気がつけば異世界
「ついに…ついに会得したぞ…」
とある山中、倒れた巨木の前に、僕は己の拳を見て感無量な気分になっていた。そう、この巨木を倒れているのは自然に倒れたわけでも、道具や機械を使って切り倒したわけでもない、僕の拳によって倒されたのだ。
「見てくださいましたか。お師匠様?」
僕は背後にいる、この偉業の証人でもあり、巨木を倒す方法を教えてくれたお師匠様に振り向いて声を掛けた。
「ウム、見事である弟子よ、『発勁』をわずか一年足らずで会得するとは」
お師匠様も非常に喜んでいらっしゃる。無理もないお師匠様がこの『発勁』を編み出して五十年、こうしてようやく自分の技を後世へ伝授することができたのだから。
「だがしかし…」
しかし喜んだのも束の間、お師匠様は僕の姿を見ると非常に歯がゆい顔になった。
「だがしかし…おぬしががあと二十年…いや、後十年若ければ最強の名を世界に轟かせたであろうに…」
それは言わない約束だよおとっつぁん。確かにお師匠様に師事し、この技を一年足らずで習得はしたものの、僕の年齢は現在アラサーなのである。しかも年齢に相応しい贅肉ダルダルのメタボ体型。いわば何年もメンテナンスをしていないサビまみれのF1カー状態なのである。
「おぬしは間違いなく百年に一人の逸材じゃ。この一年、発勁のみならず平行してひと通りの体術も修得したのじゃからな。しかしだからこそ!だからこそ口惜しいのじゃ…何故もっと早くおぬしと出会わなかったのだと。オヨヨヨヨ…」
泣かないでよおとっつぁん、僕も泣きたくなってしまいます…
そう、僕がお師匠様と出会ったのはちょうど一年前なのだが、それまで僕は運動と呼べるものは体育の授業以外やったことなどなかったのだ。学校の部活は文化系、家に帰れば外へ遊びに行かずアニメやゲームの引きこもり、就職先はシステムエンジニアと言う座り仕事といったおよそ格闘には縁がない人生であった。
そんな僕に転機が訪れる、勤めていた会社をクビにされたのだ、いわゆるリストラである。そうしてどうしたらよいものかと近所の公園で途方にくれていたいた時に声を掛けられたのがお師匠様だったのだ。
お師匠様もお師匠様であの時は途方にくれていたそうだ。何せ地球最強を目指し幼少の頃から修行三昧、長い時間を掛けてようやく近代兵器さえも互角に渡り合える技を編み出したのは良いが、その時はもうすでに八十を過ぎて体も満足に動かせないと言う状態であった。
それならば地球最強の師匠を目指そうと己の技を伝授すべく弟子を取り始めた、だがこれには『気』という生命エネルギーを操る才能が必須であり、なかなか条件に合う弟子は現れなかった。そしてようやく有望な弟子が現れ手塩にかけて育てていたのは良いが僕と出会う少し前に不慮の事故で亡くなってしまい、やはり近所の公園で途方にくれていたらしい。そこでたまたま僕を見かけ、僕には『気』を操る才能があることを見抜きスカウトをして現在に至るのであった。
地球最強を目指せというのは抵抗があったが、まあ僕としてもちょうどやることがなかったからなという現代人思考で彼の弟子となったのであった。
僕はようやく泣きやんだお師匠様を立たせてあげた。
「しっかりしてくださいお師匠様。いずれまた僕よりも若く素晴らしい逸材がきっと現れますよ」
「おおすまんのぅ…そうじゃな、そうなるとまだまだ死ぬわけにはゆかんな、生きている限り人の出会いは途絶えることはない、必ず昇るあのお日様のように」
「お師匠様、残念ながらそのお日様が見えません」
山の天気は変わりやすいと言うが、さっきまで晴れていたのにいつの間にか空は雲に覆われていた。うわあ真っ黒な雲だ、こりゃ雷が落ちてきそうだな…あ、光っ―――
この時僕らは失念していた、巨木が生えていた場所は平原のド真ん中で、避雷針代わりの木が倒された今、雷は僕らに向かって落ちてくるということを……
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
