感情
「ごはんよ」お母さんはいつもの時間、いつもの食器で朝御飯を出してくる。見たこともない食べ物が入っていて、無視しようものなら「食べなくていいよ」と食器を下げようとする。それではとばかりに私は急いで口に放り込み、とりあえず体の中に流し込む。
「そうよ、初めからそういう風に食べればいいのよ」と勝ち誇ったように、ニコリと笑う。それから、決まって自分の飲む黒い液体のコーヒーという飲み物を用意して、50インチの電波と呼ぶ古い技術を使った液晶テレビの前のソファに座する。ダイエットという、自らの体の機能を落とす事が流行っているらしく、小麦粉から出来たパンは食べないらしい。でも、コーヒーにミルクと砂糖をたっぷり入れるこてはあまり気にしないらしい。
この家は、この星ではいたって普通の家族らしい。お父さんは、普通の大学を出て、普通の会社に就職して、大学の同級生の、少し気が強いけれど、普通のお母さんと結婚した。そして、普通に子供が二人男の子と女の子が産まれた。
男の子は小学校5年生で女の子は小学校3年生で家から、10分ほど歩いた所にある普通の小学校に通っている。二人とも勉強は中くらいで普通の小学生だ。
つまり、「普通」と言う意味が私にはわからないが、私にとってはもってこいのサンプルなのだ。
私が、この普通の家族の一員になったのは、今から、一年前に話が遡る。かろうじて、頭が動かせるほどのスペースに閉じ込められていた私は、がたがたと揺れ、摩擦熱で金属が焦げた臭いで充満するロケットの暗い闇から、突然光か溢れる空間に放り出された。もう、「与えられた任務」はできない、ここで終わると"判断"したが、薄れる意識の中で体内に酸素が送り込まれ体内機関が動くことの"分析"をし始めた。しかし、記憶はここまでで途切れてしまったのだった。
「まあ、生きてるわ」と言う、気の強いお母さんの声で、目が覚めた。たぶん、落下した河原は柔らかい砂地で葦の群生もクッションになったのだろう、数日は機能が停止し体はほとんど動かなかったが、目と耳の感覚だけがかろうじて動いてた。
「誰かに、捨てられたんだわ」
「可哀想だから、連れて帰ろうよ」と言ったのは、男の子だった。
「そうだな、どうする、母さん」とお父さんは困った様子でお母さんに判断をまかせた。
「うーん、連れて帰りましょうか、ちょうどペットも欲しいなって思っていたし」お母さんの結論は早かった。
「ペット?」お母さんの言った言葉が理解できなかった。
「いいな、可愛いワンちゃんほしかったんだ」まだ、言葉もたどたどしい、下の女の子の一言で私は、「ペット」としてこの普通の家族の一員になったのだった。
一年が経ち、今、ソファに座ってコーヒーを美味しそうに飲んでいるお母さんから、理解不能であった「ペット」が何であるかを私は叩き込まれた。
エリダヌス座のオミクロン2番星から来た、惑星外生物の調査をするエリート科学者が、わが惑星では1000年前に存在し、すでにあやふやな概念だけが残っている「ペット」と名の付くあやしげな生物に落とし込められたのだ。
そもそも、この星のペットの一番人気の「ドッグ」と言うものが、私の外形に似ていることが私には理解しがたかった。重力に反するような大きな体で、二足歩行で歩かず、四本の足で歩くのは利にかなっているし、耳や目が発達することで寄り効率的な形状になるのは宇宙の定理にかなっているのだ。この星では知られずに調査をする必要から、サイコキネシス(念動力)を使うことはしていないが、私の惑星では、数千年前からこの惑星でいう手という器官は必要ないのだ。ただ、サイコキネシスを使えないので何をするにも手こずっているのだが。
「食べ終わったの?」お母さんはテレビの番組が、コマーシャルという、番組とは全く関係のない映像を流し始めたのと同時に、後ろを振り向き私に言った。
その言葉は、「食器を、決められた所にもって行く」を意味していることを、ここへ、来たときからお母さんに叩き込まれた。
それも、すでに我がオミクロン二番星では退化した手と言う器官でたたくという原始的な行為によって。
子供達は「いたずら」と称する、相手の体内機能に若干のダメージを与えることで自らのアドレナリンを高め"感情"を作り出すことに夢中で、もっぱら、対象は私に向けられることが多い。
男の子は活動エネルギーを発散するために、私の体を高く空中に放り投げては受け止める動作を繰り返し、最後はソファの上に落とす「いたずら」を仕掛ける。閉口したのは女の子だった、学校から帰ると必ず、私に抱きつき、「チュッチュッ」といいながら、私の顔を両手で強く挟んで自分の口を、私の口につけてくるのだ。幾度かサイコキネシスを使い2人を排除しようかと思うほどであった。
そんな、状況の中で、私は与えられた業務を果たすため「ドック」の役割を演じていた
