ミステリの女王、弟に丸投げする
「姉さん、ひとつ推理してもらいたいことがある」
わたしの名前は、七星あかり。高天原学園高等部の一年生。
今日は風紀委員会の会合で、わたしも末席をけがしていた。
半分は、風紀委員長の……クリス先輩の仕草をながめるため。ホワイトボードに向かう先輩が、こちらへふりむくたび、うすいダークグレーの髪がゆれる。先輩の右目は、五月の淡い光を吸い込んで、深い深いディープブルーに輝いている。ちょっと見ただけでは、見過ごしてしまうようなオッドアイだ。
もし一見完璧な先輩に欠点があるとすれば、さっきの発言だろう。彼の視線の先には、この学園の生徒会長、神咲アリス……先輩の姉の姿があった。
「クリス、わたしは傍聴しているだけ。あなたが解決しなさい」
「姉さんは、ミステリの女王だろ。この謎は、姉さんにしか解けないよ」
会議室の視線が、アリス先輩に集中する。
彼女はため息をつくと、静かに目を閉じた。
「いいわ。生徒会長として、相談にのりましょう」
「そうこなくっちゃ……箒木っていう一年生は、知ってる?」
アリス先輩は、知っていると答えた。
「髪の毛がボサボサの子でしょ?」
「そう、一年生の問題児」
遅刻する。授業中は居眠りする。早弁する。小テストは0点ばかり。
目の下にちょっとクマがあって、毎晩ゲームにいそしんでいるらしい。
風紀委員会としては、見過ごせない監視対象だった。わたしが個人的に不満なのは、彼がクリス先輩に対して、やたらと挑発的なところ。
「それで、箒木くんが、どうかしたの?」
「このまえの中間考査で、カンニングをしたらしい」
アリス先輩は、ぴくりと眉を動かした。彼女もまた、オッドアイの持ち主。左の瞳を奥までのぞきこめば、それがマルベリー色だと気づくだろう。
「カンニング? ……あなた、阻止できなかったの?」
クリス先輩は、大きく肩を落とした。
「そうなんだ……バカな弟でごめんよ」
「いいえ、だれにでもまちがいはあるから……でも、どうやって?」
アリス先輩は、弟を心から信頼していた。だからこそ、質問を放ったのだろう。
その姉弟愛がどこからきているのか、わたしたちには理解しかねた。
「順番に説明するね」
最初の騒動は、箒木くんが数学の小テストで三度目の0点をとったときだ。担当の数学教師が、このままでは前期が赤点になるぞ、と脅した。箒木くんは悪びれた様子もなく、中間考査がどれくらいの点なら大丈夫か、とたずねた。
『何点とは保証できない。百点なら、さすがに大丈夫だが』
『百点ですか……』
「この会話を聞いていた七星さんが、箒木くんに声をかけたんだ」
アリス先輩は、わたしのほうをちらりと見やった。とても冷たいまなざしだった。
「それで……?」
「箒木くんは、こう言ったらしい。『カンニングすれば、百点なんて簡単さ』ってね」
アリス先輩は、わたしに確認をとった。わたしは、こくりとうなずいた。
クリス先輩は、説明を続けた。わたしからこの話を入手したクリス先輩は、箒木くんの行動を監視することにした。まず、試験当日の持ち物検査で、箒木くんのカバンのなかを徹底的にしらべあげた。だけど、なにも見つからなかった。次に、試験中、彼のクラスの風紀委員……つまり、わたしが、定期的に彼のしぐさを監督した。もちろん、ずっと見張るのは不可能で、ほとんどは先生が引き受けた。うらで情報を共有したのだ。
試験中の座席は、あらかじめシャッフルされる。それでもわたしとクリス先輩は、机をしらべた。なにかが書き込まれていたような形跡は、どこにもなかった。
「でも、みつからなかったの?」
「そうなんだ。監視カメラは、なにもとらえていなかった」
この情報には、周囲の風紀委員たちがおどろいた。クリス先輩は、わたしにだけこっそり教えてくれたのだけど、あの日、箒木くんの正面には、監視カメラが仕込まれていた。先輩お手製。一部始終が映っていたはずなのに、カンニングの証拠はつかめなかった。
「あやしい動きはなかったの?」
「いくらでもあったさ。まず、始まって数分間は、やたらごそごそしていた。でも、カンニングペーパーを取り出すとか、そういうことは確認できなかった。次に、問題を解き始めてからは、ときどき天井を見上げていた。でも、あとで天井を調べたら、なにも出てこなかった。最後の数分間、箒木くんは寝ていたけど、手を動かしている気配があった」
「身体検査は?」
クリス先輩は、もちろんだと首肯した。
「なにも出てこなかったよ」
「ま、そうでしょうね」
アリス先輩は、弟よりも濃いダークグレーの髪をかきあげた。
「姉さんは、どう思う? ぼくは、なにか見落としているんだろうか?」
「ええ、見落としているわ……とても簡単な事実を、ね」
室内がざわつく。わたしは、クリス先輩とアリス先輩を、交互にみくらべた。
アリス先輩は、ちょっといたわるような感じで、もういちどくちびるを動かす。
「ほんとうに、とても簡単な事実よ。あなたなら分かるわ」
クリス先輩は、しばらく考えにふけった。そして、パチリと指をはじいた。
「分かったよ」
「さすが、わたしの弟ね」
「答案用紙か問題用紙がカンニングペーパーだったんだ」
アリス先輩は、残念そうに首をふった。
「どうやってテスト用紙をカンニングペーパーにするの?」
「枚数を調整すれば、自分のところに配布させられるんじゃないかな?」
「席順は、シャッフルされるのに?」
そうだね、と、クリス先輩はあっさり降参した。
「じゃあ、姉さんの推理を聞かせてもらおうか」
「そうね。今回の事件の真相は……」
そこで、アリス先輩の携帯が鳴った。先輩は通知先を確認して、席を立つ。
「ごめんなさい。急用よ」
「え、姉さん、ちょっと……」
クリス先輩の制止にもかかわらず、アリス先輩は会議室を出て行った。
あとにのこされたクリス先輩は、がっくりとうなだれた。わたしは胸が痛む。
「クリス先輩、そう落胆しないでください。わたしたちで解決しましょう」
わたしのことばに、クリス先輩は、サッと顔をあげた。
さっきまでの表情は、すっかり消え去っていた。
「真相なら、分かっているよ」
「……え?」
「箒木くんは、カンニングなんかしてなかったのさ。全部ブラフなんだ。彼は、小テストのとき、答えを書いていなかっただけ。よく考えてみなよ。いくら落第生でも、小テストで毎回0点をとるっていうのは、無理がある」
「な、なんでそんなことをする必要が?」
「ぼくに対する挑戦だよ。0点を取り続けたのは、その布石」
わたしたちは、口をぽかんとあけて、クリス先輩をみつめた。
「……いつ気づいたんですか?」
「最初から気づいてた」
「じゃあ、さっきのアリス先輩とのやりとりは……?」
クリス先輩は、なにが分からないのか分からない、という顔で、こう答えた。
「ぼくが解決したら、『さすがは姉さん』って言えなくなっちゃうだろう?」