図書室談義
「それでこれが例の幽霊の写真だ」
翌週の昼休み、春秋たちは図書室に集まっていた。
「うわっ! マジか!?」
「!!」
「これがあの足音の正体…」
図書室には彼らの他、図書委員しかいないが、迷惑にならないよう、予め小さな声で話すよう申し合せてある。順番に、春秋、宏昌、リンカ、渚の声だ。
テーブルの上に、焼き増しされた3枚のカラー写真が、乱雑に並べられていた。春秋が念写したものである。予想通り、松村先輩の撮った分には全く何も写っていなかった。
「俺ってば、モノホンの心霊写真ってやつを初めて見たよ。オカルト雑誌に載ってるのは、ほとんど合成写真なんだよね」
宏昌が無駄な一口知識を披露した。
「これって、完全に向こうが透けて見えてるよね」
最初会った頃のですます調から、渚の言葉使いがちょっとくだけたものになっている。打ち解けて来た証拠だ。
「それで、高畑さんはこれからどうしたい?」
春秋が渚の目を真っ直ぐ見つめながら訊ねた。
「彼女が誰なのか知りたい。そしてどうして化野中のグラウンドにずっといるのか。出来れば成仏させてあげたい…」
渚が暫し逡巡した後、真剣な眼差しで答えた。
「この娘って、地縛霊なんだよね」
リンカが写真を指さしながら、春秋に確認するように訊ねた。
「間違いないな。現世への強烈な執着によって、ここのグラウンドに縛り付けられている」
「自爆霊? 爆発しゃうの?」
渚が首を傾げた。
「オカルト用語ならこのオカ研・宮本にお任せあれ」
宏昌が頼まれもしないのに解説を始めた。
「幽霊には大きく分けて二種類あって、特定の場所に縛られて移動出来ない霊を『地縛霊』、何処へでも自由に移動出来る霊を『浮遊霊』と呼ぶんだ。『地縛霊』は自殺したり、交通事故なんかで事故死した場合になることが多いね」
「ええっ、この娘グラウンドで亡くなったの!?」
渚の顔が蒼ざめた。
「可能性はあるけど、多分違うと思うな」
すかさず春秋が否定した。
「あの幽霊は、『首都大会、絶対優勝』ってずっと呟いていた。おそらく首都大会前に事故か病気で亡くなったんだろう。それが執着になって、グラウンドに縛られているんだと思う」
「あっ!、僕も練習中に大会優勝って言葉を聞いたような気がする。ずっと陸上部の他の部員が云ってると思ってたんだけど、あれ幽霊の声だったのか…」
「この幽霊、そんなことを云っていたのか…俺には全然聞こえなかったけどな」
宏昌が悔しそうに云った。
「そうすると、まずはこの幽霊が何者なのかの特定だな」
春秋が指針を示す。
「安倍君の術でパパッと誰だか調べたり出来ないの?」
リンカが無邪気に爆弾を投げ込んだ。
「なっ、何? 術!?」
春秋の正体を知らない宏昌が、わけが分からないと云う表情で聞き返した。逆にリンカから春秋のことを聞いて相談を持ち込んだ渚は納得顔だ。
「リンカ…、あれ程あのことは喋るなって釘をさしておいたのに…」
春秋がリンカを睨みつけた。
それに対し、リンカはあっけらかんとした様子だ。
「今更だよ。化野小出身者は大概知ってるし、バレるのは時間の問題だよ?(テヘペロ)」
「おい、春秋。お前何か隠してるのか?」
「安倍君はね~、霊能者なんだよ」
宏昌が詰め寄ると、リンカがあっさりと暴露してしまった。
「化野小は元代官所があった場所に建っててね、首切り場跡とかあったの。そのせいか幽霊の吹き溜まりみたいになっててね、それを6年生の時児童会長になった安倍君が、あっと云う間に全部除霊しちゃったんだよ」
「なっ!!、本物の霊能者!?」宏昌が目を白黒させながら叫んだ。声が裏返っているのは御愛嬌か。「だったら何でそんなにオカ研を嫌う?」
「声が大きいぞ、宏昌」春秋が溜息をつきながらたしなめた。「囲碁や将棋に中学生のプロがいることを知ってるだろう。そんな連中が、アマチュアの囲碁部や将棋部に入って楽しいと思うか?」
「ぐむむ…」
図書室で叫んでしまったことに加え、正論を付き付けられてぐうの音も出なかったらしい。宏昌が顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。
「それで安倍君の術で何とかならないの?」
リンカが再度確認した。
「家には伝わってないな…。多分、術自体は存在すると思う。西洋魔術だと、過去視とか物体霊視なんかがあるからね」
春秋が渋い顔で答えた。
「TVの心霊番組で、霊能者がゲストの家の様子をバンバン透視してゆくのがあるじゃんか。あれはどうなのさ」
固まっていた宏昌が突然再起動した。
「あの手の番組は9割方インチキなんだけど…」
「ああ、ホットリーディングとかコールドリーディングと云うやつだろ? 下手すると、番組スタッフもグルだって云う」
「まあ、中には本物もいるからな。あれはゲストの守護霊から情報を聞き出して適当に喋ってるんだ。だから霊に話しかけても全く反応の無い今回のケースでは使えない」
