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陰陽総理  作者: 如月青河
第一章 追い抜いて行く足音
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黄泉の覗き穴

 月曜日の放課後、化野中学グラウンド袖には、約束通り井上夫妻の姿があった。退屈しないように、高畑渚が陸上部の練習について、色々と説明をしていた。相沢部長は、相変わらず完全無視のスタンスだ。

 そこへ水谷先生に先導され、来客用駐車場からスーツ姿の男女が、遅れてやって来た。

「井上さん、奥さん。大変お久しぶりです」

 胡麻塩頭の初老の男性が、井上夫妻に歩み寄ると、深々と頭を下げた。

「あなたはコーチをしておられた権藤先生ですね。こちらこそ大変お久しぶりです。娘の葬儀の時以来でしょうか」

 井上夫妻も二人一緒に頭を下げる。

「お久しぶりです。わたしのことを覚えおられるでしょうか?」

 もう一人の女性。水谷先生より少し年下に見える中年の女性が進み出て、老夫婦に挨拶した。

 井上夫人が暫し首を傾げた後、思い出したように大きく肯いた。

「たしか鈴木さんだったかしら。佑香の後輩のかただったわね」

「はい、鈴木希美(すずきのぞみ)です。今は結婚して、山本希美になりました」

「そうですか。葬儀の時に佑香のために泣いてくださった…。もし佑香が生きていたら、貴方のように結婚して子供がいたかもしれませんね」

 井上婦人が少し寂しそうに云った。

「それで今日は井上先輩の追悼式を行うって聞いた来たんですけど、他の先輩方はまだいらっしゃらないのですか?」


「それは俺の方から説明させていただきます。俺は化野中学1年の安倍春秋です。申し訳ありません。20年ぶりの追悼式を行うと云うのは、お二人に来ていただくための方便でした」

 タイミングを計っていた春秋が、すかさず介入した。春秋の後ろには、リンカと宏昌がもれなく付いてくる。(笑)

「何だってそんなことを」

 権藤が怪訝そうに呟いた。

「まずはこれを付けてください」

 そう云うと、春秋が学生服の内ポケットから、墨で模様が描かれた短冊(たんざく)状の紙を取り出した。両端に輪ゴムが取り付けられ、二か所に、ボタン穴ぐらいの穴が開けられている。

「これは黄泉(よみ)の覗き穴と呼ばれる呪具です。見鬼(けんき)の才を持たない一般の人間が、幽霊を見るための道具です」

 井上夫妻は事前に説明を受けているため、あっさりとそれを目に装着した。こどもが遊びで作った紙の仮面のようで、かなり滑稽に見えた。権藤と山本は戸惑った様子で躊躇している。


「こんなことが…」

「あぁ…、佑香、ゆうかぁ…」

 泣きながら幽霊に駆け寄ろうとした老婦人を、春秋が慌てて制止した。

「佑香さんは今非常に不安定な状態です。下手に声を掛けたり近付いたりしたら、壊れて消滅してしまう可能性があります。お気持ちは分かりますが、遠くから見るだけにしてください」

 そして権藤と山本の方を向き。

「とにかくその道具を付けてグラウンドを見てください。話はそれからです」

 権藤と山本が、躊躇(ためら)いながら黄泉の覗き穴を装着した。

「あれは…井上佑香! そんなバカな」

 権藤が目を見開き、口を半開きにして驚愕する。

「井上先輩…そんな…確かに亡くなっているはずなのに。20年前と少しも変わっていない」

 山本希美の両目から、とめどなく涙が溢れだした。


 権藤は自分の目で直に見ている光景が信じられなかった。そこは20年前毎日通っていた中学の校庭。陸上競技のコーチとして、初めて挫折を味わった場所だった。そこを当時と寸分変わらぬ姿で駆け抜ける少女の姿があった。背景が薄っすらと透けて見えるのは、春秋と云う少年の云う通り幽霊だからなのだろう。

