第六話 容姿と宴
水晶から手を離した途端、目の前に浮かんでいた光はふわりと散るように雲散霧消した。念のためにもう一度手を当て、しっかりとステータスが浮かび上がるのを確認してから水晶を黒箱の中へと戻し、未だ中身の詰まっているであろうアイテムバッグの中を確認する。
次に取り出したのは肌に優しそうな布でできたタオル。色は白くとても手触りがいい。入っていたタオルの数は十枚だった。あそこにいた人数と同じ数なのには理由があるんだろうか。このアイテムバッグであれば一人複数枚分は確保できるとは思うが、それでも荷物を減らすべきだったのか、同じタオルを使いまわしても大丈夫な理由があったんだろう。
とりあえずこのタオルを細かい石の粒が転がっている床へ直に置くのは流石に憚られるので、一時的に魔法の道具が入っていたアイテムポーチの中へ入れておくことにした。
その後も出て来るのは日用品や旅に必要そうなものばかりで、あの水晶のように使えそうなものは結局最後まで出てくることはなかった。あれほど膨らんでいたアイテムバッグも、中身がほとんど出て萎みきっている。逆にこの広い部屋の一角がもので敷き詰められることになってしまったが。
取り出したものを黒箱含め、全てアイテムバッグの中へ戻したあとは、残った十個のアイテムポーチの確認だ。
と少し意気込んではみたものの、どのアイテムポーチも中身はほとんど同じようなもので、個人用品――歯磨きやハンカチ、衣服ばかりだった。当然その人の趣味嗜好があるため個人差はあったが、違いといえばそれと下着の大きさくらいだ。
そんな中で唯一目を引いたのは掌サイズの手鏡だった。昔に使われていた金属の表面を磨いただけの鏡ではなく、ガラスや銀で加工されている現代の鏡と同じように、しっかりと光を反射している。
ほかの品を見る限り、こういった加工ができるほどの技術や加工場があるとは思えないが、魔法なんていう未知の技術があるんだから、俺が想像できないような方法で作られていたりするんだろう。
いや、今はそんなことどうでもいい。遂に……というほど時間が経っているわけではないが、この鏡のお陰でやっとグリードという人物の顔を見られるようになった。
一目見て思ったことといえば、本当に別人なんだなという失望と、盗賊にしか見えないなという実直な感想だった。乱雑に切られた短髪の黒髪に、少しだけ彫りの深い顔。そういった意図はなくても睨んでしまっているように見える眼光と、右の額から真っ直ぐ頬まで伸びた一本の傷は、お世辞にも堅気の人間とは言えない。幸いというべきか、顔の造形そのものは悪くない。清潔にして髪や眉さえ整えれば、最悪でも盗賊だなんだと思われるようなことはないだろう。
一先ずこれで置いてあった荷物の確認は終わった。
姫様の護衛たちが装備していたであろう武器や防具も見てはみたが、魔法の道具と同様に色々な文字が彫り込まれていて、明らかに一品物であろう装飾が施されていた。そんなものをおいそれと持っていったり使ったりするには色々と問題があるだろう。そもそも、こんな華美な武器を大衆の面前でこれ見よがしに腰にぶら下げていたら、すぐに噂になってしまう。それに姫様の護衛ともなれば、この武器や防具を実際に見たことがあるという人は多いはずで、それを持っているのが人相の悪い男だとすれば、すぐさま衛兵のような人物が飛んできてお縄になってしまう。
もしかしたらこのグリードという人物そのものが賞金首になっている可能性も否定できないが、そういった懸念はなるべく少ない方がいい。
さて、まさか見た目よりも中に多く物が入る袋があるとは思わず、荷物の中身を確認するだけで思った以上に時間を消費してしまった。時間を計るものがないから正確な時間はわからないが、体感では既に二時間ほど経っている。
今が朝か夜かはわからないが、姫様たちが捕まってから今に至るまでになにかを食べたとは考えにくい。あの盗賊共が食事をしっかり持っていくとは思えないが、あいつらが持っていって姫様たち相手にあれこれしないという保障はない。手を出すなとは念押ししておいたが、そんな簡単なことが守れるなら盗賊なんかに身をやつしてなんかいないだろう。
というわけで腹を空かせているだろう姫様や村娘たちのために、黒パンと干し肉、水袋の三つをそれぞれ二等分して六つある袋に入れていく。姫様たちのほうが村娘たちよりも人数が多いため、入れる量は姫様たちのほうが多いが、どちらもが空腹で困ることがないであろう量を入れている。
毛布も適当に数枚ほどいれておく。
毛布と二等分に分けた袋を、持ちやすいように大きな袋へ纏めて入れて肩に担ぎ部屋を出る。
通路を抜けてあの広場へと出れば、俺の姿に気が付いた盗賊の一人が小走りで近づいてきた。その顔には媚びるような笑みを貼り付けていて、話す前からなにを求めて近づいてくるかが嫌でもわかってしまう。
