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OVER_THE_HORIZON  作者: 首藤環
一部 第一章いざ、倒れ逝くその時まで
20/20

20 洗礼

 初めてだった。 

 人に自分の熱意を受け入れてもらえなかったのは。

 理性を超えた衝動に駆られて今日まで来た。

 大切な人を失った誰かが嘆いている人を見て、僕の中でスイッチが入ったあの日から。

 赤の他人の事なのに、強い憤りによる昂りが噴出したんだ。

 無意味に浪費して、脱け殻みたいな毎日を過ごしてきた僕の中のずっと奥の方で、何かが叫んだ。

 なぜこんなにも軽々しく命が奪われる?

 こんな理不尽がまかり通るのを許しておけない。

 救いが無いのなら、僕が全ての救いになればいい。

 その叫びを感じたら、理想に殉じる決意は、最初からあったようにもうここ(胸の中)にあった。

 それ以来、僕は僕の正義に則って戦ってきた。

 何度も戦って、守って、助けた。

 混迷の中でも優れた知識や判断力で頭角を現しつつあるプレイヤーとも共闘してきた。

 弱者の救済を掲げ、意を同じくするプレイヤーとギルドも立ち上げた。

 気がつけば十つ星を背負うようになっていたし、僕だけが台座から抜けたこの剣だって、きっとその想いに応えて僕を選んだんだ。

 少数ながら僕の考えと合わなくて去る人もいたけど、彼らも攻略を目指して進んでいた。

 でもカルマさんは何かが違う。

 この世界のどこも見ていないんだ。ケファーとアンダーに向けた目も冷徹で無関心だったと思う。

 ある程度は理解してもらえてたようなのに、理由も分からない拒絶は鋼の意志に支えられてた。

 カルマさんは無駄口を叩かない寡黙な人で、説得の糸口さえ見つからない。

 たった一人を口説く言葉すら出ない自分にショックを受けた。

 心を閉ざされてしまえば、僕は無力だ。

 もしかしたらこれが個人の善意の限界なのかもしれない。

 説き伏せるのは多分無理だ。

 仲間になりたくてあたふたしてたのに、はっきり帰れと言われて妙に悟ってしまった。

 同じ敵と戦ってても、見えてる物がカルマさんは違うんだ。話が噛み合わないのも当然か。

 苦い経験だけど、こういう事もあり得るんだ。

 意気消沈してアンダーに次の遠征の指示を出して帰ろうと店を出ようとしたら、すっかり存在を忘れていた人に呼び止められた。


 天城は不敵に笑う。

「おいおい、どこに行くんだ?」

「……え?」

「いつオレが断った? 話だけなら、聞いてやらなくもない」

 突如として垂れた蜘蛛の糸に、イースは閉じかけた思考回路を逆走されて硬直する。

「え、今なんて……」

 天城の言葉を自分の中で噛み砕いて飲み込んだイースは後足を支点にそろりそろりと振り向く。

 我が耳を疑いつつも、願望が生み出した幻聴じゃないことを確かめる。

「面白い話なら、カルマはともかくオレは聞いてやってもいい」

 その言葉にイースは弾かれたように駆け出し、店内に散乱した投擲武器を蹴散らしてその足元に跪く。

「本当ですか!?」

 それはさながら、餌をちらつかされた犬のようで、このイースというプレイヤーは少々能天気なきらいが有るなとカルマは冷ややかに眺める。


「……」

 一方天城は頬杖をついてパスタをフォークで絡めて弄んでは邪悪に微笑んでいた。

 そんなことにも気付かずイースは擦り寄る。

「ぼ、僕たちはーー」

「クク……おいおい、順序が違うだろう?」

 まくし立て出していたイースもポカンとしていぶかしむ。

 何を言い出したんだ?