 権藤が陸上競技を始めたのは高校に入ってからだった。中学の部活はバスケ部だったが、一度もレギュラーに手が届くことが無かった。バスケ部3年間の走り込みで、走ることだけは自信があった。高校最後のインターハイ、ギリギリで何とか全国へ行ったものの、予選敗退の屈辱を味わった。体育大学へ進み当然のように陸上部へ入部。しかしパッとした成績を残せず、自身の競技者としての活動を終えることになった。

 競技者としての才能がまるで無かった権藤。心機一転、体育教師として後進の指導を始めることにした。雌伏の10年を経た頃、ここ化野中学で運命の出会いをすることになる。井上佑香。後に『キングメーカー』とか『優勝請負人』とか呼ばれ、多くの有力選手を育てることとなる権藤だったが、オリンピックへ届くと感じた選手は、彼女一人だった。権藤が自分なりの選手育成方法を確立した原因も、故障した井上佑香のリハビリのため、汎亜米利加合衆国(パンナム)から当時最新技術だった科学的トレーニングを導入したことが切っ掛けだった。

 それだけに井上の突然の事故死は権藤を打ちのめした。そして皮肉なことに、権藤を救い上げたのは、井上に怪我をさせた生徒・鈴木希美だった。井上の怪我に責任を感じた鈴木は、井上の隣で井上のための強化トレーニングを、そっくりそのまま付き合ったのだ。

 鈴木にとって1年先輩の井上は、部のエースであり憧れの先輩だった。少しでも先輩の近くで走りたい…。そんな純粋な願いが悲劇を生んでしまった。集団で練習走行中、鈴木は隣の部員と接触。足を縺れさせ、周りの数人を撒き込み、転倒してしまった。不幸なことに、巻き込まれた部員の中に、首都大会を目前に控えた井上佑香がいた。

 何度も死のうと思った。しかし自分が死ねば、井上先輩がどんなショックを受けるか明らかで、出来るはずもなかった。退部を申し出ても、井上先輩を激怒させるだけだった。権藤先生にも諭された。結局自分に出来るのは、先輩のリハビリを必死にサポートすることだけだった。

 井上先輩が亡くなった。交通事故だった。信じられなかった。何日も泣き続けた。後追い自殺も考えた。しかし自分がすべきことは、先輩の後を追って死ぬことではなく、先輩の夢を代わりに叶えることだと思い直した。

 権藤にとって鈴木はさほど注目すべき選手ではなかった。短距離も長距離も才能がなくどっち付かずな選手だった。本人は井上に憧れて短距離を希望していたが、同学年の部員の中では一番遅かった。そんな鈴木を井上のリハビリに付き合わせたのは、怪我をさせた鈴木の心が壊れないようにとの配慮からだった。故障上がり時の(ぬる)いメニューならともかく、トレーニングが本格化すれば途中で付いていけなくなると思っていた。ところが予想に反して、鈴木はレベルが低いながらも、井上と同じメニューを全てやり遂げたのだった。

 井上が亡くなった時、残された部員の反応は、大きく二つに分かれた。一方はエースの死にショックを受け、やる気を失った者たち。もう一方は、井上の遺志を受け継ぎ、必死に全国を目指す者たち。鈴木は後者だった。権藤にとってまったく意外な事に、鈴木は3年のインターミドル首都大会に優勝。全国大会でも予選をトップで勝ち抜き、決勝6位入賞の快挙を成し遂げた。あの才能の無いお荷物が、信じられない成長ぶりだった。大会の一週間後、権藤と鈴木は大きな花束を持って井上の墓を訪れ、全国大会の報告を行った。不思議なことに、二人とも墓の前で泣かなかった。

 その後鈴木は、当時新設校だった東嶺(とうりょう)学園高等部へスカウトされた。高等部の新任コーチとして権藤が誘われたのは、鈴木のオマケだったのかもしれない。鈴木はインターハイでも安定した成績を残し、大学部2年のインカレで遂に銅メダルを獲得した。当然のように実業団から声が掛かったが、鈴木はこれを断り体育教師の道を選んだ。権藤は鈴木が自分と同じ道を選んだことが、無性に嬉しかったことを覚えている。

