放課後の月
黄金色に覆われた雲がたなびき、開け放たれた窓からはもうそろそろ冬になるであろうという冷たい風が校舎内へと侵入する。黄昏時、と呼ばれるその時間は、多くの生徒が各々に部活、はたまた家へと向かう時間帯であった。
そんな中、人気の無い教室にひとりの少女がたたずんでいた。彼女は、生真面目さを感じさせるような黒檀の眼鏡に、校則を違反したことなど一度も無い、とでもいうかような清潔感のある身なりをしていた。そんな彼女が、こんな時間帯に教室にいる意味は、手元に大事そうに握られたメモのような紙と、緊張した面持ちから察することが出来た。時折、時計を確認する仕草から待ち人が時間に遅れていることが伺える。
ため息をつく彼女の顔は、夕日に照らされ精巧な人形のような美しさが際立っていた。教室の窓にもたれかかり、外を見る。もうすぐ日が暮れてしまいそうだ。
「やぁ、待たせてしまってすまないね」
静寂の支配する教室に突如として甘美な声が響き渡る。少女ははじかれたように顔を上げ、声の主を見た。その顔は、大輪の花が咲いたような、見る者をそれだけで癒やす笑みだった。
「 さん……!」
慈しむように待ち人の名を呼ぶ少女に、青年は答える。彼は、困ったように笑うと、少女の頭を撫でる。その姿は、学校での逢瀬を楽しむ学生の睦まじい姿にしか見えない。二つの影が細長く伸びる。ただ一つ、普通と違うのは、その青年の影に、おおよそ人に似つかわしくない大振りの角が生えている事であった。
「いい加減、僕が鬼であると言うことは分かっているだろう? なぜ、僕から離れてくれないんだ……」
鬼の青年は柔らかく儚い声を紡いだ。少女は、青年に撫でられながら、嬉しそうに言う。
「君が、君であると言うだけで、なぜ離れなければならないんだ?」
その声は、先ほど彼の名前を呼んだときのような丁寧さは無かったが、澄んだ水のように綺麗だった。幼子のように純粋でまっすぐな問いは、彼の顔を悲しげに彩った。
「貴女は人で、僕は鬼だろう? このままでは、僕が君を壊してしまう」
怖いんだ、と鬼の青年が言う。そのおびえた声に、少女は目を伏せ、そっと青年の頬を撫でる。
「私は、それでも構わないさ。君は、何も恐れなくて良い」
優しい声で少女は鬼を宥める。違うんだ、と泣きそうな鬼は少女を抱きしめた。
もうすぐ、鬼が支配する夜を象徴とした白い月が昇る。
沈んだ太陽が空を燈に彩る街は、静かに、重く、時を奏でる。
少女は、彼の後ろをうつむいたまま歩いていた。前をゆく鬼は、それに気づかない。彼は、すでに薄暗い闇の支配する空間となった神社で立ち止まった。
「ねぇ、 。 僕は帰らなくては」
本来、逢魔が時にのみ交わることの出来る妖と人間。その交わりは、決してあっては為らないものだ。彼女が彼と出会ったことも、人間の学校に通っていることも、すべて掟破りな事。
「もう、帰ってしまうのか……?」
か細く悲しげな少女の声に、鬼は顔を歪ませる。
「帰らなくては為らないんだ、これ以上居たら、もう、二度と逢えなくなってしまうよ?」
彼の声に、彼女は一筋の涙をこぼし、震える手で彼の胸に手を当てた。
「……人と、変わらないのに、なぜ君は鬼なんだ……」
彼の鼓動を手に、静かに目を伏せる彼女の耳に、街の鐘の音が響く。彼が、人の世界に居られるのはここまでだ。名残惜しそうに手を握ると、彼らは、別れる。
少女が神社を出た頃には、すでに空が藍色に染まっていた。見える星空はまるで金剛石を散りばめたかのような玲瓏さと輝きを放っていた。
「君はなぜ、この世界に来たんだ」
自分の世界へ戻った彼へ、届かない声を送る。いつか、きっと答えが得られると願って。