第四話・背の低くなった彼女
店員用の服を脱いで髪を下ろした詩杏の姿は昔の気の強い詩杏とは違っていた。あの頃は僕と殆ど同じぐらいの身長だったのに、今じゃ自分より遙かに低くなっていた。僕はケツをはたきながら立ち上がった。彼女は眩しそうに目を細めて空を見た。
「暑いね」
僕は顔を拭う。汗が腕いっぱいに垂れていった。
「暑いよ。真夏だよな」
コンクリートに座るなり彼女は言った。
「今、どうしているの?」
僕も再び腰を下ろしてアスファルトを見つめた。
「近くのアパートで暮らしてる」
彼女もきっと聞きにくいのだろうなと僕は思い、気の進まない話を切り出した。
「借金は今も昔も変わらないままなんだ。今はバイトとかして何とか生活してるよ」
自分の生活を吐露するのは気分の良い物では無い。それでも借金は減ったのだ。そうやって僕は自分を励ましてきた。そっかーと彼女は意味深なのか会話をつなげようとしているのか空に顔を向けた。
「うん。コウちゃんが居なくなってしばらくしてからね。ここも再開発が進んで、随分変わったでしょ?」
ここに戻って来たとき、町の風景の違いには驚いたものだった。僕の家だった場所には大きなビルが建っていたし、目の前の道には二車線道路に変わっていた。振興住宅地が増え、昔からあった家は風化していた。
「でかいショッピングセンターが出来たんだよな。行ったこと無いけど」
「そう、借金取りたちはこの地区が再開発される情報を知ってて、詐欺のように土地を奪っていったのね。今更だけど」
そうだったのかと今更ながら僕は思う。
「行ったことあるの? あのショッピングセンター」
「いや、全く」
こんな服で行けるわけねえよ。家族ばかりが集まってくるショッピングセンターに浮浪者みたいな人間が行ったら浮きすぎている。
「私も……。ここに昔からいた人はみんな残った小さな店で買い物してる。でも新しく住宅地に入って来た人は、みんなあのショッピングセンターに吸い込まれて行くの」
「しょうがねえよ。何でも変わっていくし、変わらなきゃいけない物だろ」
言った途端、その言葉は自分に向けられる物だと思った。でも借金は無くそうとしても無くせる額でも無かった。だから僕は慌てて話題を変えた。
「コンビニで働いてるの?」
「手伝ってるだけよ。今は大学生。もう四回生だからあんまり授業ないんだ。お兄ちゃんが新しいお店を出したせいで、店長代理をさせられての。もう私就職決まってるのに参っちゃう」
「なるほどね。昔と変ったんだな、詩杏も……。なあ、大学ってどんな事をするんだ?」
「私はね。今はずっと天文学を学んでるの」
一度空を見ると顔を僕の方に向けた。
「意外だった?」
僕はうなずいた。
「両親が喧嘩してた時、よくここから空を見てたの、しばらくしてお母さんが天体の本を買ってくれて、それから興味を持ったの」
詩杏の口ぶりは自慢のようだった。ふと僕は当たった宇宙旅行の事を思い出した。
「宇宙飛行士になりたいと思った事はある?」
詩杏が宇宙旅行に行きたいか。僕は探りを入れてみる。
「現実的じゃないから考えなかった。大学卒業したら博士になろうと思っている訳じゃないし……」
そりゃそうだよなと僕は思った。
「なあ、もし、宇宙にいけるとしたら行きたいと思う」
「えー、そりゃだれだって行きたいんじゃないかな? きっとね」
その言葉を聞いて僕は宇宙旅行を彼女にプレゼントすることにした。
「なあ、俺がその、放心していた理由なんだけどよ」
わざとらしく僕は一呼吸置く。すると彼女は両手を僕の前につきだした。
「待って! まさか宇宙旅行が当たったなんていわないでね。私今日あのコーラケース買いしたんだから」
ポケットをまさぐり、当たったシールを彼女の目の前に出して僕は笑った。
「それが当たっちまったんだ。今日の夜に渡しに来るんだってよ」
彼女は嘘でしょ?と言って僕の持っていたシールを奪い取ると食い入るようにシールを見つめていた。
「本当に当たりなの? こんなの誰だって偽造出来そうだけど……」
僕は彼女からシールを返してもらい空に向け、事の顛末を話した。
「なるほどね。多分それはGPSと指紋認識センサーが入ってるんだね。他にも何か入っているんだろうけど……」
彼女はそう言って色々な角度からシールを眺めていた。
「それさ、ペアチケットなんだけど、良かったら一緒に行かないか?」
勇気をだして僕は言った。
「えっ、無理だよ」
意外な言葉に僕は死にたくなった。
「そう簡単に貰える訳無いよ。これ売ったらウン千万は手に入るんだよ?」
「駄目なんだ。転売とかそう言う事出来ないようになってるんだ。ただ一人でいってもしょうがないからさ」
詩杏は僕の言葉を聞いているのか、いないか。何か考えているようだった。そして詩杏は言う。
「ねえ、あまりここでおしゃべりしている訳にいかないから、また会いましょう?出来るだけ早く。その間に私は宇宙旅行の事考えておくからさ」
詩杏はお尻をはたいて立ち上がった。
「携帯電話は持ってる?」
僕は首を振る。
「じゃあ私の仕事七時上がりだから、今日の夜に会おうよ どう? 今夜空いてない?」
髪留めをどこからか取り出し、彼女は再び髪の毛をまとめあげた。
「七時からファミリーデイズでチケットの受け渡しがあるんだ」
「じゃあ八時なら大丈夫だよね。私、八時になったら向かうから……」
笑顔を作ると彼女は僕に背を向けた。
「ちょっと待ってよ」と僕は声を掛けたが彼女は僕に手を振るとそのまま店内へ消えて行った。