この1年で、この家族をサンプルとして、この星の生物の思考及び行動パターンは、脳と呼んでいる神経細胞の固まりにあるシナプスが電気信号により数百の大きなわかりやすい系統に分類できることは「惑星外生物調査部」には報告した。
ただ、全くわからないやっかいなものがあった、それは「感情」という電気信号では説明できないものだった。我々の惑星ではすでに、数千年前に廃棄されたと語り継がれており、私には全く理解できるものではなかった。たぶん、この惑星の生物の細胞と呼ばれる個体を形成する最小単位に、何らかの電気的なもの、あるいは化学物質として埋め込まれているのだろう。もしかして、過去にこの星に訪れた生命体が自らの記憶を繋ぐため意図を持って埋め込んだのかもしれない。さすがにこの事は報告はできていなかった。
「行くよ」お母さんは、散歩と称する体内器官及び歩行機能の維持のため、私を伴って近くの公園に1時間程度歩行する。
今日もいつものように、私たちは家をでた。
その日は天候が悪く、30分ほど経った頃、雨が急に滝のように振りだした。
「帰るよ!」公園の池の回りの遊歩道を歩いていたが、あわてたお母さんは、私を引っ張り小走りに家の方に駆け出した。
水蒸気が大気に昇り、冷やされることによって落ちてくる水分がなぜ嫌なのか私には理解できなかったが、反した行動をすると、叩かれるという行為があるので言われるとおりに私も駆け出した。
公園から大きな通りを渡ると家には真っ直ぐの道で、車という、この惑星の移動するための機械はあまり通ることはなかった。この、車という乗り物は、"感情"をもつ生物の思うままに移動するなど凶器の機械以外の何者でもないと私は思う。また、体が小さい私にとっても凶器なのだ。
雨はこの星の生物の目の機能を著しく低下させるらしく、まさ、"感情"にも少なからず影響を与えるらしい。
一台の白いバンがこちらに向かって猛スピードで走ってきていた。サイコキネシス(念動)が主で予知能力を持たない私には予測することができなかった。
白いバンの運転手は家に早く帰りたいとの感情が、雨が数メートル先も見えなくさせスピードオーバーは危険という冷静な分析を無くさせていたのだ。
雨のカーテンから突然白いバンが現れた、ひきつった運転手の顔が私にははっきり見えた。私の判断、計算では、お母さんに直撃するとすぐにわかった。お母さんの体の構造から致命的なダメージが及ぶだろう。とっさに私はお母さんに体当たりした。これでまだ分析がすんでいないお母さんは無事だと確信した。しかし、 訳のわからない"感情"が運転手に車のコースをわずかに変えさせた。白いバンは私に直撃した。私の意識は機能停止し遠ざかっていった。
目の奥に赤い光の点滅が何度も起こり意識が波のように引いては戻った。再生細胞が機能して損傷箇所を修復し始めたのだろう。回りの様子が少しずつ見えてきた。動物病院のベッドの上に備え付けられた、四つのLEDが付いたくるくると回るライトが、私の顔に向けて固定されていた。目の奥の赤い点滅はこれのせいだとわかった。
突然、視界に顔が四つ私の目の前に現れた。お母さん、お父さん、子供たち、四人の顔だった。でも、その顔はいつもの顔と違い、四人の顔はしわくちゃになり、その、目から涙かポタポタと私の顔に落ち続けているのだ。お母さんは、私の顔をさすり、次に体をさわるそれを何度も繰り返す。止めてしまうと私が死んでしまうかのように。子供達は、お父さんにしがみつき、「死なないよね、いなくならないよね」と泣き続けている。
ポタポタと私の顔に落ちる涙は温かかった。私が機能停止になることが、この家族四人にとってこれほど"理解できない行動"を起こさせることは、私がいままで蓄積した、この惑星生命体の分析データから考えられない事だった。
「"感情?"これが、この惑星の特異性を示す唯一不思議な反応なのだ」私という生命体が一つ失われる、宇宙全体でみればなんの意味を持たない事に、この家族はこれほどまでに動揺し涙を流すのだ。
私の手を握りしめているお母さんを私はみた。そして、家族みんなの顔を見た。再び涙が私の顔に落ちたとき私の脳細胞、いや、体全体の細胞が一斉に小刻みに揺れだすのがはっきりわかった。太古に私の惑星にも存在したであろう"感情"、今それが何万年かの時を経て私の細胞一つ一つに再インストールされているのだ
突然、私の目からも感情の育成物質である涙が溢れだした。
「この家族と共にこの"地球"で、この家族のドックとして生きて行こう」
私は体内にある非常用発信器で、"機能停止任務遂行不能"と惑星外生物調査部に最後の報告を送りつけ、すべての任務を終了させた。
この青い星"地球"に唯一残った"感情"、この地球に住む人々は宇宙の未来を救う重要な役割を与えられているのかも知れない。
今、私の真上にある、四人の"私の家族"の顔が今までとは違う優しさを含んだ表情にはっきりと見えた。
"感情"がゆっくりと細胞全体に行き渡るのを私は感じていた。
終わり