春秋がきっぱりと断言する。
「何で安倍君の家には伝わっていないの?」
渚が不思議そうに尋ねた。
「失伝したからだよ。家に限らず、失伝は珍しいことじゃない」
「どうしてそうなるのさ。有用で貴重な術なんでしょ?」
「有用で貴重な術だからこそ失われてしまうんだ…。そう云う術は家にとって最高機密になる。親兄弟でもみだりに教えることが出来ない。多くが一子相伝の秘術とされるんだ。術を知っているのが一人しかいないから、後継に伝える前に事故や病気で当主が亡くなってしまうと、知識が永久に失われてしまうんだ」
「ふうん、安倍君の家もそうだったの?」
渚が納得した様子で更に訊ねた。
「家の場合はちょっと特殊でね。分家の数が多過ぎて、激しい主導権争いが起こったらしい。結果、秘術も何もその前にぐちゃぐちゃでね…。まあ、家はまだマシな方だよ。賀茂氏系の嫡流だった勘解由小路家なんか、後継者争いのごたごたから戦国時代に断絶してしまったそうだ。この時相当な数の貴重な秘術が失なわれたと云われている」
「安倍君の術が駄目とすると、手掛かりはこの写真だけか…」
リンカが難しい顔で3枚の写真を並べ直した。
「古参の先生に写真を見せて聞いてみたらどうかな?」
宏昌が提案した。
「無理だな。個人情報保護法があるから、例え知ってても教えてくれない。それ以前に、そもそも知っている先生がいないだろう。公立校の教師は、業者との癒着を防ぐため、10年程度で強制的に別の学校へ転任する制度になっているんだ」
それを春秋が即座に否定する。
「結局この写真の娘を、学校のアルバムから一枚一枚探すしかないのかな…」
リンカが溜息をつきながら、誰も触れたくなかった事実を指摘した。
((((メンドクセー!!))))
皆心の中で思っていることは同じだ。
「まあ、5月の首都大会前に亡くなってるんだから、卒業写真にはないよね」
渚が気持ちを切り替えるように前を向く。なにしろこの幽霊事件の解決を言いだしたのは、彼女自身なのだから。
「そうするとクラスの集合写真に、修学旅行の写真かなぁ」
「うんうん、文化祭や体育祭の写真もあるよね」
リンカが相槌を打つ。
「図書室にそんなもん置いてあるのかよ?」
やる気なさげに宏昌が疑問を投げかけた。
「とりあえず、図書委員に聞いてみよう」
春秋の一言で、皆立ち上がり、ぞろぞろと図書室の受付へ向かった。
図書委員は2年の先輩で、名札を見ると小島尚美と云う名前らしい。卵型の小顔に薄い眉。一重瞼に赤いべっ甲柄の眼鏡を掛けている。髪を真ん中で左右に分けて、ゴムバンドでツインテールにしていた。色白でソバカスの一つも無いのは、いかにもインドア派文学少女といった感じである。この時期新入生の図書委員は役に立たず、主力はどうしても2・3年生にならざるを得なかった。貴重な昼休みを潰して、何を好き好んで図書室の番をしなければならないのかと疑問に思うのだが、図書室の本を好き放題読めると云うのは、案外図書委員の役得なのかもしれない。小島先輩も例にもれず、海外文学らしきハードカバーを熱心に読み耽っていた。
「あのう、すみません」
春秋がおずおずと声を掛けると、小島先輩が下に落としていた視線をパッと上に上げた。
「貸し出しですか?、返却ですか?」
事務的な調子で訊いてくる。
「いえ、そうじゃなくて、ちょっとお聞きしたことがあるのですが…。過去の在校生が写った、年度別の写真集のようなものはないでしょうか? 少し調べたいことがありまして」
「それでしたら、資料室の方に『化野中学校の歩み』があります。閲覧には申請が必要です。持ち出し禁止なので、閲覧が終了したらその都度返却してください」
受付の引き出しをがさごそした後、ガリ版刷りの申請用紙を出して来た。
春秋は申請用紙の『閲覧理由』欄を見て、何と書こうかと頭を悩ませた。まさか『幽霊の正体を調査する為』なんて書けるわけがない…。
そして3日後、春秋たちは完全にダレでいた。
「う~、目がショボショボする」
リンカが昼休み何度目かの目薬へ手を伸ばした。
「みんな同じ顔に見える」
宏昌が机に突っ伏したまま弱音を吐く。
「リンカ、その目薬貸してくれ」
春秋が辛そうな表情で天井へ顔を向け、目を瞑っている。
「ねえ、この娘似てないかな?」
渚が13年前のクラス集合写真を指差しながら、自信なさそうに云った。
「うーん、似ているような似てないような…」
リンカが首を傾げる。
「どれどれ…多分違うと思うな。髪型が違うし、陸上部にしてはポッチャリし過ぎている」
春秋が否定した。
「そっか、僕もあまり自信なかったんだけど。全校生徒の写真から探すのが無理があるかもしれないね。これだったら、女子陸上部のアルバムから探した方が速いかもしれない」
渚がさらりと重大発言を流した。春秋、宏昌、リンカがぎょっとした表情で渚の顔を見つめる。
「なっ、何さ…」
「「「そんなもの(アルバム)があるなら、早く云え(云ってよ)!!」」」