VS『巨人』ベガス
突っ込んでくるベガスの手には何も持っていない、どうやら僕と同じように素手で相手をするようだ。だが彼の体制は腰を深く落とし前傾の姿勢、所謂タックルの体勢、打撃主体の僕とは違い、組み技主体なのだろう。確かにあの巨体に組み伏されたら抜け出すのは困難だろう、ならばまず第一に掴まれないことだ。僕は真正面からは迎え撃たず、攻撃の間合いに入る直前に急ブレーキを掛けた。
すると掴もうとしていたベガスの両腕が空を切る、僕はその隙を逃さず素早く彼の背後に回ると背中に手を置いた。間違いなく彼は魔力がない物理攻撃タイプ、ならば発勁は有効だ。気を練って発勁を撃とうとした瞬間、ベガスの背中が消えてしまった。
―――いいや、消えてしまったわけではない、ベガスの体がこちら側に向いたので彼の背中は彼の背後へと移動したのだ。まさかあの体勢で僕の動きに体が付いてこれるとは、僕は発勁を撃つのを諦め、バックステップで距離をとった。
速い―――
あの大きすぎる体ではパワーはあるがその分スピードはないと思っていたがとんでもない、力はもちろん相手の方が上だが、まさか速さが互角であるとは思わなかった。だが技量はこちらが上、力は負けても威力では決して負けない。
「一撃だ。一撃で仕留めます」
僕は人差し指立ててそう言うと、立てた指を前に出し、こいこいと挑発した。するとベガスはニヤリと笑うと再びこちらに向かって突っ込んできた。
今度は安易に掴みかかろうとはせずに打撃を交えてくる、ただ突っ込むだけではいつまで経っても僕を捕まえられないのだと思ったのだろう、パンチを受け流しで捌いていると隙を見ては受け流しをしている腕を掴もうとしてくる、だがそれも僕は易々とかわしていた。やはり速い、油断なくこちらに反撃の隙を与えないでいる。
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副船長は己の目を疑った、まさかあのベガス船長と肉弾戦で渡り合える人間がこの世に存在していたことを、だが彼は二人の動きにまったく付いてこれなかった。
しかし二人の腕は見えないが、アルスの腕を掴めば船長の勝利、船長の攻撃を最後まで捌ききればアルスの勝利だと彼は感じ取っていた。
それはベガス自身もそう思っていた。そして攻めている自分の方が優勢だということも、こちらが攻撃をしている限り相手は攻撃することができない、ならば攻め続けている限りこちらが倒されることはないのだから。
そう思っていたのだがベガスは内心焦り始めていた。いつまで経ってもアルスを捉えることができないのだから、ベガスは彼の運動量と瞬発力に驚愕した。このままだとこちらが先に力尽きてしまうのではないのだろうか、ベガスは一旦距離を置くべきかと頭によぎった瞬間、均衡は破られた。ベガスの右手がアルスの左腕を掴んだのだ。
(掴んだっ!)
だがベガスはすぐに次の行動へ移すことができなかった。これが戦闘が始まった最初の頃ならばベガスはすぐに次の攻撃へ転じていただろう。だが彼は自分の猛追がことごとくアルスに回避された為、攻撃が当たらない焦りと怒りと疲労が頭の中に占め、最早ただ掴むことだけしか考えられず、その掴んだ後の行動を失念してしまったのである。
アルスはこの隙を逃さなかった。なぜならこれは彼の計算通りだったからなのだ、アルスは必殺の一撃を決めるために相手を挑発し、あえて攻撃をせずに回避のみに集中して、頃合を見てわざと腕を掴ませたのであった。彼は左腕をつかまれたまま流れるような動作で右手をベガスの腹に添えると必殺の一撃を放った。
『発勁!!』
「ぐはぁっ?!」
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手ごたえあり、この一撃で決まったと思った。だがベガスは苦悶の表情を浮かべるが倒れることはなかった。しかも僕の左腕は掴まれたままだ。
ベガスは僕の腕を掴んだまま右手を力任せに振り上げると僕の体は空中に舞った。そしてそのまま床へ叩きつけられ…
…ると思ったが気付いたら僕は船のマストに叩きつけられていた。どうやら発勁のダメージで握力がなくなりすっぽ抜けてしまったようだ。だがこちらもノーダメージとはいかない、振り回された左腕は脱臼をし、背中にもダメージを負った。
骨折ではなかったのは不幸中の幸いだ。僕は脱臼をした骨をはめ込むと拳を握り、怪我の具合を確かめた。…痛みはあるが背中と同じく骨に異常はないようだな。
ベガスはまたこちらに向かってくる。何で動けるんだよ?かなり挑発をしたからアドレナリンが分泌でもしているのだろうか。
「おおおおオオオオオオッ!」
まるで痛みを吐き出すかのようにベガスは拳を繰り出してきた。僕は再び吹っ飛ばされたのだが、今のは相手の状態を確かめる為あえて彼のパンチを受けたのだ。その為拳はクロスアームで防御をして、自ら後ろに飛ぶことで衝撃も吸収しているのでダメージはまったくない。
パンチを受けてみて分かったがやはり彼はダメージを受けている。スピードはさほど落ちていなかったのでまさかとは思ったが、パワーは格段に落ちているのでその心配は杞憂だったようだ。だがパワーは落ちているはずのパンチは、威力がまったく落ちていないように感じるのは気のせいだろうか?