エルフのルクシャナは困惑していた、放浪の旅をしている自分がここムロンと言う名の小さな港町に立ち寄ったのは、ここの町の守備隊長に就職したと言う旧友がいたので挨拶がてらにたまたま立ち寄っただけであった。しかし旧友と昔話を肴に酒場で飲み明かそうと思っていた自分が今から禁忌とされていた反魂の術を試そうとしているのだ。
ことの始まりは数時間前、その旧友に会いに領主の館を訪ねたときであった。旧友は自分が訪ねてきたことに何か複雑そうな顔をしたが歓迎してくれた。だが何故か旧友の雇い主である領主達もそれ以上に歓迎してくれた。あの時から嫌な予感はしていたんだ。ルクシャナは何故その時にとっとと逃げ帰らなかったんだと今更ながら後悔した。
ルクシャナは領主からのもてなしを受けた後とある部屋に案内された。
ムロンの領主、ドラグナー家は六人家族である。街を開拓した張本人で現在は隠居をしているモーリス、息子夫婦のキリィとキャスリン、そこに十八歳のアルフレッドともう二人の子供がいる。彼女が通された部屋にはその残りの二人、十歳のアルスと六歳になる娘のアリスがベッドで眠っていた…いや眠っているのではない死んでいるのだ。
「キリィ殿、これは一体?」
「ルクシャナさん単刀直入に言います。この子達を甦らせてください」
ルクシャナはその頼みに眩暈を覚えた。確かに自分はそこいらの魔法使い共より卓越した技量を持っていると自負しているが、死人を生き返らせる魔法など現在は存在しない。そんなこと子供でも知っていることなのにこの領主は一体何を言っているのだろうか。
「ご安心ください。こちらもそれ相応の準備をしておりますので」
そういってキリィは一冊の魔道書を彼女に手渡した。ルクシャナはこの魔道書の表紙を見たとき、思わず手が震えてしまった。はるか数千年前に禁呪とされ、今現在は誰も知る者がいない、反魂の術が記されているといわれる伝説の魔道書『ネクロノミコン』をこの手にしているのだから。
それは不運な事故であった。兄が妹を乗せて乗馬をしていたら二人揃って落馬をしてしまったのである。打ち所が悪かったとしかいえなかった、二人は外傷はまったくないのにその目は二度と開かれることはなくなってしまった。
周りはそれを不幸な事故だったと済ますが家族にとってはそうだと済ませられない。モーリス達はこの幼い二人を生き返らせようと決意するのであった。幸い生き返らせる手段を自分達は持っていたのだから、そうネクロノミコンである。
小さいながらも港町であるこの場所には様々な交易品が行き交う、そんな数々の交易品の中からこの魔道書がたまたま見つかった。領主自身もコレクション目的で手に入れたのだがまさか本当に使う羽目になろうとは思ってもみなかった。
だが以前問題があった。この魔道書に書かれている古代語を解読でき、反魂の術を行使できるほどの魔力を持った人間がいなかったのである。それほどの力を持つ魔法使いは遠く離れた王国まで行かなければまず見かけられない。魔法使いを呼んで連れて帰ってくる間に死体が腐ってしまうのである。そう途方にくれてしまった矢先に、たまたま雇った守備隊長の友人である、長命故に博識で高い魔力をもっているエルフが、たまたま尋ねにきてくれた。これは最早この子たちを何としても生き返らせろという神のお導きではないのであろうかとモーリス達は確信したのであった。
「すまないなルクシャナ…」
この町の守備隊長であり、彼女の友人でもあるザックスは申し訳なさそうに謝った。自分を訪ねにこの町へ来たのにこんなことに巻き込まれてしまったのだから。
「いや、君が気にすることじゃないよザックス」
実際彼女は最初は戸惑いはしたが災難だとは思っていなかった。禁呪と呼ばれてはいるが禁止令を出していた王国などとうの昔に滅んでおり、今現在この術を行っても法律的には何の問題はないのである。それに失われた蘇生魔法に興味がないと言われれば嘘になってしまう。傷ひとつない死体に反魂の術が記された魔道書、そしてそれを行える術者と見事に材料が揃っているのである。領主達ではないが何か運命的なものを感じるとルクシャナは正直興奮を抑えられずにいた。