 カルマ以外のその場の全員が共通の感想だった。

「あの、何の……ですか?」

「まずは償いが先だろう? 飼い犬が噛み付いたのに、なぜ飼い主はお咎め無しなんだ? どう考えてもおかしいよなぁ?」

 過ぎた話としていたものをほじくりかえされてたじろぐ。

「え……」

「まさか頭を下げたからなどとは、言わないよな?」


 天城が企みに薄々感づいていたカルマだけは、事態を静観している。


 場を支配しているのは天城だ。

 あれほど意気込んでいたイースでさえ、項垂れて硬直している。

 一定以上の敬意を払って接しているカルマは言わずもがな、残り少ないワインを心行くままマイペースに楽しむ天城へ誰もが視線を集める。

 彼らは一様に天城の気迫に息を飲む。自分の命など、この男の思惑次第で容易に消し飛ぶ。

 この空間の支配者が天城であることは紛れもない事実。疑いの余地も無い。

 たった二人で最前線を押し上げた片割れのカルマと敵対する恐怖を耐え、肩の力を抜いた矢先にもう一人からの物言い。

 火の着いた火薬庫のような状況の店内で落ち着いていられる男がまともな訳がない。

この男もまた、常軌を逸している。

 いやがおうにも見えざる驚異の想像を掻き立てられてしまう。

 この時彼らは既に、天城の悪魔的な人心操作の術中に首まで浸かっていた。

 雑音となる水面の波紋が静まるまで待って岩を投げ落とせば、巻き起こるのはさざ波では済まない。

「口先だけの詫びを償いと呼べるか? 世間に頭を下げても内心舌を出してる野郎がゴロゴロしてる。しかしだ。お前は信じて欲しいと言いう。だが、生憎オレは疑う事を知らない聖人君子じゃあない。そこでだ。簡単な要求をしよう」