全身に漂わせている悪臭も合わさって、非常に関わりたくない。しかしそんな考えなんて知らないこいつは、そのわかりやすい笑みをそのままに揉み手をしながら話しかけてくる。
「頭ぁ、俺たち話し合って考えたんすよ」
「なにをだ」
いいことを思いついた、といった様子の声音でそう言うこいつに怠そうな雰囲気で返せば、それを気にした様子もなく笑みを深くした。
「あの聖女たちが駄目なら、あの村の女たちならいけるよなってあいつらと話してたんでさぁ! どうせあいつらいつか捨てるから大丈夫だろうって! やっと女にありつけると思ったのにまたお預けなんてどうかしちまうって!」
大層興奮した様子でツバを飛ばしながらまくし立ててくる。下半身はほかの奴らとの会話でヤッている想像でもしたのかテントを張っている。……小汚い男が勃たせて迫ってくる状況を経験するなんて思ってもみなかったが、想像以上に不快だ。しかもよく見たらこいつ、牢の中でなんやかんやと言ってきた奴じゃないか。なんとも迷惑な奴だ。
「そうか」
「じゃ、じゃあ!」
否定も肯定もしていない俺の言葉が色好い返事に聞こえたのか、作り笑いから破顔して更に詰め寄ってくる。
「アホか。食わせるわけねえだろうが、前にも言っただろうが。なにを勘違いしてやがる」
「なっ、そんな……そんなのあんまりじゃねえか! 村娘捕まえるときだって、聖女を捕まえるときだって俺たち頑張ったじゃねえか! それなのに……それなのにヤることヤれねえなんてふざけんじゃねえぞ!」
破顔していた顔が瞬く間に怒りの表情へと変わり、遂には言葉遣いすら変わってしまった。
しかしまずいな、今ので同じような考えをしている奴が同調し始めそうになっている。性欲が強くて癇癪持ち、なるほど盗賊にぴったりの性格じゃないか。とはいえ今ここで反旗を翻されるのは都合が悪い。
苛ついていたせいもあって、少し煽り気味に言って怒らせてしまったが、こいつらは多分目の前に餌さえぶら下げればなんとかなるだろう。一週間も持たせられるとは思えないが、数日程度であれば問題ないはずだ。
「だから勘違いしてんじゃねえっつってんだろうが。よく考えてみろ、あの聖女の護衛どもを。あいつらは村娘とは比べ物にならねえほど上物だ。あいつらを食う前に村娘程度で満足してえつうならもう一回同じこと言ってみろ」
「うっ……、いや、でもよぉ……」
俺の言葉で聖女と一緒にいた護衛たちのことを思い浮かべたのだろう、胸ぐらを掴みそうなほどに近寄っていた男は怯んだように数歩下がるも、それでも性欲を抑えきれないのか小さくなった声でなんとか反論しようとする。
「だがまあ、目の前に餌をぶら下げられて、お前らがそれをずっと堪えられるとは俺だって思っちゃいねえ。だから明日は宴だ。それならお前らでも数日は堪えられんだろ」
俺の部屋には酒やそういったものの類いはなかったが、こいつが走り寄ってくる際、広場の隅で酒や食料のようなものが山積みにされているのが見えていた。これもほかのものと変わらず盗品だろうが、返さなければならない人物は既にこの世にはいないだろう。だとすればそれを餌にして姫様や村娘たちを助ける餌にでもしたほうが報われるはずだ。
案の定俺の宴という言葉で喝采を上げる盗賊たち。とても単純でいいが、少し単純すぎやしないだろうか。村人が凶作かなんかで盗賊に堕ちた可能性も考えていたが、今の状態を見る限りではどう転んでもこいつらは盗賊まっしぐらだっただろうな。
「か、頭ぁ……すんませんでした!」
上機嫌で宴を喜んでいたが、先ほどの俺に対する態度を思い出したのだろう、ハッと我に返ったと思ったら顔を青ざめさせ、すごい勢いで頭を下げ始めた。
こういった盗賊とかの社会では力こそが全てだろうから、下の奴が上の人間に楯突いたらどうなるかなんて、言うまでもないだろう。だが、今はその時ではない。俺がここを出るまで……姫様たちを助けるまでにはどうにかするつもりではあるが、今ここで粛清なり排除なりしたところで不和が生じるだけだ。
人を殺すことに忌避感は当然ある。だからといって、こいつらをどうにかしない限りあの姫様たちを助けることは叶わない。それに、こいつらをこのまま放っておけば更に被害者が増えるんだ、それだけは絶対に避けなければいけない。
「次はねえぞ、覚えとけ」
「はっ、はい!」
頭を下げ続けるそいつの横を抜ける際、少し威圧するように言葉をこぼす。頭を下げた状態からすぐさま背筋を伸ばした様子を横目に確認して、これなら大丈夫だろうと一安心する。
予定外の足止めを食らったが、まあいい結果が生み出せただろうと、軽く溜め息をついて再び牢へ向けて足を進めた。
自分はテントを張った男の人が近づいてきたらダッシュで逃げる自信があります