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陰陽総理  作者: 如月青河
序章
1/7

内閣総理大臣 土御門靖行

 ほの暗い闇の中、初老の男性が瞑目(めいもく)し、静かに正座していた。ぴんと伸びた背筋は姿勢よく、年齢にしては引き締まった身体をしている。髪を七三に分け、染めているのか白髪の一本も見当たらない。その表情は厳しく、眉間には深いしわが刻まれていた。濃紺の背広に糊の効いたワイシャツ。胸には金色(こんじき)の菊の徽章(きしょう)が、誇らしげに輝いていた。彼こそは数多の闘争を勝ち抜きこの国のトップに立った男。第××代内閣総理大臣、土御門靖行(つちみかどやすゆき)その人である。


『グウワァァァ~!!!』

地の底から湧き上がるような、不気味な唸り声が響いた。


 あまり広くない部屋だった。つんと香る黴臭さ、土の臭い、冷たい湿気が、そこが地下に作られた部屋であることを強く示していた。剥き出しの土間に粗末な茣蓙(ござ)が敷いてあるだけ。その上に紫色の座布団を載せ、正座しているのだ。四隅には御幣(ごへい)と榊の枝が括りつけられた竹が立てられ、荒縄にぐるりと囲まれていた。


 三つの青白い炎が、等間隔を置いて、反時計回りにぐるぐると飛び廻る。

 禍々しく揺らめくそれらは、荒縄で仕切られた内側には、決して入って来られない。


 総理の目の前には、もう一人人物がいる。狩衣に指貫(さしぬき)袴、漆黒の立烏帽子(たてえぼし)を被った平安の絵巻物から抜け出して来たような格好だ。年齢(とし)はごく若い。かろうじて元服を終えたばかりのようで、顔姿から少年らしさが抜けきっていなかった。涼やかな目元に通った鼻筋。唇は薄く、少女のそれのように艶やかに色づいてる。全体的に非常に整った顔立ちで、美少年と云って良いだろう。


 三つの炎たちは、良く見ると成犬の生首であった。首が鉈のような鈍い刃物で切り落とされ、骨髄が露わになった傷口から、どす黒い血液がぽたりぽたりと流れ出ていた。だらしなく半開きになった口からは、涎がねっとりと糸を引いていた。


 少年は複雑な印を結びながら、低い声で呪文を唱え続けていた。双眸は目の前の護摩壇の炎へひたと据えられていた。護摩木が弾け、パチパチと音を立てながら火の粉が上がって行く。揺らめく護摩炎に照らされて、供物の果物・魚介の干物・月餅などの影が躍った。


 青白い燐光を放つ犬の生首たちは、そこだけ憎悪に赤く染まった眼で、忌々しげに総理を睨みつけた。犬たちの望みは唯一つ。靖行の首筋を喰いちぎり、生き血を啜ることだ。嗚呼(ああ)、邪魔な結界さえ無かったら…。


 突如少年が唱える呪文が高まった。少年は印を解くと、右手で香木を数本掴み、護摩炎へ放り込んだ。一瞬炎が大きくなり、大量の火の粉が天井へ立ち上る。同時に白い煙が湧き上がり、天井を這うように広がって行く。すかさず少年は、護摩壇の前に供えてあった護符を、天井へ向かって投げつけた。


『はぁっっ!、雷童子(らいどうじ)!!』

 裂ぱくの気合と共に少年が叫ぶと、一瞬閃光が走り、辺りが真っ白になった。


「「「ぎゃうぅぅ~ん…」」」

 招雷符から枝分かれした稲妻に貫かれた生首の犬たちが、一斉に苦悶の悲鳴を上げる。瞳からは真っ赤な憎悪の光が消え、怯えの色に塗り替わった。間隔を置いて結界の廻りを飛んでいた秩序だった動きが失われ、狂乱したような出鱈目な動きに変わっている。


 続いて狩衣姿の少年が手印を組み直し、呪詛返しの真言を宣すると、犬たちの瞳に再び禍々しい憎悪の炎が灯った。しかしその視線はもう総理には向けられていない。犬の生首たちは、地下室に唯一ある通路へ、列をなして消えて行った。


「ふ~う、春秋(はるあき)、終わったのか?」

 総理は目を開くと、大きくため息をついた。

「呪詛は返しました。…しかし二の矢があるやもしれません。もう少し結界内で様子を見ましょう」

 春秋と呼ばれた少年が、後ろを振り返りながら云った。額から幾筋もの汗が流れ落ちていた。

「しかし午後からの閣議には出なければならん。呪詛返しをされると、術者は命を落とすのではなかったか?」

「ええ、お爺様。一般的にはそうです。しかしこれ程の外法を行使出来る術者です。呪詛返しの対策もしていると考えた方が良いでしょう」そう云うと、春秋は眉をひそめた。「それに術者が死んでも、依頼者が諦めない限り、別の外法師へ呪殺依頼が回るだけです」