 そして井上佑香の死から20年…。


 井上夫妻、権藤、山本がそれぞれの感慨に耽っている中、一人だけ空気の読めない奴がいた。

「春秋~、オレの分は?」

 宏昌が満面の笑みを浮かべながら、両手を差し出した。

「お前の分って、何のだ?」

「嫌だな、その黄泉の覗き穴とか云う道具だよ。霊感なくても幽霊が見えるんだろ」

「無いけど…」

 春秋が素っ気ない返事をする。

「無いってどうして?」

「あれは使い捨ての上に、作るのに凄く手間がかかるんだ。墨の中に術者の血を混ぜなきゃなん。お前、出血多量で俺を殺す気か」

 もちろん出血多量云々(うんぬん)は冗談だ。

「そんなぁ~。せっかく生まれて初めて幽霊が見られるって、楽しみにしてたのに…」

 宏昌が涙目で抗議する。

「お前だけじゃなくて、リンカや高畑さんの分も無いぞ。お前みたいに興味本位で心霊スポット巡りしているような奴は、そのうち悪霊に取り憑かれて痛い目に会うからな」

 春秋が冷たく突き放す。

「春秋のいけず」

 宏昌が恨めしそうに云った。

「なぁ、中原さんや高畑さんは幽霊見たくないのか?」

 宏昌は諦めきれない様子だ。

「わたしは前に見せて貰ったからいいよぉ~。幽霊は結構グロいやつもいるからね」

「僕はちょっと見てみたいかな…。幽霊は見た事ないけど、たまに空耳みたいなのが聞こえることがあるし」

「高畑さんは、少し訓練すれば幽霊が見られるようになるかもしれないな。霊的音声を聞き分けられるなら、見鬼の才を持っている可能性が高い」

 渚の言葉に、春秋が興味深そうに応じた。

「なら、俺も訓練すれば幽霊えるのか?」

「宏昌の場合は無理だな。霊感ゼロだし…」

 果たして宏昌の野望(?)が叶う日は来るのか!?(爆)


 30分程後、井上夫妻・権藤・山本、そして春秋たちは、校庭の端にある木製ベンチに腰かけていた。もちろんあのふざけた紙のマスクは外されている。水色のペンキが塗られたベンチはかなりの年代物で、所々ペンキが剥がれ落ちていた。

 事情をまだ話してない権藤・山本両氏に対して、井上佑香の現状について、春秋は淡々とした口調で説明を行った。権藤は未だに信じられないと云う様子で(かぶり)を振り、山本は放心したように無言だった。

「…ですから佑香さんの執着は単純に首都大会優勝と云うものではなく、山本さんと交わした約束を果たすことだと思われます。自分のせいで後輩が陸上をやめてしまうかもしれない。それが佑香さんには許せなかったのでしょう。首都大会で優勝することで、事故(アクシデント)など何と云うことも無かったのだと、山本さんに示したかったのだと思います」

 春秋が長い説明を締め括った。

「それで君たちはわたしに何をさせようと云うんだね?」

 一通り話を聞き終わった権藤が、訝しげに訊ねた。

「佑香さんを首都大会に優勝させようと思います。お二人にはそのための手助けをお願いしたいのです」

「幽霊は大会に出られんだろう」

「それは俺の方で何とかします。そもそも佑香さんが出るはずだった首都大会は、20年前に終わっています。当時の本物の大会に出場することは、元々無理なんです。要は本物の大会でなくても、佑香さんが山本さんとの約束を果たしたと満足そすればそれで良いんですよ。そのためには少なくない出場校が必要です。お二人には交流試合の名目で、出場校をかき集めて欲しいんです。名門校の名物コーチとして影響力のある権藤先生と、無名の公立中学を全国大会へ導いた実績のある山本先生なら可能なはずです」

 春秋が自信あり気に断言した。

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