ただひとつ気になるのは、魔道書に書かれている古代語の呪文の内容なのだが…
「それでは呪文を唱えますので皆さんは少し離れて下さい」
そう言ってルクシャナは領主家族や護衛たちを後ろへ下がらせた。現在幼い二人の死体は領主の屋敷の庭に描かれた魔法陣の中央に寝かせられている。あとは彼女が呪文を唱えるだけとなっていた。ルクシャナは一度深呼吸をすると魔道書を開き、そこに書かれている呪文を読み上げた。
『異界にうつろう魂よ、我が世界へと渡り降りし、この空虚な器に魂を定着させよ!』
そう唱えた瞬間、今まで晴れていた空は暗雲に覆われるとそこから雷が発せられ二人の遺体に直撃した。雷はその一回だけを落とし終えるとやがて空は再び晴れ上がった。
「…これで…終わりなのか?」
ザックスはルクシャナの方を見たが彼女も肩をすくめるだけであった。とりあえずザックスは部下の1人に子供達の様子を確認してくれと命令を出した。
命令を出された部下は子供達のそばへ恐る恐る近づいた瞬間、次に彼らが見たのは大人である部下を一瞬にして組み伏しているアリスの姿であった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
目を覚ますと雲ひとつない青空が僕の視界を覆った。良かった、一瞬雷に打たれたのかと思ったけど…いや、気を失っていたようだったから実際雷が落ちたのだろう、だけど命に別状はなく無事にやり過ごせたようだ、意識もあるしこうやって手も動くし…あれ?何か僕の手小さくなってね?
僕は上半身を起こし自分の体を確認してみた。着ている服は気を失う前は道着を着ていたはずなのに、今僕が着ているのはヒラヒラのまるで中世の貴族が着るような衣装だ。服だけでない、体も明らかに縮んでおりポッコリ出ていたお腹も今はスッキリ、これじゃあ中年の体ではなくまるで少年の体ではないか!
「目が覚めたようじゃな」
僕が混乱していると不意に誰かが声を掛けてきた。というかこの山の中で僕に声を掛けられる人物は1人しかいない、お師匠様だ。そうだよ、僕が雷に打たれたと言うなら僕と接触をしていたお師匠様も雷に打たれたと言うことになる。
「お師匠様?!ご無事でし…た…か…?」
だが振り向いた視線の先にいたのはジジイではなく西洋の甲冑を着込んだ男を組み伏している銀髪の幼女であった。
「カッカ、この姿のワシをお師匠様と呼ぶからには、お前さんはどうやら我が弟子のようじゃの」
「も、もももっもももしかしてお師匠様なんですか?」
「然り」
どうなっているんだ?どうみても5、6歳にしか見えないこの可憐な少女が、あの白髪でしわくちゃなお師匠様だと…?だがこの幼女から漂う気配は間違いなくお師匠様のソレである。信じられないが信じるしかないようだ。
「こ…こんな可愛らしいお姿になって、何とお労しや?」
「なんで疑問系なんじゃ?ワシが少女の姿にしか見えんというのなら、そういうおぬしこそおっさんではなく十歳ぐらいの良いトコの外人の坊ちゃんにしか見えんぞ」
げ、やはり僕の姿も変わってしまっているらしい。だが慌てるな、とりあえず落ち着こうBe coolだ、深呼吸だ、ヒッヒッフー…とりあえず周りを見渡してみた。
するとここはさっきまでいた山の中ではないことに気付いた。平原だと思った場所はどこかの屋敷の庭であり、お師匠様らしき幼女の後ろでは明らかに日本人の出で立ちではない十人ほどの集団がざわついていた。
内訳は僕と同じ高そうな服を着た初老の男性に姿が変わる前の僕と同じくらいの年齢の夫婦らしき男女、さらに若い男性が一人ずつ。杖を持ったローブ姿の耳の長い、まるでエルフのような魔法使いっぽいのが1人。残りはお師匠様に関節を決められている男と同じ甲冑を着た護衛らしき人物が四人である。
「アルス!アリス!××××××××××××」
その中で上品そうなご婦人が僕らに向かって何か叫んでいる。この何かとは聞き取れないと言う意味ではない、どんな言語なのか理解できないという意味である。かろうじて分かるのは最初に言ったアルスとアリス、これはおそらく人名だろう、という事は…