「政敵の藤原幹事長か、橘政調会長か…。野党共和党かもしれんし、共産テロリストの仕業かもしれん。緊縮財政で利益を失う財閥のどかれの可能性もある。露西亜(ロシア)や大K帝国、汎亜米利加(パンナム)間諜(スパイ)だってありうる。あはは…、心当たりが多過ぎて見当もつかんよ」

 自虐する総理大臣を、春秋がジト目で睨みつけた。

「まったくお爺様は敵を作り過ぎなんですよ。ちょっとぐらい利益(あめだま)を与えて、上手くやることは出来ないんですか?」

「そのちょっとぐらいが曲者なんだよ。政治は妥協の産物と云われるけど、一度無原則な妥協を始めると歯止めが効かなくなる。それで目的を見失い、落ちて行った政治家を、わたしは何人も見て来た」総理は苦い表情を浮かべると、遠くを見つめるような目をした。「それに何より日本のためにならない…」




 首都圏近郊、高級住宅街にあるさる屋敷に、濃い血の臭いが立ち込めていた。立派な洋風の建物の中、あるいは樹木で囲われた広大な庭のいたるところに、使用人とおぼしき死体が転がっていた。外傷の類は一切なく、皆一様に恐怖の表情を浮かべたまま絶命していた。その数20人以上。唯一の生き残りがこの館の主である。猿轡を咬まされ、庭に打ち込まれた丸太にロープで括り付けられている。奇妙なことに、主の額には一枚の式符が貼り付けられていた。

 彼の目の前の地面には、警備のために飼っていた三頭のドーベルマンが、首だけ出して縦に埋められていた。…否、首から先がつながっていない。ドーベルマンの首は、鉈のような刃物で切断され、地面にゴロリと転がっていた。


「ん?、返されたか…」


 庭に置かれた鋳物製の椅子に、千家の茶人のような格好をした男が座っていた。黄土色の着物に黒い円筒形の帽子。小柄であるが年少者ではない。特異的なのは、顔を仮面で隠していることだ。能や狂言で使われる『翁の面』だ。


土御門つちみかどには余程優秀な術者が付いておると見える。高名な巫女姫とやらか? いや、あやつは今、西伯利亞(シベリア)にいるはず。やはり倉橋卿か…」


 翁面の男が目を(すが)めた先、首相官邸のある方角から、三つの青白い炎が近付いて来ていた。少し前に彼が放った呪殺用の式神だ。同じようにそれに気付いた屋敷の主人が、恐怖の表情を浮かべ、逃れようと必死に身をくねらせた。

 しかしその足掻きも虚しく、三つの犬の生首たちは、屋敷の主人の身体へ次々と吸い込まれて行った。直後に喉元、左胸、右腹の肉がえぐれ、大量の血が噴水のように吹きあがった。薄皮一枚残った首が千切れ、主人の生首がぼとりと地面に落ちた。心臓を食い千切られているので、血液の噴出も直ぐに治まる。

 呪いを行使する者にとって、『呪い返し』の対策を立てることは常識である。翁面の男も例外ではなかった。屋敷の主人の額に貼られた呪符には、彼の霊力が込められていた。顔形(かおかたち)ではなく霊紋で人を視る式神にとって、屋敷の主人は翁面の男そのものに見えていたはずである。


「金克木、喼急如律令!」

 翁面の男が、袖口からすばやく金行符を取り出すと、空中へ向かって(ほう)った。護符は瞬時に光の小柄(こづか)と化し、遅れてやって来た黄色い電光をまとった雷鼠…春秋が放った探索の式を貫いた。


「10分だ。検非違使(けびいし)どもが集まって来る前に撤収するぞ」


 翁面の男が、周りに控える6人の男たちに命じた。背格好はまちまちだが、全員黒いスーツに黒い帽子と、全身黒ずくめである。仮面で顔を隠しているのは同じだが、能面ではない。目と口の位置に長方形の穴を開けただけの簡易なものである。まるで埴輪のようだ。

 埴輪面の男たちは無言のまま首肯すると、庭に散らばる死体を集め、玄関から屋敷の中へ放り込んだ。同時に主人と三頭の犬の額に貼られた呪符、雷鼠を倒した呪符を回収するのも忘れない。


「南方火徳星君に伏して願い奉る。一切合財焼尽し灰燼と化すべし。喼急如律令!」


 最後に翁面の男が火行符を放つと、まるでガソリンでも撒かれていたように、瞬時にして屋敷が燃え上がった。それを確認する様子もなく、男たちは粛々と撤収して行く。その後駆け付けた消防隊によって消化が試みられるが、全てが灰になるまで火勢が衰えることはなかった。

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