とにかくまた発勁を耐えてカウンターを喰らうのも嫌なので別の方法で攻めよう。ベガスは最早組み技を捨て打撃主体となっている。
「ウおおオオオオゥッ!」
そしてまたパンチを打ってきた。
『瞬鞠!』
しかし彼の拳が届く前に僕の拳が先に彼のアゴに届いた。瞬鞠は無拍子で撃つノーモーションパンチである、威力は低いが僕の持っている技の中で最速にあたる体術だ。
威力は低いがヒットした場所はアゴ、ベガスは脳を揺さぶられ千鳥足になるとそのまま倒れ―――
「ウッ…ガァァァッ!!」
そう、倒れるはずだったのにベガスはすんでのところで踏ん張り、しかも反撃をしてきたではないか。
どうなっているんだ?間違いなく僕の拳は彼の脳みそを揺らしたはずだ。精神が肉体を凌駕したとでも言うのか。
ベガスの猛追は止まらない。気のせいかスピードが上がってきているような気がする、攻撃を捌ききれない、捌ききれない攻撃はガードしているが、衝撃ではない何か執念のような気迫がガード越しに伝わってくる。だがその分動きは雑になっているのでこちらも五発に一発の割合で反撃をしている、しかも向こうは防御を捨てているためどれもクリーンヒットに決まる。
なのにベガスは倒れない、ゾンビかこいつは、何故倒れないんだ。そこで思い出した。彼の目を見て。
―――それは三年ぐらい前の魔物狩りがこなれてきた頃だった。
「作業的じゃのう」
お師匠様がこんなことを言ってきた。
「何のことですか?」
「お主の戦い方じゃよ。100の力が出せるが50の相手には51の力で倒しよる」
お師匠様は僕が倒したキングベアを指差しながら言った。
「それが何か間違ってますか?実戦では何が起こるか分からないんですから、最小限の力で最大限に余力を残して置くべきでしょう」
「間違ってはおらん。お主、ゲームではボス戦まではMPを使わなかったり、レベル10で倒せるのに15や20に上げてから挑むタイプだったじゃろう」
「…はい、その通りでした」
「だがワシらが相手をしているのはプログラムではない血の通った生物じゃ」
するとお師匠様は急にダッシュをすると僕を横を通り抜けた。振り返ると倒したはずのキングベアがいつの間にか起き上がっており、お師匠様はその魔物に発勁でトドメをさしていた。
「HPなんぞない、そんなあと100のダメージで倒せるなどと生命を数字で考えてる攻撃なぞ本当に命を懸けて戦う者には効きやしないぞ」
「ならば確実に息の根を止めるようにしろと?」
「否ッ!戦いとは命を奪い合うことではない、意地と意地とがぶつかり合うことじゃ。ならばこちらも意地を、信念を、魂を込めて相手をしろ」
そうしてお師匠様は拳を僕の胸に当てた。
「お主はそんな戦いをもうしているはずじゃろう」
―――そうだこのベガスの目は五年前の初めて魔物と戦ったときの、家族を守ろうと命を懸けたあの時の僕自身の目と同じじゃないか。ならば彼も何かを守ろうと命を懸けているのだ、そんな相手に僕の攻撃が効くはずもなかった。それを僕は上から目線でチマチマと、これじゃあどちらが悪役だよ。
ありがとう、大切なことを思い出させてくれて。ならばアンタの意地、全身全霊を持って受け止める。
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副船長は己の無力さにいつの間にか涙を流していた。状況はベガスの圧倒的不利なのに船長は自分達のために倒れないでくれている。しかしこのままでは船長は本当に死んでしまう。ならば自分が止めに入ればよいのだが、とてもじゃないが二人の闘いの間に入れるほどの技量も勇気も持ち合わせてなどいない、ならば後は皮肉にも敵に殺さずに止めてくれと願うことしかできなかった。
「ア゛ア゛ア゛ア゛アアアァァァッ!!」
ベガスはもはや正気ではなく、ただ力任せに拳を振り回すだけだった。無論そんな攻撃などアルスには当たるはずはないと副船長は思った。
「なっ?!」
だがアルスは何を思ったのかその足を止めベガスの拳を真正面から喰らった。
ベガスのパンチは彼の顔面にクリーンヒットしている。だがアルスは倒れずに仁王立ちをしていた。その時、副船長はベガスが正気に戻っていることに気付いた、彼もアルスの行動に驚いた表情をしている。ならば何故ただ立っているだけのアルスに次の攻撃をしないのだろう、ベガスはいまだ拳を突き出した状態から動けずにいる。
するとアルスはゆっくりと拳を握り引き締めると、ベガスの顔面へ拳を叩きつけた。
「ふんぬらばあぁぁぁ!!!!」
アルスのパンチを顔面に受けたベガスは吹き飛ばされ、その体は彼が最初に出てきた船室の壁を突き破りその姿を消した。副船長はアルスのパンチは早すぎて見えなかったのだが、アルスの拳を受ける寸前、ベガスが晴れやかに笑っていた表情を何故か彼は見ることができた―――
そしてアルスはゆっくりと船室へと歩いて行き、ドアからではなく、横の自分で空けた壁の穴から部屋に入って行った。
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「これがアンタの戦う理由か…」
僕が見たのは気を失ったベガスをかばうように立ちふさがっている少女の姿だった。