で使うからなんだ。判るだろう? 先ほども言ったとおり、コークのメインターゲットは若者だ。活気に満ちた姿、そして宇宙でコークを飲むシーンを取る。それだけで広告としては非常に大きな利益が生まれる。だから、連れて行くのは、女の子でなきゃいけない? 彼女なんかいる?」
僕は詩杏の事を頭に思い浮かべたがすぐに打ち消した。男は不敵に笑ってなるほどねと言うと話を続けた。僕の書いている書類も二枚目なった。
「宇宙は未だに危険でまだ未知の部分が多い。だから、万が一事故が起きても当社では保証出来ない。ただ一応保険はかけてある。死亡事故が起きた場合一億円。そのほか入院費用がかかる場合など細かい事が書いてある。読んでよらってサインをしてくれ」
その紙もざっと目を通してサインをした。別に僕にはどうでもいい話だった。
「オーケー。これで君は正式な登録者だ。ロケットに乗るのは12月1日の予定だ。詳しくはパンフレットに書いてある。ただ天候が優れない場合は延期される場合もある。それじゃあまあ、終わりかな」
仕事を終えた緊張のない声だった。
「これだけなんですか? 宇宙にいくなら練習なんかの必要があるんじゃないんですか?」
男は首を振る。
「これで終わりだよ。あとは書類に書いてある事をよく読んでおいてくれれば大丈夫。訓練が必要ないような設備が整えられているから何も心配はいらない。」
男はおもむろに僕の名前の書いたチケットを渡しアタッシュケースを閉めた。僕は思わずそのチケットを光にかざした。
「シールみたいな工夫は何も無いよ。当選者のデータはコッチで預かってるから、そんなものはただのお飾りだ」
男はネクタイを少し緩めて立ち上がった。
「それじゃ、私はいくけど、君はどうするんだ? 一応夕食が済んでいないならウエイターに言えば持って来てくれる」
「僕はこの後ここで人と会う予定があるんです」
「これか?」
男は小指を立てる。僕は首を振って男を見送る。男は伝票をヒョイと持ってそのまま台風のように去っていった。家族連れの和やかな雰囲気があたりを包んだ。僕は手首を握って暗くなった外を眺めた。