 体を回転して、テーブルの下に置いていた脚をイースの前に出して組む。靴の裏側がイースの顔から二十センチの所で止まった。

「舐めろ」

「っ!?」


 これまで全プレイヤーでも断トツに天城の動向を近くから見ていたカルマはおおよその心理を理解していた。

 優位に立つのが目的なら、何も馬鹿正直に正面切って戦う必要は無い。

 ただの一般人なら戦いの前後に必ず生じる油断を突いた。

 全員の気が緩むのを待っていた。

 身構える者を殴り付けても効きが悪い。

 ならば腑抜けた背中を刺す機を虎視眈々と狙うのだ。


「うっ……くっ……」


 責任を理解しているからこそ、イースはその屈辱を甘んじて受けるしかない。

 ひとえに沸き立つ想いを信じて。

 小刻みに震えながらも不躾に置かれた靴の爪先に首を伸ばした。

「……」

 だが重圧を耐えられなかった者がいた。

「ウチのリーダーに何させやがんだこのクソ野郎がっ!」

 青筋を立てたアンダーが地を蹴って立ち上がり、天城の胸ぐらに掴み掛かる。

 冷静さがそうさせたのか、通り越した怒りが我を忘れさせたのか、ショートソードは抜いていなかったのが、彼にとっては不幸中の幸いだった。

 抜いていたなら、天城は迷わず返り討ちにした末に殺しただろう。


 天城のダークグレーのカッターの襟に届くすんでの所で、アンダーの手は銀の一閃に射抜かれた。

 手に走る激痛。

 はたかれたのとは違う鋭い痛みにアンダーの顔は驚愕と苦痛で歪む。

「があァっ!?」

 両手テーブルの上に置いてあり、武装する素振りは無かったはず。

 アンダーの表情はその思い込みを如実に表している。

 もっとも、直後に天城の靴の爪先を舐めたアンダーの顔を正確に見られたのは正面にいたカルマだけだった。

「げぶッ!!?」

 天城が椅子に座ったまま長い脚でアンダーの顔を蹴り上げたからだ。

 str重視でなかろうが、平均的な数値そのものが高いトッププレイヤーの蹴りは、カウンターでアンダーを蹴り飛ばすには十二分。

 錐揉みして仰向けに着陸した。

「トニオを突き飛ばしたのはその手だったな?」

 トニオを押し倒した掌からはフォークが生えていた。

 素人目にも折れていると分かるグシャグシャに潰れた鼻を押さえて悶絶するアンダーを、天城は立ち上がってさらに踏みつけ、凄然と言い捨てる。

「あんまり人を嘗めるもんじゃないぞクソ餓鬼」


 天城は徹底的に顔を踏みにじる。

 顔の造形が崩れ、頬骨と顎が砕け、瞼が腫れ上がるまで何度も何度も。

 そこに理由や意思が無くとも鉄を叩く工程を続ける金属加工装置のように、無慈悲に冷徹に潰す。

 過剰な暴力を振るうにも関わらず、愉悦や快楽的な感情は天城の表情や雰囲気からは読み取れない。

 機械的に歯向かった者を排除している。


「ヒッ、ヒィィィィィッ……!!」

 痛みと恐怖でひきつったような嗚咽を漏らす顔にもう一度蹴りを入れて黙らせると、靴の裏に粘りつく血をアンダーの腹に擦り付けて拭き取った。

「煩い」


 一部始終を見ていたプレイヤー達はそれを傍観していた。

 それは、彼らは死にたくないと心理の根底で思ったからだ。

 イースもまた例外ではない。

 強い決意を秘めていても無意識下の感情が警鐘を鳴らして体が動く事を拒んだ。

 絶対的な強者の存在を眼にした彼らは、死の恐怖という原始的な感情に抗う術を持っていなかった。

 ここ数ヶ月、命懸けでフィールドを探索していても、元は平穏な生活を営んでいたプレイヤーにその恐怖を真の意味で克服するだけの精神や原動力は獲得出来ない。

 モンスターに襲われてHPを全損するよりも明確な死のビジョンに生理的な恐怖が沸き起こった。

 


「放っておいたら死ぬんじゃないですか?」

 天城の行いに一切口を挟まずに沈黙を守っていたカルマが血の海を静かに広げるアンダーを指差す。

 しかし、生命を心配するようでも天城を咎めるようでもなく、その口調はあくまで見たままの雑感を言っているようだ。

「ああ、そうだな」


 それがどうしたと言わんばかりに気の抜けた返事を天城は返す。

 カルマは少し考え事をしてから緑色の高級な回復薬を取り出すと、青ざめて唖然としているプレイヤーの一人に投げ渡す。

「その馬鹿が起きたら言え。次は無いとな」

 天城はグラスを垂直まで煽って最後の一滴を飲み干すと丁寧にテーブルに置いて唇を手の甲を拭った。

「さてと……」

 ウィンドウを幾度か叩いて所持金を全てトニオに送りつけた。

「えっ……」

 この店の開店資金としてトニオが用意した金が六桁に届くか届かないかという程度だったが、天城が小銭のように支払った金は七桁を優に上回る。


 今まで競売に出品された中でも最高峰の剣でも金額にして五桁の半ばなのだから、一食に支払う額としてはまさに法外と言う他ない。

 これまで何度も代金としては破格の対価を押し付けられてきたトニオも貰い過ぎだと焦った。

 万が一の保険の金も残さずに渡すのは流石に無鉄砲だと、横で操作内容を見ていたカルマも思ったが、元からこういう男だと今さら口を挟む気は起きなかった。

 そもそも、天城が高価なアイテムどころか回復薬を使う場面を数える程しか見た事がないので、危険だなんだと批判する根拠もない。

 攻略時も防具を身に着けずにファンタジーな世界観にそぐわないダークグレーのワイシャツでーー当然店売りされていないのでどこかの生産系スキルを持ったプレイヤーの手作りで安くはないだろうがーーダンジョンを歩き回る。

 武器すらも店売りの安物ナイフしか使わない。

 性能の低さは数で補っているが元々の価格がトッププレイヤーの財力からすれば微々たるものだ。

 手付かずの最前線で強力な装備が手に入るが、天城は総じて執着心が薄く、貴重な物品でも固執せずに売り払っては安物のナイフに代えてしまう。

 先程買い物中に天城の所持品を何気なく覗くと百本で一マスのアイテム欄にナイフがびっしりと並んでいたのがその証左だ。

「一、十、百、千、万……!」

 小さく開いたウィンドウに表示される大金を送り返そうと慌て気味に指を動かす。

「こんなに頂けませんよ!?」

 その腕を掴んで下ろさせると肩を小突いて擦れ違う。

「良いからとっとけ。店を荒らしちまった分だ。久しぶりに酒も飲めたしな」

 屈託の無い笑顔を軽い足取りで包囲網に分け入る天城を止められる者はなかった。

 目を合わせる事も躊躇わせる圧力は鳴りを潜め、ただ一人で重苦しい空気からあっさりと抜け出した。

 たった今、人一人を残酷に叩き潰したようにはとても見えないほど天城は涼やかだった。


 身動きを禁じられた飼い犬のように微動だにしないプレイヤー達をすり抜けてエントランスで振り返った。


「どうした? 案内してくれよ」

「は、はい!」


 金縛りを解かれたイースがドアを開けて外へ飛び出した。


 ドアベルが鳴る中、プレイヤーを置き去りに陽光の降り注ぐ道をカルマと天城は歩き始める。

「クク……会いに行くとしようぜ。噂の七人の英雄とやらに」


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