「ねえお師匠様、あのご婦人が仰っているアルスとアリスって…」
「うむ。おそらくワシらのことじゃろうな」
「ですよねー。でも僕らの名前はアルスでもアリスでもありませんよねー、じゃあ僕達って何者なんでしょーねー?」
「ふぅむ、それは哲学的な質問じゃのう」
いや真面目に考え込まないでくださいよ。すると無精ひげを生やしたワイルドなリーダー格らしい甲冑男が他の甲冑男達に何か命令するとその男達がこちらに向かってきた。
「どうしますお師匠様?僕らがどうなったのかは大体見当がついたのですが、自分達が置かれている状況についてはまだ把握できていません。このままお師匠様が捕まえている男を解放して大人しく捕まりますか?」
「いや、ちょっと試しておきたいことがある、弟子よ『発勁』であいつらの方を大人しくさせて見せよ」
それはつまりこの体でも『気』を練られるかどうかという事か、別に今ここでわざわざ荒事を起こして人間相手に試さなくても良いのに、お師匠様も人が悪い…
男達は僕たちが子供の外見をしている為かなんの警戒もせず固まってこちらに近づいてきた。ならばこちらも抵抗のそぶりを見せず不用心に近づいた。そうして射程距離に入ると僕は一番手前にいる男のお腹に手を置き、意識を集中して『気』を流し込んだ。
『発勁!!』
すると男は苦悶の表情を浮かべると吐瀉物を撒き散らし倒れこんだ。良かった、この体でも『気』を使えた。
一方甲冑の男達は驚愕の表情をしていた。何故だ?鎧を着ているのにと。何故ならこの技は体の内側を攻撃する技、僕にとって鎧なんてババシャツ同然だ。今は思いっきり手加減しているのでゲロだけですんでいるが、本来ならゲロではなく血を吐くほどの威力をこの技は持っているのである。
僕は男達が驚いている隙に、近くにいた別の甲冑男に近づくと再び発勁を打ち込んだ。
「うボラァ」
意味の分からない叫び声をあげると先程の男と同様に昏倒した、これで二人目。
残りの男は自分が最後の一人となったことでようやく我に返り、腰に下げてる剣をその場で抜こうとした。おいおいそりゃ悪手だぞ、男が剣を抜こうとして柄に手をかけたときには、すでに僕の手は彼の脇腹を触れていた。これで終わりだ―――
「うむ、見事じゃ。どうやらワシもおぬしも『気』を問題なく使えるようじゃな」
振り返るとお師匠様が最初に捕まえた男をイスにしてふんぞり返っていた。男を見て見ると他の男同様になんだか色んな液を出して気を失っている、どうやらお師匠様は抵抗できない彼に発勁を打ち込んだようだ、ムゴいなぁ…
「それで、体の調子の方はどうじゃ?」
「特に問題はありません。むしろ良すぎるくらいですね。なんというか軽すぎて自分の体じゃないように感じます」
まあ実際その通りなんだろうけど。僕の元の体重は80キロ近くあったのに対してこの体の重さはその半分にも満たないだろう、体が軽く感じるのは当然の話だ。
「そーかそーか。結構、結構」
なんなんだこのお師匠様のテンションは?妙に落ち着いていると思えば急に荒事をけしかけてくるし…もしやと思うが…
「あのお師匠様…もしや僕らがこんな姿になったことを喜んでおりませんか?」
「然り。なんだか分からんがワシらは若返ったんじゃぞ、これはきっと一からおぬしを鍛え上げろと言う神からの思し召しに違いない」
だーやっぱし。僕のことをあと十年若ければと嘆いてらっしゃったもんね。けどそのなんだか分からんところをもっと深刻に考えようよ。お師匠様なんて性別さえも変わっとるがな。
「さて弟子よ、次はいよいよボス戦じゃぞ。『発勁』は使えても所詮子供の体、非力なお前さんが奴相手にどこまでわたりあえるかのう」
そうしてお師匠様が指を指した先には甲冑男達のリーダー格らしい無精髭の男がいた。確かに今寝転んでいる部下達とは桁外れの威圧を感じる、しかもその中には殺気もビンビンに感じられた。こうなったら最早話し合いは不可能だろう。逃げるにしても投降するにしても彼をどうにかしなければきっとこちらがどうにかされてしまう。仕方がないと思いつつ僕は構えを取った。